仕事にて、天草方面に行ってきた。天草には上島と下島とがあるのだが、今回行ったのは仕事の都合もあって上島の方。九州本土から言えば八代の沖にあるのが天草上島なのだが、過疎化の煽りもあってか現在は殆どの航路が使い物にならないので、九州道松橋インターで降りてから266号線をひた走って行くことになる。
地元から松橋までは車で概ね2時間ちょい。そこから天草の上島の南部エリアの目的地に行くのに2時間程掛かる。
天草は、その昔は連なる諸島を船で渡るしかなかったのだが、昭和41年に五つの橋、通称”天草五橋”が開通したことによって陸路で乗り込めるようになった。この開通の折りには、予想を遙かに上回る観光客が押し寄せて、40年償還だった筈の有料道は、僅か9年で無料開放された。今でも自然豊かな観光地だが、熊本から何時でも行ける観光地ってことで、行くことそのものの希少性は失われてしまったのかも知れない。
一号橋
二号橋
三号橋
四号橋
五号橋
橋を五つ渡って上島上陸。都合4日程滞在したのだが、あくまで仕事なのでそれほど自由な時間は取れなかった上に、行ってる間の半分以上が雨だったことで、今回は樋島という島の中をウロウロするのが精一杯だった。
上島から樋島には、昔はやはり船で渡らなければならなかったらしいのだが、昭和47年に樋島大橋という大きな吊り橋が架かったお陰で、陸路で乗り込むことが出来るようになっている。この小さな島に、何故コストの高い吊り橋を架けてまで渡れるようにしたのか、その理由は判らないのだが江戸時代には天草地方でも有力な庄屋がこの島にあったことや、古来から非常に選れた水源地だったらしいことから、この島で代々繋いできた伝統みたいなもんが捨て置けないものとして有ったのかも。
樋島大橋といっても、横から見ると結構雄大だが、実は一車線の相互通行で車線と歩道が一つずつしか無い狭い橋でもある。
島内に観光スポットが有るかと言えば、ぶっちゃけ殆ど無い。ただ、今はもう出なくなってきたそうだが、以前は古生物の化石なんかが出ていた外平海岸という自然公園を訪ねてみることに。
時期悪すぎてワロタ。当たり前だが人っ子一人居やしない。天草には樋合島と高杢島という干潮になると砂州が繋がって渡れるようになる有名な観光スポットが有るが、この外平海岸にもそのミニチュア版の干潮で繋がる小島がある。
今回は干潮のタイミングと合わずに渡るのは断念。この浜は絶滅危惧種なんかも棲んでる浜で、海水浴場として整備されたような浜では無く、全くの自然の形の浜なのだそうな。
その後、この外平と反対の海沿いを車で移動してみたのだが、この島はどうやら外平側には平地が無いようで、島民は皆平地のある外平と反対の海辺に暮らしておられるようだ。道中、何故か相撲の土俵があったのだが
聞いた話では、旧暦の盆にここで赤ちゃん泣き相撲大会ってのが開かれてるんだそうです。その土俵の先に更に進もうとしたら、鳥居があってチェーンで行く手が塞がれてしまっていた。先には不動神社ってのがあり、先述の泣き相撲は神社の神事なのだそうな。
更にこの後、この樋島全景が見渡せる竜ヶ岳山頂のミューイ天文台なる施設に行こうとカーナビを起動。雨も降りだして、途中辞めようかと思ったが、「せっかく病」が出て強行したのが大間違い。途中道が二手に分かれていて、俺の勘は右の道を行けというのだが、ナビは左へ進めと言いやがる。どっちが正解かの看板も見当たらず、結果ナビの言うとおり左の登り道を選んだ結果が
VIDEO
↑このザマである。道の両端の植物がどんどん道を狭めていき、遂には道を塞がれて前進出来ず。勿論、両端から突き出た草木を車体を傷だらけにしつつ強引に押し分けて進めば行けたのかも知れないが、そこまでする意味は当然断念。しかし、転回する場所もなく、草木を避けながらノロノロとリバースギアでケチのつき始めの分かれ道まで戻りまして、天文台に行く気が萎えたのでそのまま帰路に就いた。こういうのは、ちゃんと事前に調べてから行かないとダメっすな。
で、結局何しに言ってたかと言えば仕事だったわけですが、何故か帰りに竜ヶ岳町の病院に立ち寄るハメとなり、そこで頂いた結果がインフルエンザA型だったという、、、
帰宅してからタミフル飲んで死んでました。
Posted at 2015/01/21 16:42:51 | |
トラックバック(0) |
えぼじゅう | 日記