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手錠をかけられた、大学推薦目前のクルド人高校生...強制送還後の現実
❚大学推薦目前で届いた「送還通知」
クルド人の高3男子、オランときょうだいの人生もその夏休みに急変した。
11年前に家族とともに来日、バスケットやサッカーが得意でクルド人のサッカーチームのキャプテンも務めていたオランは、推薦で大学に行けることもほぼ決まり、高校の卒業を待つばかりだった。「将来は体育の教師になる」と意気込んでいた。中3の弟のアラルもサッカーが得意で「サッカーの強い高校に行きサッカー選手に」と希望していた。1歳から日本で育つ中1の妹ベリワンもバスケットボールに夢中だった。
だが、「ゼロプラン」がきょうだいの運命を変えた。2025年6月、弁護士のもとに両親の強制送還の期日を示す「送還予定時期通知書」が届いたのだ。8月7日に家族全員で出頭するよう命じられた。オランは苦しんだ。両親が帰っても子どもたちだけでも日本に残ることができないか。その場合、授業料はどうするのか。さまざまな手段にあたってみたが、いい答えはみつからない。
ある日、学校で41度の高熱が出て気を失ってしまった。気がついた時は病院のベッドの上。極度のストレスから心身に異常を来したのだ。一家は国を相手に裁判をすることも考えたが、勝てる見込みの少なさを考えて断念した。
❚出頭したその日、家族は消えた
そして8月7日の午前9時、一家は東京入管に出頭した。わたしも支援者とともに入管に同行した。快活だったオランは、生気のない表情だ。アラルも沈み込んでいる。ただ、この時点でもオランは、子どもだけには在留資格が与えられるとの望みを棄てていなかった。日本政府が日本でずっと育ってきた自分たちをトルコに帰すとは思えなかったのである。
入管の1階にある警備部門。まず父親が呼ばれ30分ほどすると、母親と子どもたちが呼ばれ、部屋に入っていった。
家族が部屋に入ってから2時間経っても出てこない。わたしや支援者は父親やオランのスマホに電話をかけたが「この電話は電源が入っていません」となり、通じないのだ。いやな予感がした。午後1時近くになり支援者が呼ばれ、職員に「家族を拘束しました」と告げられた。家族はその夜の便でトルコに送られた。
翌日、トルコに着いたオランから支援者に連絡が入った。
「飛行機に乗る時に手錠をかけられ、犯罪者をみるように周りの人にみられました。それがすごいショックでした」。日本で体育の先生になるはずだったのに……。オランは続けたという。
「日本という国が本当に嫌いになりました」
❚日本語しか話せないのに...
帰国後の生活も苦難の連続だった。
小学校、中学校、高校と学校が6・3・3制の日本と異なり、トルコは4・4・4制だ。高3のオランは、高校に編入、中3のアラルは高1に編入、中1だった妹は中3に編入した。
オランは高校の授業に出てみて驚いた。「ちんぷんかんぷん。何をやっているのかまったく分かりませんでした」。無理もなかった。日本で小1から高3まで日本語で授業を受け日本語で考えてきた。家庭では父や母とトルコ語で話すとはいえ、それは「寝る」とか「食べる」とか日常会話にしかすぎない。オランの学習のための言語は日本語であり、トルコ語ではなかった。トルコ語で「文学」や「経済」と言われても、オランには分からないのだ。数学など一部の科目は理解できたが国語も歴史も教科の中身が違う。
(ぼくはここでは何年やっても高校は卒業できないだろう)。絶望したオランは、すでに退学手続きをとっていた川口市の高校の教師に連絡をとってみた。すると、「いま高校に戻れるならぎりぎり卒業できるかもしれない」との答えだった。
オランは、日本に戻ろうと思った。だが、日本の支援者らは止めた。強制退去の場合、5年は入国できないと入管難民法で決まっているのだ。
「入国審査で絶対、入管に止められる。下手に抵抗すると収容され、強制送還される。そうなると10年は日本に来られない。やめたほうがいいよ」。わたしも必死に止めた。
❚責めることのできない選択
しかし、オランは日本に向かった。強制帰国から2ヵ月半ほど経過した10月23日のことだ。〈もう向かいます。必ず通ります〉。オランからメッセージが入った。収容されませんように。わたしは祈った。
翌24日朝、トルコからの飛行機がついたころを見計らってわたしはオランの携帯を鳴らしてみた。
「成田に着いてます」。彼が電話に出てほっとした。だが話を聞くと入管には「入国は認められない」と言われ、翌日の便でトルコに帰国するよう言われたという。
成田空港の出国エリアには、入管が入国を認めず出国を命じた人のための宿泊施設がある。入管収容施設ではなく、空港会社が運営する施設だが、監視がつき自由に外に出られないという点では入管の収容施設と大差がない。オランはそこに1泊させられ、25日朝の便でトルコに帰っていった。
結局、入国審査ゲートを通って一歩も日本に入れないままに。しかし、わたしは、オランの行動を責める気にはまったくなれなかった。
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一言で言うと自業自得。
そんなに日本に居着きたかったら正しい順序を踏んでからだろと。先ずは単独で
正しい手順で日本國に入り何年か正しく住み続け居住権を得て初めて妻を呼び着床
させる、其れ等段取りをすっ飛ばして、もう子供産まれちゃったから仕方ないもん
ねとなし崩し的に住み続けようとするからだ。日本をナメていた証拠だ。
カワイソーッとか言っている向きもあるが今の日本國の姿勢が正しいものであって
何ら間違っているところはない。入國管理を曖昧にし続けていたら國と言うものの
成り立ちが続かなくなる。色んな人種が居ていい?其れは他所でやってくれ。
日本國は日本人のものであって数多の(不正)外人のものではない。此処で言う
日本人とは純血種の事であり例え帰化が許された人であっても其のもの自体は外人
のままであろう?気持ちや精神が日本人化したとしても。
米国の庇護の下の國が偉そうに何を(笑)、其れと此れとは違う、例え米国の庇護の下
だとしても一國としての成り立ちは有って当たり前ではないのか?
などと言うと、じゃあ日本に居る外国人一斉に国外退去してもいいのか?と言う
勘違いさんがいらっしゃるかもしれないが、どうぞどうぞと。果たして其の掛け声
にどれだけの外人が賛同するやら。賛同するのは自分の身が危ういそう言う奴等
なのでは?
(文中“外人”と使っているが私は“外国人”ではなく“外人”だと思っているから。
外の国の人ではなく外の人、其れの何処が酷いのですか?日本國の外の人です
よね?間違ってますか?、一箇所“外国人”使いは他者の発言であるから)
なーんて書くと、またイタい事書いてやがんなと思われるでしょう。
いいんですいいんです、どう思われようと。イタい奴がイタくない様書くなんて
無理なんですから。
Posted at 2026/01/08 09:49:46 | |
キチガイ | 日記