
昨日までの
<海辺の町にて-1->
<海辺の町にて-2->に、
少しばかり書き残したこともあるので、ちょっとだけ追記です。m(_ _)m
←画像は列車の運休で錆びてしまった、JR山田線のレール
海上捜索に参加したその日は、結局夕方6時過ぎに山田町を出発。大船渡まで国道45号を走りました。沿岸部はどこも悲惨な状況でしたが、内陸部に入ると、嘘のように平穏な風景になるのが不思議な感じすらしました。
とはいえ内陸部でも、水沢あたりは国道の橋がことごとく通行止めになっており、迂回するのにひと苦労。通行止めそのものは仕方ないとは言え、仮にも国道なのに、通行可能な橋の情報が、殴り書きの橋の名前のみで地図もなく、地元以外の人間にはまったくわからない状況だったのは、いかがなものか。
やっと乗った東北自動車道も、これまた話には聞いていましたが、ところどころ段差がひどく、車高を落としたクルマでは走れませんね。
実際仙台までは80km/h規制、仙台以南は50km/h規制となっていました。
ウチのスイスポも、時折フェンダー擦りが発生したりしてましたが、帰り道の途中で気付いて、フロント側の白足減衰を1段上げたらかなり良くなりました。
早く気付けっての、ぢぶん。(笑
翌日走った仙台市内も、あちこちマンホールが浮き上がっていたり、民家の屋根や壁が崩れているのが散見されました。
仙台では、以前からお世話になっている、市内のオフロードバイク用品店
「トレックフィールド」さんに伺いました。
震災時に自らも被災され、続いての余震で入居しているビルが、コンクリ壁にヒビが入るなど危険な状態になってしまったにもかかわらず、早くから近隣への「草の根支援運動」をオーナー夫妻が続けており、今回訪れるならと、わたしも若干の支援物資を持ち込みました。
実は妹2号一家も、オーナー夫妻との友人であり、震災時に最後まで連絡が取れずに、心配していた塩竃のオートバイ仲間もまた、ここの常連さんなのです。
店を訪れたところ、塩竃の仲間に連絡を取ってくれ、たまたま近くで仕事をしていた彼は、帰り際に寄ってくれたことで再会できました。
詳しく聞くと、震災当日は6mの津波が襲ってくるから、全員逃げろ、と会社から指示が出たものの、半信半疑だったそうです。
そこでクルマで避難しはじめたところ、渋滞にはまってしまい、思案していると津波に襲われ、本人の後方5台目以降は全てさらわれてしまったとか。
床下まで浸水した水が引かずにいたところ、近所の駐屯地から自衛隊員がボートで救出に来てくれ、駐屯地で一夜を過ごしたとか。
生々しい話に、よくぞ助かってくれたものだと思いましたが、元気そうな顔を見て、話ができたのでほっとした思いです。
彼を送って、仙台港近くまで行ってみると、内陸部とはうってかわって、あちこち瓦礫や廃車体が積み重なっており、しかも廃車からことごとくタイヤホイールが盗まれているのが、印象的でした。
そのためか、ひっきりなしにパトカーが往来し、それも「鳥取県警」だの「京都府警」だの「警視庁」だの、さながら全国のパトカーの博覧会の様相。
仙台に限らず、早く平和な日々が訪れて欲しいものだと、強く感じながら帰路へ就いたのでした。
東北遠征のフォトギャラリーに追加です。
2011GW東北遠征 -2-
パート2は、
旅のスナップショットと小ネタなので、
お気軽にご覧ください。^^
Posted at 2011/05/13 22:37:19 | |
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遠征 | 日記