初めて富士にレースを観に行ったのは78年9月のGCでしたが、その後に年に複数回行くようになった80年代後半は「GCやF2とさほど入場料金変わらないのに長い時間走ってるのが観れてコスパが優れてる」って理由から耐久レースをメインに行き始め、1番ハマってた時期は87~91年くらいだったんですけど、JSPCは83~92年…正にどハマり状態だったんですよね(笑)。
そのJSPCを特集したRacing onを先月の初め頃に本屋で発見!しかも90~92年にフォーカスしてる内容のようで、…基本、本は余り読む人じゃないんで迷ってたんですが、老後の楽しみ?のためポチりました(笑)。
あの頃の富士でのCカーの耐久レースは年間3戦あって、3月or11月の500㌔レースがマツダ主催、5月のGWにトヨタ主催の1,000㌔レースがあって、7月中旬の500マイルレースが日産主催ってパターンでした。
日産もトヨタも「打倒ポルシェ」で始まり、初期の頃は市販車ベースのマシン・エンジンで参戦してたのが、日産は結構早い時期にV型の3L超えのエンジンを投入し、トヨタはしばらくの間は直4の2Lエンジンって構図が続き、「速いけど壊れる日産、地道に走って最終的に上位に顔を出すトヨタ」って印象で、レース結果で良い想い出?って正直あんまり無いです(苦笑)。シリーズの後期になって、トヨタも3Lオーバーの排気量の大きい車を投入して速さが付いて来て、イメージとしては何となく「トヨタに持ってかれてた」って感じなんですが、リザルト見ると日産の方が良い結果に終わったんですねー(笑)。
個人的に公私共に忙しくなり始めて来た時代なんで、勝手に何となく「冬の時代」みたいに思ってたのかもしれません(苦笑)。
そしてこのシリーズを引き継ぐ形になったのはGT1シリーズで、近いタイミングでコッチのRacing onの特集号も出てたんですが、
このシリーズはレギュレーションの解釈が非常に不明確であんまり好きになれずだったんで…コッチの本は買ってません。
R390の98年ル・マンで3位ってのはあるんですが(苦笑)。
「ハイパーカーレース」はGT1みたいな感じになるんですかね?
わかり易いルールの下で、各メーカーが本気で参加出来る環境のシリーズにして欲しいです。
何せ、未だ日産はル・マンを制していないですから…。
Posted at 2019/02/06 22:29:43 | |
トラックバック(0) | 日記