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ボヤの字のブログ一覧

2014年04月15日 イイね!

オスガキってさあ

ふなっしーが「ボコボコに」。子供たちに殴られても黙って耐える理由。
大人気ご当地キャラ・ふなっしーが7日に放送されたフジテレビ系『バイキング』の中で、“最近子供だけでなく、大人にまで殴られる”という悩みをMCの坂上忍に訴えていた。このマスコットキャラクターに対する暴力問題はほとんどが公にならないが、被害を受けるキャラクターは実際に多いらしい。

ふなっしーは『バイキング』(フジテレビ系)の中で、暴力は“子供ならまだ許せる”としていた。生身の大人の男性なら、小学生ぐらいのやんちゃな盛りの子供たちに叩かれたり蹴られたりしても、適切な対処ができるかもしれない。だが多くのマスコットキャラクターは動作がゆっくりで、視界が極端に狭い。アテンドと呼ばれる付き添い無しでは、歩けないキャラクターもいる。たとえ俊敏なふなっしーであっても、後ろから押されただけで大ケガにつながる可能性さえあろう。大人であっても子供であっても、キャラクターに対する暴力は許されない。

このふなっしーの悩みに対してネット上では、「ボディガードを付けた方が良い」との声が見受けられた。しかしマスコットキャラクターの使命は人々と交流することである。有名無名に関係なく気軽にイベント会場を歩き回り、人々と触れ合うのが大きな役割なのだ。今やアイドル並みの人気者となったふなっしーであっても物々しい警護を付けることは、何よりも本人(梨)が望むことではないだろう。

ふなっしーの大ファンを公言している大渕愛子弁護士の3月30日のブログ『大渕愛子の無駄のない日々』の中で、イベント会場でふなっしーがふざけている子供たちから暴力を振るわれていた場面の記述がある。大渕弁護士の友人の目撃談でボコボコ叩かれているふなっしーが、何も言わずジッとうずくまっていたというものだ。たとえ明るく「やめてなっしー」と言っても、それだけで周囲が緊張した空気になることが分かっていたのだろう。その場の楽しい雰囲気を崩さないよう、ただ時が過ぎ去るのをふなっしーは待っていたそうだ。

立場の弱い者や抵抗できない者に暴力を振るうことが、どれだけ人間として恥ずかしいことか。せめて未来ある子供たちには親だけでなく、周囲の大人が諭してやるべきであろう。ただ大人からの暴力行為が増え続けるようであれば、厳しい態度で臨むことも考えなければならない。

ーーーーー

キャラもんに対して遠慮無しにボコるのって殆どがオスガキだよね。なんなんだあれって。
ええ年こいてイヤイヤ期が治ってない(済んでない)赤ん坊みたいなもんだ。
男子って中学生になってもまだガキだもんねえ。こないだとあるSCのフードコートで走り回ってやがった。その点女子は早いうちからおばちゃん化してるっつうか(井戸端)。
女性は産むというのがあるから早熟っぽい、雄はそういうの関係無い、だからいつまでもガキ。
体も人並みになってきてるのに人前で平気で奇声上げたり走り回ったり、ああ言うの見ると
うわぁぁって思う。厨二病って男子特有なんじゃないかって思えるわ。
いやそんなことより
『立場の弱い者や抵抗できない者に暴力を振るうことが、どれだけ人間として恥ずかしいことか』
うむっ然り当然イエスッ。
恥ずかしいなんてもんじゃない、下卑てる、出来損ない、さもしい、ゲス、そして人間の屑。
小学校お受験や舌っ足らず英語教育に力入れてる暇があんなら人間的教育をせよ。
人となりが無くして何が教育か。物事を覚えるなんて後からでも出来る。
人格形成は後からじゃだめなんだよ。
親からして非人間だからなあ。まあ例はここで挙げるまでもないが。
負の連鎖と世間では言うが俺的には親の因果が子に報い~だな。
人間としてダメさ加減を伝えているということに気が付かない。
こういう奴等って競争社会を勘違いしてんじゃないかね。
かと思えばみんな一等賞よっフンガーッってBBAもいる。
女(の教育)って両極端。
Posted at 2014/04/15 12:14:01 | コメント(0) | 今日のボヤキ | 日記
2014年04月15日 イイね!

それはちょっと違うような

「俺、僕、パパ……」 なぜ日本人だけが一人称を使い分けるのか?
親族といて居心地が悪い思いをすることがしばしばある。妹が自分の子どもに対し、私のことをお姉さんなどと言わせる時、私は内心、私はあんたのお姉ちゃんじゃないわいと思う。

妹にとっては私は確かに姉だけれど、その子にとっての私が姉であるはずはない。だが、日本語ではそういうのはごく普通で、夫と妻はパパとママとか、お父さんとお母さんだし、実家の父は孫にもパパと呼ばれており、私はこれにもなんとなく居心地の悪い感覚を抱いていた。

日本ではこれが普通なのだから、それでいいのだが、それは日本だけであると『ことばと文化』(鈴木孝夫著)は言う。

それによると、ヨーロッパ諸語の一人称、二人称は数千年の間変わっておらず、誰が話者であるかによって変わるだけであり、誰を相手にしゃべっているから変えようというものではない。

ところが、ご存知のように日本での一人称は人により、場面により、時代により異なる。


「わたくし」「ぼく」などは古代日本語に遡ることができないばかりではなく、「ぼく」などは、口語に於けるその使用の歴史が僅か百年あまりという新参者にすぎない。
(同書より)

では、その一人称にはどんな種類があり、種類によってどう使い分けられているのか。

同書はそれを細かく調べていくのだが、明らかになったことは、日本語のこの不思議な使われ方は日本人の行動様式と深く結びついており(当然だと思う)、それは日本人が、日常の対人関係の中でいかに上下の役割を重視しているかを表すものであると。

確かに、酔っ払って俺はさ~という男が上司の前で同じ一人称を使うことがないことを考えると、そうだよねえと思う。場によって、力関係を見ては言い方を変えているのだ。

話し手が自分を指していう言葉は言語、つまり言葉でもって表されている世界での座標軸の中でどう自分を位置づけるかということでもあり、座標軸が定まらないと自称ができない日本語が世界の中で自己主張できないのはむべなるかなという点にもいたく同意した。確かに、自分と相手の距離関係を測りながらの発言では遅れをとるわいなあである。

以上、面白く読んだのだが、ひとつ、疑問。

男性には一人称で俺、ぼく、私などと思いつくものがいくつかあり、場面によっては手前どもなんぞという古臭い言い方をすることもあるが、
女性の一人称は私、あたし、あたい(あまり聞かなくなったが)、う~ん、男性に比べいくぶん、少ないように思う。

これは社会の対人関係の中での上下関係の多少を表すのか、それとも男性のほうが上下関係を気にしている結果なのか、鶏と卵のようではあるが、どうなんだろうということ。まあ、どっちでも良い話ではあるのだが。

ことばと文化 (岩波新書) [新書]

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上下関係じゃなくて表現の豊かさじゃ?
カッコつけたいとき:俺、かしこまるとき:私、ちょっとおどけるとき:僕、とかさ。
>私はあんたのお姉ちゃんじゃないわい
そのものズバリなお姉ちゃんではなくお姉ちゃんという言葉には色々含まれているけどこの場合は誰それのという従属(か?)の意味ではなく単なる総称で使ってるだけで、おかしく思う方がおかしいんじゃないかと。それはそれこれはこれ、これこそ外人的思考のような気がするが。
日本には四季があるそれによって言葉の豊富さが増えたと思ってる。だから色んな意味・物の機微を表す言葉も出来た。私はIしかない英語よりその表現の豊富さに於いて良い言語だと思うがねえ。
Posted at 2014/04/15 11:05:29 | コメント(1) | チラ裏 | 日記

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