
白糠を出た辺りで昼を過ぎ、お腹も空いてきました。
釧路市内に入ったので、前回も行った竹老園も考えたのですが、昼を回ったこの時間だとかなり混んでいることが予想されるので、展示館を目指しつつどこかで適当にと思っていたら、道路脇に蕎麦屋さんを見つけました。
昼時とあって、駐車場は満杯かと思ったら、ちょうど空いていたので、エスクを滑り込ませます。
しかし店内に入ると、入り口付近のウエイティング席はぎっしり埋まっていて、かなりの混みよう。これにはびびりましたが、意外にも、5~10分程度で案内できると言われたので、呼び出しベルを渡されてクルマで待つこと5分ほどで、入店。
休日なので、ちょっと豪勢に天ぷらそばでも、と思っていたのですが、前日脂っこい夕食だったためか、若干胃もたれ気味。なので、かしわそばをオーダー。
これが、出汁がよく効いていてなかなかに美味でした。ちなみに、以前竹老園で「かしわ抜き」という、かしわそばから蕎麦を抜いたスープが美味しかったのですが、この店にもあったことから、あれは竹老園だけではなく、釧路の蕎麦屋の文化なのだと気づきました。
もりやざるなど、冷たい蕎麦と組み合わせるのがおすすめだそうで、実際向かい席の常連さんは「ざると抜きね」と、粋なオーダーをしていたり。こんどはこんなオーダーをしてみたい。(笑
さて、お腹も落ち着いたので、いよいよ本命の展示館へ向かいます。
さっそく入館、と入口に行くと、張り紙がしてあり、館内が無人のため体育館で受付してほしいとのこと。実は反対側に体育館があり、そこで受付をするのです。入館料は300円。受付のおねいさんに「展示館の鍵は開いていますので、ご自由に見学してください」と言われました。えらいフリーダムな資料館だ。(笑
ここは炭鉱を運営していた、旧太平洋炭礦が設立したもの。体育館も炭鉱の福利厚生で建てられたようで、その昔は市内に遊園地まであったとか。
体育館は、この時なにか大会でも開かれていたらしく、子どもと保護者でかなり賑わっていたのですが、入口に、今月末で閉館する旨の張り紙があって、ちょっと驚きました。見渡すと、確かにかなり古い建物のようです。
展示館へ行ってみると、入口には、国内最大級の石炭の塊が鎮座していて圧倒されます。6tもあるそうですが、どうやって地上まで持ってきたのだろう、これ。
入館してすぐ左手には、受付がそのまま残っていました。おそらくは、元炭鉱従事者の受け皿でもあったのだと思われますが、高齢化などで難しくなったのかもしれません。
展示スペースは意外とそう広くはなく、中央に機具類が展示されていますが、数はさほど多くありません。ほかは模型が主な展示なのがちょっと残念。
もっとも、この炭鉱全体を表した模型は、規模といい、出来栄えといい、かなりのものです。
これを見ると、海底を水平方向に掘り進める、トンネル工事のような独特の工法がわかります。
石炭を掘り出す様子の模型。ボタンを押すと、実際に動く、凝ったもの。
変わったところでは、通信に使われていた、光ファイバーケーブルの展示がありました。昭和50年代に、光通信がもう実用化していたのかと、ちょっと驚き。採炭が最先端の技術で行われていたことの証です。
展示品数があまりないので、意外とあっさりしているな、とちょっと物足りなく思ったその時、下へ降りる階段があることに気づきました。
あ、まだ展示室があるのかと降りてみると、いきなり坑道用の軌道車とトロッコが目に入ります。
ふと横へ目を向けると、坑道内で使われていた、コンベアの実物も置いてありました。半地下室に坑道を模した展示がされていたのです。これはすごい。
圧巻はこれ。水平方向に掘り進める独特の工法のため、天盤を支えて崩落を防ぐ巨大なジャッキの実物。油圧シリンダーのゴツさが、マニア的にはたまりません。(笑
奥には主力だった、コンテニアスマイナーという、自走式の掘削機が展示されています。全体のヤレっぷりと、タイヤの摩耗ぶりが、過酷な作業をうかがわせます。
この掘削機はアメリカ製で、その他にも設備がドイツ製だったりと、この時代は技術的にと言うより、国産化しても採算が合わなかったのでしょう。大規模鉱山技術が進んでいる、欧米から輸入するほうが割安だったとみえますが、それでも相当に高額だったことは、想像に難くありません。
かわねこは、炭鉱について語れるほどの知識は持ち合わせていませんが、それにしても、採炭事業というものは、明治の開鉱以来、巨額の費用と最先端技術による大規模な工事、夥しい数の人員投入をしながらも、そのほとんどが昭和40年代半ばまでの、70年ほどで役割を終えたことになるので、エネルギー事業の見通しとは難しいものだなと感じます。
帰りに気づいたのは配電盤があったことから、係員がいた時代は、どうやらドラムカッターを、実際に動かす展示がされていたらしいこと。
手紙なども飾られていたので、釧路市内の小学校が伝統的に課外授業で来て、歴史が伝え続けられているようです。
展示館を出て当初の予定では、ここからさらに東進することも考えていましたが、資料館をゆっくり見ていたので、すでに午後2時。できれば日が落ちる前に帰投したいので、帰路へつくことにしました。
とは言え、まっすぐ帰るのもなんなので、ちょっと遠回りをして、白糠から北に本別へ抜ける国道392号線を走ります。昨今、道東道ができて以来、あまり通ることがなくなったので、ひさびさに走ってみました。
その途上の茶路や北進などの地域も、かつては石炭輸送を目的に鉄路が開通したものの、直後に炭鉱閉山による不採算のため、わずか20年弱で廃止されたとか。
その遺構がところどころに残っており、以前は国道を跨いで上空に鉄橋が通っていたはずですが、老朽化による崩落を防ぐためでしょう。いつの間にか撤去されていました。
てなことで、少し日が長くなったとは言え、なんだかんだと遊んでいたら、もう日暮れどき。
海沿いを走ったので塩落としの洗車をして、帰投した頃には暗くなり始めていましたが、見たかった資料が見られたので、満足な休日だったのです。
おわり