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2015年03月27日

長崎にて②(軍艦島周遊編)

長崎にて②(軍艦島周遊編)  っつーことで、念願だった軍艦島(端島)に行ってきました。そもそも、この端島が軍艦島と呼ばれるのは、大正時代に三菱造船所で建造された加賀型戦艦「土佐」に見紛うばかりのシルエットだったことに由来する。明治期に石炭が採れる小さな瀬だった端島を三菱財閥が権利者から買い取り私有地化。埋め立てて面積を広げると共に堅坑を次々構築し、黒ダイヤとも呼ばれるようになる良質な石炭を採掘する重要拠点となった。場所が場所だけに大量に動員が必要な労働力の移送が難しく、島内にて衣食住を充実させ、抗員を直接島に住まわせることで労働力を確保。そのため島内には、抗員社宅は勿論の事、教育・娯楽・商取引等の日常生活に必要な設備の全てが、島内に整っていたと言われている。
 また、炭鉱での労働は高いリスクを伴った命懸けの仕事でもあり大変厳しいものだったが、その対価として当時としては非常に高い賃金が支払われていたそうで、三菱の全面的なサポートもあって暮らしぶりは裕福であった。こんな閉鎖されたアルカトラズみたいなとこで、何と日本初の鉄筋コンクリート製高層住宅が建造されていたりするし、テレビがまだ町内に一台なんて時代に島では一家に一台が当たり前だったらしい。しかし、一方では島からおいそれと出られないという厳しい環境面の問題から、高い賃金にも関わらずこの島での暮らしを自ら望む者は多くなく、大正から第二次大戦期に掛けては、中国や朝鮮と言った外国人労働者の徴用に頼っていたと言われている。戦後は、朝鮮戦争特需なんかもあって石炭需要が増加、最盛期には4000人とも5000人とも言われる人達が島内で暮らしていたそうだが、エネルギー革命により需要の中心が石炭から石油へと急激に移行したのに伴って島の重要度も大きく低下し、1974年の閉山を以て無人島と化し島全体が廃墟と化した。以来40年間、人の消え去った島には無機質な建物だけが残され、外海の荒波と潮風に晒され続け風化の一途を辿っている。

私が小学生の頃に見たACのCM。自分にとっては、このCMが軍艦島のことを知った初めての縁。町から人が消えていなくなったという光景に惹かれ、機会あれば一度訪れてみたいと思ってから、気が付けば30年以上が過ぎた。その間、ドキュメンタリーを見たり、プロカメラマンによる写真集を買ったりもしたが、やはりこういうのは自分の目で見たいと思うのが人の情。ただ、所謂 廃墟マニアによる密航潜入なんて真似はしたくない。そんな折、2009年の春から、念願の「周遊上陸ツアー」が長崎市の指導監督の下に許可された。

 と、まぁそんな経過を辿って、今回私も恩恵に与り、とうとう肉眼で軍艦島を拝む機会を得たのであった。長崎に行けば何時でも上陸出来るというものでは無く、特に接岸ポイントであるドルフィン桟橋の構造的問題が有って、島の東側の波の高さ0.5m、風速5m/sec、視界良好という条件が一つでもアウトだと上陸が出来ない。そのため、上陸出来る日数は年間の半分にも満たないと言われ、事実私の友人知人の間でも、周遊は出来たけど上陸は出来なかったってな話を多く聞いている。地元の人なら上陸出来る日を狙い撃ちすりゃいいんだが、余所者には中々厳しい条件である。

 今回は、前以て予約することはせずに、「こりゃ行ける」と踏んだ23日の前日夜に席を予約、この方法だと早々に満席になるとアウトだが、席さえ空いていれば高確率で上陸が出来ると思ってのこと。更に、上陸時間が限られている上に観光ポイントが島の南側の一辺にしか無いということもあって、周遊時の観光も非常に重要って事で、吹きさらしのキャビン席がある船を持つツアー会社を選択した。利用したのは軍艦島コンシェルジュというツアー会社。

 
別にこの会社から何か貰ったわけじゃないが、個人的に一番オススメのツアー。先ず、船がそこそこ大きくて安定性が高く、また二階に吹きさらしのキャビン席がある。更には、顧客サービスも充実していて、現地でのガイドもネットでのレポを見る限り良さそうだった。尚、各ツアー会社は長崎市の監督の下に営業しており、当然常例は厳守しなければならない。なので、ツアー会社によって「アッチは上陸したのにコッチはダメだった」とか「アッチの会社の方が上陸時間が長かった」とか言う差異は生じないようになっている。ただし、ツアーの催行時間が会社によって異なっていて、今回の場合、少し遅めの午後二時出発のコースを催行している軍艦島コンシェルジュを利用することが、スケジュール的にも都合が良かった。
 このツアーを利用する上での周遊観光で重要なポイントは、午後の場合だと14:00出航なので一時間前の13:00には受付に並び、受け付け開始早々に手続きを済ませ、待合室の出入り口付近に陣取ること。と、言うのも、乗船は基本的に先着順であり、その着順は待合室にて着席待ちしてる入り口付近の人から順番となる為だ(子連れの家族は最優先)。
 そして、乗船する際に、往路は軍艦島以外の撮影ポイントが悉く右側に集中しているので、右の外際、可能なら最後列の席を確保する。私は、最後列は確保出来なかったが、後ろから二列目の外際を無事確保出来た。

これは、今年の世界遺産登録を目指す「九州・山口近代化産業遺産群」の一つである三菱造船所のハンマーヘッド型起重機。1909年の建造なので、こう見えて築100年オーバーの設備でありながら、未だ現役稼働中。

これは、同じく遺産群の一つで三菱長崎造船所向島第三ドック。1905年竣工以来、当時のそのままの状態で残されている唯一のドックである。

これは遺産群には入っていないが、その筋には有名な第2ドック。と、言うのも、先頃フィリピン沖で発見された戦艦「武蔵」は、この第二ドックで建造されたのだ。
 他にも船上から見ることが出来る遺産群には小菅修船場跡というのもあるのだが、これは左舷側でないと見ることが出来ない。
 他にも、海自の船がメンテか何かで足場組まれて作業中だったり、エラいデカい豪華客船らしき船が建造中だった。




 これは、右舷側から遠巻きに見ることが出来る神ノ島教会と海の上のマリア像。110mm(35mm換算で280mm程度)のズームレンズではコレが精一杯。フランシスコ・ザビエル渡来400周年を記念して昭和24年に高さ4.5mのこのマリア像が建立された。

このマリア像を撮影する辺りまでは内海エリアで、風は冷たく強かったものの波は比較的穏やかだったのだが、外海が近付くにつれ海上の状態が急激に変わり、軍艦島に近付くまではウォーターライドみたいな状態で船は大揺れになる上に盛大に波しぶきを浴びるので、カメラ保護の為にとても撮影など出来なかった。乗船時に雨合羽が配布されたのはこの為だったか(笑。二階のキャビン席は、乗船中も撮影に勤しむことが出来る反面、波しぶきを被るのは御約束のようだ。この波しぶきが顔にビッシビシ直撃して痛かったし、風も手がかじかんで感覚がボケる位冷たかった。

そして、遂にあのテレビや写真でしか見たことが無かった軍艦島が見えてきた。島の遠景が見えた時点で、オッサンは既にテンションMAX状態。上陸出来るか否かは出港時ではなく、この端島周辺に着いてから決まるのだが、外海の波をまともに食らう西側と異なり、桟橋のある東側では何とか着岸出来るということで、目出度く無事上陸することが出来た。

 上陸時の話は次回に譲るとして、今回は先ず上陸前後に行われた周遊コースの紹介から。上陸前はキャビン席の右側に着座したが、約45分の上陸観光後の再乗船時には左側に着座位置を変更。と、言うのも、利用した軍艦島コンシェルジュの周遊コースでは、右列左列問わずに乗客が島を撮影出来るように配慮して、船を上手に旋回させてくれるのが基本なのだが、今回のように波が荒れているときは安全第一で島を反時計回りに周回するのみという事も多いらしい。そうなった場合、船の左側からしか島を撮影することが出来なくなるのだ。で、今回はそうなりそうだという予測の下、敢えて団体の前方位置で移動し、早々に船に乗り込んで左側の席を確保。この手の情報は慣れてる人には周知されているらしく、狙っていた左舷側最後列はまたして確保できなかったものの、中々良いポジションを確保出来た。そして、出航した後に、予想通りの「申し訳ないが波が荒れているので今回は反時計回り一周とさせて貰う」との通達があった。

 島の周囲では、船も可能な限り船速を緩めてくれるので、水しぶきは殆ど浴びることは無かったが、それでも「ピント合わせて~、構図決めて~、フォーカス合わして~、露出とシャッタースピード調節して~」とか大揺れの船内でやっとるような余裕は無く、前日のペンギン水族館での練習の成果とばかりに、シャッター速度優先でなるべく高速にし、露出がLoに成るのにだけは気を付けつつ、後は運任せで連写しまくり。水しぶきが飛んできたら速攻カメラを守り、時折その島の不気味な佇まいを肉眼で眺めたりもして、気が付けば周遊タイムはあっと言う間に終わってしまった。尚、ここに掲載してる画像は、フォトアルバムのもの(JPEG保存)と同じ画像ではなく、RAW現像に於いてコントラストやトーンカーブを少々弄くった加工画像です。

端島小中学校(70号棟)。昭和33年に建造された7階建て(元は6階建てだったが増築)の校舎。増築部分の7階天井の経年劣化が激しく既に崩落を始めている。鉄骨鉄筋の建物故に、塩分タップリの潮を浴び続けていては、たかだか築60年でもこの有様である。手前の体育館に至っては、昭和40年代に建造されたにも関わらずアーチ状の屋根は今や原形をとどめていない。

この島最大の建造物であり(昭和20年建造!)、317戸入居の65号棟抗員社宅。コの字型の建物で、最上階には屋上幼稚園があった。エレベーターの無い高層住宅の屋上に幼稚園という発想が、この島の土地の狭さを物語る(当時の東京の人口密度の9倍だったと言われている)。


島の北側から見た70号棟(学校)と65号棟。学校の前の空間には校庭やテニスコートがあるらしい。



65号棟の手前に写っているのが端島病院。4階建ての病院棟(69号棟)と隣接される白壁の隔離病棟(68号棟)からなる。


抗員社宅群。一枚目の画像で奥に見える大きなのが先述の65号棟で、その西側、隔離病棟の隣が単身寮67号棟。隣が独身合宿寮の66号棟。その奥にある三つの似たような形の三棟が北側から61、60、59号棟。この三棟には、抗員家族が生活用品等を調達していた生協や、一部幹部社宅以外は部屋に風呂が無かった事から共同浴場が設置されていた。

昭和36年建造の8階建て抗員社宅51号棟。この裏手には日給社宅と呼ばれる16~20号棟の5棟が連なっているが、乱立する建物に遮られて殆ど見えない。



抗員社宅群の丁度真ん中付近。流石に人口過密状態だっただけに、建物が文字通り乱立していて 歪な佇まいである。一番高い位置に在るのが幹部職員用の社宅3号棟。この社宅は高い位置に在るだけでは無く、横に大型貯水槽を伴っていて、下界の皆さんが共同風呂なのに対して、各部屋に風呂が設置されていたらしい。
 3号棟の手前に見えるのが中央住宅と呼ばれる14号棟。その横に少し見えるのが20号棟の一部で更にその手前が48号棟。48号棟には雀荘やパチンコホールが設置されていた。

 先述の48号棟南側には、公民館(39号棟)や社宅の13号棟が在る。この辺りにはレンガ造りの映画館(50号棟)や木造モルタル建築の建物なども在ったが、大型の台風襲来などでその多くが崩落してしまったらしい。労働が過酷な事もあって、娯楽が無ければ精神的に保たない事から、この島には様々な娯楽施設が彼方此方に設置されていた。

昭和32年建造の31号棟。この社宅には、郵便局が併設されていて、また共同浴場があった。裏手には職員クラブハウスと呼ばれる7号棟も在ったが、やはり度重なる風雨や閉山時の坑道破壊作業の影響で崩落してしまっているとのこと。31号棟西側の二階部分に、他の開口部(窓)とは一線を画す大穴が開いている。ここは建物の中をベルトコンベアが通っていて、石炭精製時に出る捨て石(ポタ)を海に捨てていたんだそうな。このコンベアの周辺の部屋に住んでいた住民は、その騒音に悩まされたんだろうと思いきや、「コンベアが止まる=異常事態発生」を意味することから、むしろコンベアの音に家族の安全を報告されているようで安心していたんだとか。


グルッと島を一周して、最後に戦艦「土佐」と見紛うたと言われる軍艦島の全景を、この時だけは船を回転させて、右舷側も左舷側もじっくり見れるようにツアー会社が配慮してくれた。

次回は、上陸編です。
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Posted at 2015/03/28 13:26:01

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