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森川オサムのブログ一覧

2021年10月16日 イイね!

Rallye de Monte-Carlo 1979 その2

イノセ・コンペティションに運び込まれたマツダ広報車のRX-7は、ラリーカーにするためにいくつかの改造が施されました。

ただし予算的、時間的な制限と発表直後でそれ用のパーツもほぼ皆無だったため、手を入れてもらったのは最低限のところでした。
まずはモンテに出場するために規定されている安全装備。ロールケイジやらキルスウィッチやらフルハーネス・ベルトやら消火器やらです。

それとちょっとだけ速く快適に走れるように、猪瀬さんがスプリングはノーマルのままでしたけどダンパーだけ特注を用意してくれました。シャシーも一部を溶接補強。
ギアボックスもノーマルなれど、ファイナルを3.900から4.375に変更し山岳用にローギアード化。さらにはRX-3用にあったLSDも組み込んでくれました。

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12Aロータリーエンジン自体は全くどノーマル。エクゾーストは排ガス浄化器を取り外してステンレスで軽量化。クラッチはこれまたRX-3のレース用に。またオルタネータとバッテリーを寒冷地仕様パーツで容量増加。
モンテでは重要なブレーキですが、これもノーマル。パッドのみ交換です。

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室内はリアシートを撤去してスペアホイールを4本(!)積めるように改造。これはラリー中のサービスが手薄予定だったので4本積載の可能性があったからですが、同じ理由で35リッターのサブ燃料タンクを増設して90リッターにしました。ロータリーは大食いだとわかっていましたから。

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あとはドライバーズシートをレース用バケットに交換しました。わたし用のコ・ドライバー席はノーマルのまま(ベージュのチェック柄!)です。それとナビゲーション用にHALDAのツインマスター(懐かしい!)とマップランプを装着しました。

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このときモンテにエントリーできたのは、既にマツダさんがRX-7のFIAホモロゲーションを取得していてくれたからです。当時のグループ2です。12Aロータリーエンジンは573ccの2ローターだったので1,146cc。FIAのスポーツ条例ではロータリーは1.6倍換算というルールだったので1,834ccとなり、排気量クラス分けでは一番大きなクラス1というクラスでのエントリーとなりましたが、実はこれがあとでラッキーなことに・・・

Posted at 2021/10/16 14:17:23 | コメント(2) | トラックバック(0) | モンテ | クルマ
2021年10月13日 イイね!

Rallye de Monte-Carlo 1979

私のモンテ備忘録シリーズとして初めての遠征だった1976年とその翌年の2回のWRCモンテについて書きましたが、その1977年モンテの最終回に、次は1979年について書きますと言ってから早や2か月近く経ってしまいました。ごめんなさい。

ようやく始めますが、1979年のモンテはその体制から望外の結果まで、私のWRC7戦とイストリーク7戦のモンテ経験のなかで最も記憶に残る1戦でしたので、長い連載になってしまいます。たぶん。「まあ夜更けに酒でも飲みながら読んでやるか・・・」みたいな感じでお付き合いいただければ嬉しいです。もちろんこれまでのように途中でいろいろ他のトピックスも挟んでいってしまうので、長いうえに長~くかかってしまうと思います。

さてさて、77年の15回目に書いたとおり、当時のドライバーだった中川さんがストラトスやらアルピーヌやらに混ざって日産サニーで走ったあと、周りの平べったく尖った”カッコイイ”マシンにノックアウトされてしまっていたのです。非力なサニーでは繋ぎ区間も全開が多くなってしまったこともあり、カッコよくて速いマシンで走ってみたい欲望が盛り上がったんですね。

そこに翌年78年に新発売されたのがマツダRX-7でした。もちろん初代のSA22Cモデル。今は無きロータリー・エンジン。
彼はこれで走りたいと思っちゃったんです。そこでやったことは、若気の至り(?)で何のコネも無いマツダにラヴレター(当時ですからeメイルじゃなく手書きですよ)を送っちゃったんです。RX-7でモンテを走りたいと。それがマツダの内部で最終的に広報へ回され、なんとローンチに使った広報車の1台を貸与してくれることになっちゃたんです。私は最初から笑ってみていたのですが、あららこりゃタイヘンだ。

マツダさんとしては、昔のコスモ以来となるスポーツカーの新型車を発売して、何でも話題が欲しかったのかなと今となっては推測します。それにしても古き良き時代でしたね。

ただ、広報車を1台貸してくれても、もちろんそれは市販ノーマルカー。モンテを走るラリーカーにするためには規定の安全装備をはじめ最低限のモディファイが必要。スポンサー関係で相談に乗ってもらっていた松本在住の先輩が所有していたロータス7などのメンテを依頼していたレースメカを紹介してくれて、そこに依頼することになったのですが、なんとこのかた超有名なヒトだったんです。故風戸裕さんが欧州F2を転戦したときのチーフメカだった猪瀬良一さん。そう、あのノバ・エンジニアリングの猪瀬さんです。この当時は千葉のほうでイノセ・コンペティションというレーシング・ガレージをやっていて、そこに運び入れました。

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ローンチ時のRX-7のイメージカラーだったウグイス色メタリック。この写真を撮った時には既にフロントに補助灯が付けられています。仏CIBIE製のポルシェのボンネット用の補助灯を4つ。CIBIEの日本代理店だったSSリミテッドという会社が提供してくれたと記憶しています。

この当時まだ日本国内ではラリーに大きなスポンサーがついてくれることなどほぼ皆無で、これについても前出の先輩の世話になり我がチームは恵まれました。これについては次回以降に。

Posted at 2021/10/13 11:30:47 | コメント(0) | トラックバック(0) | モンテ | クルマ
2021年10月11日 イイね!

Honda F1 オマージュ RedBull F1

昨晩はF1第16戦のターキッシュGPをいつものようにTV観戦でした。

今回はレッドブルのマシンはいつものきたない(?)紺色から白く変身。それもノーズ上部のナンバーベースが日の丸に。

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(レース画像はFuji TV NEXTから)

初期の Honda F1 のカラーリングのオマージュのようです。

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ほんとは鈴鹿での日本GPのはずだった日程で、代わりに行われたトルコですが、エンジンサプライヤーであり今年で撤退するホンダへの感謝のために鈴鹿向けに用意してあったアイデアをここトルコでやっちゃったというわけですね。エンジンカバーのHONDAロゴの横には「ありがとう」の文字も。

リアウィングの後ろ側にも「ありがとう」が。

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リアウィングは弟チームのアルファタウリも同じでした。

予選ではめでたく4台ともQ3へ進出し、レッドブルのふたりはポディアムへ。

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レーシングスーツも今回は白で、ダサい「レッドブル」の文字が。
ベルトのところのドライバー名も「マックス」「チェコ」でした。

普通に見てた海外のファンは「なんじゃこれ」だったでしょうね。

混戦のチャンピオン争いは昨日でレッドブルのフェルスタッペンがハミルトンを抜き返してトップに返り咲き。再来週のUSGPからあと6戦です。

Posted at 2021/10/11 15:50:51 | コメント(0) | トラックバック(0) | F1 | クルマ
2021年10月09日 イイね!

1,000+メーターから駆け下り

前回書いたレンジで山中湖から東名を駆け下った翌々日、こんどは日帰りで安曇野まで出張しました。

以前にもここで書いた気がしますが”60の手習い”で始めた吹きガラスで制作したそば猪口が、安曇野にある美術館での応募展に入選して展示されているので見学に行ってきたんです。

中央道途中の長坂で途中下車(?)して有名なお店で蕎麦を食してから着いた安曇野は、秋の真っ最中でした。

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帰り道は中央高速で真っすぐに駆け戻ったのですが、帰宅してから山中湖からの東名と較べてみたら燃費はイマイチ。16.9km/ℓしかいきませんでした。

東名で戻ったときより駆け下り走りのイメージが強かったのに・・・と思ったら、当たり前でした。
山中湖から帰るときには1,000+mの標高から基本的に下りで東京まで着くのに、安曇野から信越+中央で帰ってくると、諏訪と小淵沢の間にあるのが中央高速最高標高地点で同じく1,000+m。つまりはずっと下りではなくて、安曇野からそこまでは上り勾配がメインだからなんですね。行程的に大雑把に言えば後半2/3が下りということ。納得でした。

その展示会は暮れから東京、山形へ巡回するようです。

Posted at 2021/10/09 11:03:03 | コメント(0) | トラックバック(0) | Range Rover | クルマ
2021年10月06日 イイね!

レンジ燃費良し

週末からまた山中湖までウチの Range Rover Velar で往復してきました。
標高1000m越えでは既に紅葉も少し始まっていて、キモチいい秋が近づいていました。

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ここのところまた走り始めのブレーキ音が再発しているウチのレンジですが、燃費は絶好調です。

帰路の山中湖から東名海老名SAまでは23.9km/ℓを記録。もちろん下り坂が多い方向ですが、軽油の値段と相まってお財布には優しいクルマです。前の Sport では空に近くなってスタンドへ行くと12,000円近く払ってましたが、今や6,000円いかないくらい。

今朝スマホにインストールしてある純正アプリでチェックしてみたら「ウィンドウ・オープン」と表示されたので、怪しいなと思って実車チェックしてみたけど、やはりウィンドウはちゃんと閉まってました。
こういうの時々起こりますから怒ります。

さて、そろそろ大昔のモンテ備忘録を再開しましょうか・・・ 次は1979年のです。


Posted at 2021/10/06 11:36:28 | コメント(0) | トラックバック(0) | Range Rover | クルマ
スペシャルブログ 自動車評論家&著名人の本音

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「昨日ジュネーヴが今日東京で! http://cvw.jp/b/951168/39425567/
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学生時代からラリーやレースのモータースポーツにはまり、WRCモンテカルロラリーには1976年から97年までの間に7回遠征しました。 慶應義塾大学工学部卒業...
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森川オサムHP ”Sur le sommet du Col de Turini” 
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2011/01/21 15:23:34
 

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