2020年11月11日
2020 姫路、神戸 その1
少しコロナが心配な時になっていましたが、11月12日〜13日でいつものように別表神社、西国三十三所、五木寛之の百寺巡礼の神社仏閣を回って来ました。
この時期でも ”行く” っていう原動力は、知人の仏壇にお参りすることでした。
なぜこの知人と知り合ったかは、我が家の家業からの説明しなくてはなりません。少し長くなりますが、彼の没後10年でもあり自分の彼との思い出確認のためにも書いてみます。
我が家は二十数年前まで染色業を営んでいました。親父が二代目で私が三代目でした。親父の大学時代は戦中で、やりたいこともできない時だったと思います。
戦前、戦後とドイツ、スイスの化学メーカー(染料メーカー)に日本市場は席捲されていたようです。そのためか、ドイツの染料メーカーではGood Userの子弟をドイツで学ばせる(遊ばせる?)プログラムがあったようです。
親父は私の高校時代から ”大学卒業したら○X社の研究室に行け”と言い続けていました。上記の ”学ばせる” プログラムのことを考えていたんだと思います。
大学を卒業間近(昭和55年)になり、染料メーカーにそのようなことを打診したようですが、時は昭和30年代と違い、プログラムのような物は無くなっていたようです。染料メーカーは私が化学系の学科にいたことを知っていましたので、”もし行かれるのであれば、ドイツ語ができるようになっていれば研究室に入れることは可能”との返事はしてくれたようです。しかし、その先を考えたらドイツ語より英語ではないかと考え、英国の化学メーカー(染料メーカー)に相談しました。結論として、大学に行った方が効果的ではとなりました。
結果は、Leeds大学のDept. of Colour Chemistryのマスターに在学することになり、離日から一年で帰国しました。その後、家業の染色会社に入社。
帰国から2年くらして、ドイツの染料メーカーから二週間ほどフランクフルトでの”染料シンポジュウム” のお誘いがありました。実際はシンポジュウムは一週間で、残りの一週間はドイツ周遊でした。(私は周遊の時間の半分はイタリアの染料メーカーにクレームに行くという仕事をしてましたが)
そのシンポジュウムで彼に会いました。年齢は6歳上です。彼はドイツ語、フランス語を話すので、それを聞くと "大学(理学部化学科)卒業後、約3年スイスの染料メーカーいたとのこと。当然、英語も話せます。
また、そのシンポジュウムの期間のスマートな立ち回りに私いは完全にノックアウト。
ドイツですので、シンポジュウムの参加者の多くはゾーリンゲンのナイフを購入しました。免税対象になりますが、その処理には空港で見せ書類へ押印してもらい、それを投函するというめんどくさい手続きが必要でした。
当時のフランクフルト空港で免税処理をするには、預託荷物をチェックインカウンターに出した後、パスポートコントロールを過ぎて免税カウンターがありました。つまりナイフを持ってセキュリティを通過することになります。
彼はシンポジュウム参加者のナイフを一旦一つにして、セキュリティの担当者と交渉します。なんとかそこを通過でき、それぞれが免税手続きをします。その後、再度集めて、今度は搭乗する飛行機のグランドスタッフに交渉してそのナイフ全部を預けます。帰国してどこでそれをピックアップしたかは忘れたというか、私は立ち会わなかったと思います。私は空港でナイフを持ち込むってのは無理と判断していましたので、免税は諦めてバゲージに先に入れていたからです(笑)。
彼は旅行者の添乗員でもないのにスマートにこのめんどlくさいことを処理しました。これにも私は驚いていました。
それから、年に数回会うことになります。彼は酒が飲めません。でも飲んべえの私に付き合ってくれます。私がイタリアンが好きなことも知っていますから、その染料メーカーの日本責任者のインビテーションにも私がイタリアンが好きだと進言してくれて、一緒に食べていました。
そのようなことを通しながら、彼は私に ”海外でいかに現地人からバカにされない立ち振る舞い”を教えてくれました。私も曲がりなりにも一年英国にいた身ですから、それなりの渡世術は知っているつもりでした。でも彼の立ち振る舞いは私の海外経験が何にもならないことを知らせしめました。また、視点の位置の違いも分かりました。そして彼から教わったことが、その後の私のアジアでの活動(仕事)に大変役立ちました。
彼も父上から言われてスイスに行ったようです。そこで彼と話したのは、何で親父は海外に行かせたかったのかなあと。彼の意見は、自分が行けなかったからではと。私は次の世の中に海外経験は必要だからとの考えで行かせたと思っていましたが、彼の意見を聞いてその ”自分が行きたかった” も私の考えに加えることにしました。つまり ”自分が行きたかった海外に息子を行かせる。それはこれからの世の中には必要な経験になる” です。
残念ながら、家業は廃業してしまい、息子に同じような体験をさせることはできませんでしたが、彼から教わったことを私の体験と比して語ってきたと思います。
何とか息子の大学在学中に二度ほど短期で英国、ドイツ、スイスに行かせることができ、本当に少しながら経験を共有できたことが幸いです。(これが効いたかどうかは?ですが、息子は望んで海外勤務中です)
そんな彼は10年前の年末に、脳腫瘍で帰らぬ人に。私は彼が亡くなったことはリアルタイムでは知っておらず、彼との共通の知人の年賀状で知り、その後直ぐには行けませんでしたが、仏壇にお参りさせていただきました。
今は毎年はいけませんが、何か西方に出かける時にはお参りさせていただいていました。幸い(?)奥様がよく飲まれる(笑)。ワイン飲みながら、ダンナの話をしています。
でも、この数年お参りしてなかったので、姫路、神戸の神社仏閣廻りもあるので、連絡とって伺った次第です。
長くなってしまいましたが、次項で神社仏閣廻りを書きます。
(その2に続く)
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Posted at
2020/11/26 10:20:38
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