車の話ではないけれど、ふと思い出したことがあって、書くことにします。
たまたまあるきっかけがあって、下記の動画を見ることに。
今からもう。。。17~18年くらい前。。。だったかな?
もうちょっと。。。15年くらい前だったかな??
当時の話です。
たしか。。。夏だったか冬だったか。。。
ちょっと思い出せません。
たしか、小雨がパラパラと降っていたので、夏だと思います。
当時の私は、郵便局で外勤のバイトをしていました。
赤い古臭い自転車に乗って、地域の郵便物の配布をすると。
その日は。。。どうだったのかなぁ。。。地域がその後回らないところだったので、やっぱり17~18年前かな。
内勤が、ある区切りごとに右手に持ちやすいように、紙紐で縛ってくれるのね。
いつも通り、出だしの地域で。
順番に家を回りながら、ポストへ投函。
ある家の前にたどり着いて、ポストに投函し。。。次の家に向かうためにポストに投函した郵便物の後ろにあったはがきに目をやると。。。
一瞬、自分の目を疑った。
何が書いてあるかわからない。
一瞬では読みきれない。
ひたすら文字が書いてある。
それも、ぞっとするくらいに這いずり回ったペン先。
さらに寒気を催すような赤い色のインク。
はがきの裏を見ると。。。こちらもびっしりと文字が。
例えは悪いが。。。日蓮正宗の御本尊様みたいな感じだ。
私の親が創価学会だから(の割には、坊主は嫌いで考え方は好きだが、創価学会員が嫌いw)いつも目にしていたのね。
かといって、私は経も読まないし、創価学会は嫌い。
そもそも、神も糞もないと思っている。
神よ!、御本尊様よ!なんて言わないw
だって、私の中にいる私が全てを決め、私の中にいる私が判断をするのだから、助けを請うのは私の中にいる私自身だから。
神も糞もどこにもいない。
いるのは、私の中にいる私であって、私にとっての神やご本尊様は私自身だからだ。
どこからか声が聞こえただの、思し召しがあったのだのと、言うのはそう思っただけの話であって。。。
認知するのは全て私の脳であり、私の脳が私をそういうことがあったと思ったという認知をしたからであるので、ある意味脳の認知は私の中の私が私にそう認知させたということであるわけだ。
どこかに誰かがいるわけではなく、いるように思ったのであって、そう認知しただけの話であり、誰もそこにはいないのだから、神も糞もない。
教えは、自分の中の自分のためのものである。
だから、嫌いなんだ。。。某久本なんとかとか、柴田なんとかとか。
良く正月とかに聖教新聞の表面に笑顔で載っているが、寒気がする。
まるで、創価学会に入ったおかげで貧乏からお金持ちになったと言いたいようなあの感じが好かなかったりする。
教えから自分の中の自分にどう影響を与えたかが重要であって、創価学会に入ったからではない。
この場合の教えとは、経でもなんでもなく、自分に常日頃起きる出来事や学ぶことである。
たいそうなもんでもないし、敬うようなことでもない。
ただの日常で自分の中の自分を育て、そして自分を助け、正しい答えを出すための糧となるもの。
ほんの些細なありふれたものである。
と私は思う。
なんだか盛大に脱線しましたがw
一応、創価学会の名前を出すとろくなことが無いのでね。
選挙前の拉致のように、またわけのわからん拉致をされても困るしwww
本題にもどります。
そのはがきにびっしりと這いずり回った赤と黒のペン先は、まるであの御本尊様のような感じで、異様な感じであったのです。
一瞬では読めないそのものを読んでみると。。。
確か。。。
『汚い』だの、『黒い』だの、『死ね』だの。。。
おそらくだけれど、小学生か中学生の女の子が気に入らない女の子に書いたんじゃないかな?
小学校の時に、虐めをしたことのある私。
中学校の時に、担任も含めて虐められていた私。
そう、教員も加担したクラスぐるみ。
いつしか。。。人は信用できないな。。。と、かかわりあいを持つことをやめた私。
単純にやめたわけじゃない。
信用して裏切られるからやめたのだね。
話半分、信用半分。
なるべく、かかわりあいを持たないように。。。
だって、信用してて裏切られるショックはでかいし、ムカつくでしょw
そもそも、面倒臭いことは嫌いなのね。
しつこいなーってのも、嫌い。
もちろん、恨みってのはいつまでも消えないで残るものだけれどねw
そんな私が、そのはがきを見て。。。
正直、ポストに投函しようかどうしようか迷った。
職務上、ポストには必ず投函しなきゃならない。
じゃないと、捕まっちゃうし、それは職務命令に反するからね。
しかし。。。これをポストに投函して良いものかどうか。。。
きっと受け取ったものはショックだろう。
親もショックだろう。
人間てのは、闘争本能がある。
気に入らない排除しようとするその力は、ある意味虐めも闘争本能のうちの一つであるともいえる。
虐めが良いか悪いかの議論はちょっと置いておいて。。。
虐める側が悪い場合も、あるし。。。
虐められる側が悪い場合もある。
まあ、殆ど8~9割方は虐める奴が悪いんだろうけれどね。
虐められた私でも、ある番組で虐められた人たちが色々と意見を言っていた。
というか、言い分けだったかな。。。あの時は。
虐められた私でも。。。虐めたいというか排除したい気持ちになったのは、ある意味普通であって不思議でもあった。
そんな自分を、人間て不思議だなと思うもう一人の冷静に見ている自分がいた。
テレビの中のその人に、そんな考えだから虐められるんだと思った記憶がある。
そう、そのネガティブな開き直りの無いその態度に。
自分はどうだからとか、決め付ける必要も無いし、マイノリティであることを卑下する必要も無い。
そもそも、同じである必要も無い。
他人には無いものを持っていると思えばいい。
そして、持っていない奴らを下に見るといい。
ただし、余計な発言は墓穴を掘る。
極力それらの前での発言は避けるべきだ。
信じるものだけに、思いを発言すると良いであろう。
と、また話はずれましたがw
さて、どうしようか。。。ポストにいれようか、それともやめようか。。。
まさしく動画のようなはがき(実物は縦書きだったけれども。)をどうするべきか。
はがきを見つめると、色々なことを考えてしまう。
書いた人間への怒りやくだらなさ。
もっとまともなことしろよとも。
受け取った子の悲しみ、ショック。
親の怒り。
何よりも、親にも相談できなくて、隠して笑顔でいたことが。。。
親の問い詰めで一瞬にして崩れ去るかも知れない。
親が乗り込んでいくことで、よりいっそうエスカレートし、陰湿になることも十分考えられる。
考えすぎといわれれば、そうだけれど。。。虐めを受けていた身からすれば。。。まさしくその気持ちが私の中にあったことも事実。(親は私が虐めにあっていたことなど一切知らないしね。)
世の中には、傍からみれば虐めと判断されて当然なのに、虐めじゃないなんていい歳こいていう頭の弱い人もいるしね。
カッパを面倒くさくて着ていない私は、雨にぽつぽつ打たれながら考えたけれど、答えは出そうにない。。。
仕方無しに。。。ポストに投函するしかなかった。
そのまま持ち帰って、局員に頼んでも良かったんだけれど。。。
ポストに投函した。
その後どうなったかはわからない。
その一通のはがきをきっかけになんらかの事象が展開されたかもしれない。
はがきを見たこと、そしてポストに投函したがいつまでも後味が悪かったことを覚えています。
私がバイトしていた時に見たのは、その一通だけだったので。。。動画のように、逮捕まではいけないとは思うのですけれども。。。
しかし、なんらかの処罰は欲しいもんですね。
あの時。。。もし、はがきを処分していたら。。。
もし、そうしていたら。。。どうなっていたのかなぁ。。。
まあ、出し主が出し主だけに、届かないとかって苦情も無いでしょうけれどねw
きっと闇に葬り去っても、おそらくは大丈夫だったんじゃないのかなぁ。。。なんて思います。
出し主は。。。地獄へ宛てた手紙を出してしまったと思った方が良いかも知れませんね。