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あいちトリエンナーレ「真っ当」朝日新聞が忘れたおカネの重み
(全文引用)
国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」について、芸術祭の実行委員会と「不自由展」の実行委が展示再開で合意した。再開時期は10月上旬の方向で、双方が今後協議するという。だが、両実行委の和解よりも前から問題は再燃していた。
理由は2点ある。一つは「あいちトリエンナーレのあり方検証委員会」が中間報告書を出したことで、もう一つは文化庁があいちトリエンナーレへの補助金を全額支出しない方針を決定したことだ。
あいちトリエンナーレ問題については、既に本連載で以下のように指摘した。「より具体的に言及すれば、文化庁などの助成が妥当だったかどうか、その支出基準との整合性が問われる。これは、大村氏(秀章・愛知県知事)や津田氏(大介・芸術監督)ら実行委員会の責任だけが問われていると考えるのは間違いだ。文化庁側のガバナンスも当然問われている」という公的助成、つまり補助金(公金)のあり方について問うものだった。
「表現の不自由展・その後」では、政治的論争の対象になってきた慰安婦像や、昭和天皇の写真をバナーで燃やし、その灰を踏みつける動画など、多くの日本国民に批判的感情を抱かせる展示があった。
難しい芸術論を本稿で行うつもりはない。一人でも「芸術」と思えば、それが芸術だろう。
これは筆者の専門であるアイドルでもいえる。一人でも「アイドル」と思う人がいれば、そのときにアイドルは誕生する。これは厳密に正しい。だが、同時にわれわれがその「芸術」に対して、どのような感情を抱くかもまた自由だ。
特に政治的な対立をあおり、自分たちが大切にしている国民としてのアイデンティティー(帰属意識)を逆なでする「芸術」ならば、それに適切な対応をするのは、少なくとも公共の展示では、筆者は当たり前だと思っている。そうでなければ、単に公共の場を利用した不特定多数に対するハラスメント(嫌がらせ)でしかない。そして、今回の「表現の不自由展・その後」の上述した展示物は、ハラスメントとして多くの人々に心理的な傷を与えたといっていい。
検証委の中間報告では「誤解を招く展示が混乱と被害をもたらした最大の原因は、無理があり、混乱が生じることを予見しながら展示を強行した芸術監督の行為」と津田氏の責任を指摘している。一方で、実行委会長でもある大村氏に対しては、「検閲」を禁じた憲法の制約や、リスクを軽減するガバナンスの仕組み欠如を理由に、その責任が事実上不問にされている。
筆者は、津田氏がこの中間報告を真摯(しんし)にとらえているとはいえないと理解している。自らの責任で招いた不祥事について、文化庁の補助金を交付しない方針の撤回を求めるインターネット上の署名活動を強くあおっているからだ。これは政治的な対立を招く行動だろう。
そして、筆者が問題発生当初からツイッターなどで指摘しているのは、津田氏の狙いが社会の分断にあると思っているからだ。その意味では、「表現の不自由展・その後」の中止も、文化庁の補助金交付撤回も、その具体的な内容はともかくとして、彼の狙った方向だとはいえないだろうか。現に、中間報告でも「ジャーナリストとしての個人的野心を芸術監督としての責務より優先させた可能性」を指摘されている。
大村氏の責任について端的に指摘できるのは、展示物が多くの人にハラスメントとして機能していることを、事件発覚後もあまり重大視していないことである。しかも検証委は、中間報告で憲法や仕組み不在を持ち出して、行政を事実上免責にしている。
だが、それはあまりにも陳腐な言い訳であり、検証委の説明に説得力はない。こんな屁(へ)理屈など無視して、単に県民と国民が大村氏の政治的責任を今後追及すればいいものだと、筆者は理解している。
文化庁の補助金不交付だが、これは大学や研究機関への補助金でも十分にあり得る事である。事前の補助金のルールとは違う事実が判明すれば、補助金がカットされることや、特に悪質な場合には訴訟などの責任問題にもなる。
今回の文化庁の対応は異例だという指摘があるが、当たり前である。今回のような公共展示における不特定多数へのハラスメントはまさに例外だからだ。例外な事態に例外で対応したとしても、おかしなことはない。
また、国際政治学者の三浦瑠麗氏などのように、補助金の全額撤回はおかしい、という主張がある。ネット上でも、展示スペースの大きさや実際の展示費用などを計算して、その分だけの補助金カットなら理解できる、という意見がある。
しかし、補助金には事前に決めたルールがある。文化庁も不交付の理由の中で「『文化資源活用推進事業』では、申請された事業は事業全体として審査するものであり、さらに、当該事業については、申請金額も同事業全体として不可分一体な申請がなされています」と説明している。つまり、一部だけの撤回は、あいちトリエンナーレだけをむしろ特別扱いしてしまう。
補助金は「表現の自由」や芸術、文化を持ち出せば、どんな内容でも認められるものではない。当たり前だが、「公」のおカネを利用するには、それなりのルールがある。それを守らないのであれば、補助金が使えなくなるだけである。
ところで、この「表現の不自由展・その後」をめぐる問題に、朝日新聞はほぼ社を挙げて取り組んでいるようだ。9月27日の社説「あいち芸術祭 萎縮を招く異様な圧力」でも、「少女像などに不快な思いを抱く人がいるのは否定しない。しかし、だからといって、こういう形で公権力が表現活動の抑圧にまわることは許されない」と述べ、同社の立場を鮮明にしている。
では、公権力は表現活動の抑圧を行っているのだろうか。上述の通り、あくまで事前に決めた補助金のルールを守るかどうかの話である。
報道ではあまり触れられていないが、文化庁の決めた補助金の不支出決定は「実現の可能性があるか」「事業の継続性があるか」の2点を特に重視して判断される。「表現の不自由展・その後」は、補助金の審査段階で展示が中止されていたため、この2点を満たすことができていなかったのである。
やっていないし、これからやるかどうかも分からないものに補助金は出せない、というのは当たり前すぎる判断ではないか。これが表現活動の抑圧というならば、責任は、むしろ中止の判断をした大村氏や愛知県側にあるだろう。だが、朝日新聞の社説では、県の行政責任を追及するよりも安倍政権批判が明白である。
さらに「ヘイト行為の一般的なとらえ方に照らしても、少女像はそれに当たらない」という検証委の指摘を、朝日新聞の社説は「真っ当」と評価している。しかしヘイト行為は、被害を受けた人に不快な感情や自尊心を傷つけられたとする感情をもたらすものである。
この社説でも「少女像などに不快な思いを抱く人」がいることを認めている。だから中間報告のように、法的な規制の定義などをこの場で持ち出すのは無意味だ。
この展示がもたらしたハラスメントは、多くの人に国民としての自尊心を過度に傷つけられただけでない。自分たちの税金を利用して行われたことによって、さらに傷ついている。
展示は妥当ではない、と多くの人が思っている。これは自明なことで、一部メディアが実施したアンケートでも明らかなレベルだ。
しかもこの展示は、芸術監督の自発的な意図として成立した、むしろ積極的で公的なハラスメントともいえるものだ。この側面に対する国民の被害感情を軽視している人が、メディアや文化人界隈(かいわい)に少なからずいることに驚かざるを得ない。
ちなみに、今回の文化庁の決定が、今後政治的な介入を生み出し、地方の芸術祭において、補助金の使途を萎縮させるなどと過剰に言い立てる人たちが文化人界隈にいる。これも今のところ、何の根拠もない。
そんなに文化に対する補助金の萎縮が心配ならば、財務省の予算緊縮路線を批判すべきだと言いたい。その批判ならば、筆者はもろ手をあげて賛同する。
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>補助金は「表現の自由」や芸術、文化を持ち出せば、どんな内容でも認められるものではない。当たり前だが、「公」のおカネを利用するには、それなりのルールがある。それを守らないのであれば、補助金が使えなくなるだけである。
>やっていないし、これからやるかどうかも分からないものに補助金は出せない、というのは当たり前すぎる判断ではないか。これが表現活動の抑圧というならば、責任は、むしろ中止の判断をした大村氏や愛知県側にあるだろう。だが、朝日新聞の社説では、県の行政責任を追及するよりも安倍政権批判が明白である。
>この展示がもたらしたハラスメントは、多くの人に国民としての自尊心を過度に傷つけられただけでない。自分たちの税金を利用して行われたことによって、さらに傷ついている。
難しい事は私には言えませんが、
・補助金を出されないのがそんなに屈辱なの?、と。そんなにしたかったから他人の金に頼らず自分等の資金でやんなよと。補助金が出されない展示会はしてはならぬって訳じゃないんでしょ?
・そして展示会自体について。表現の自由には限度ってもんがあんですけどねぇ、知らないんですか?、極々身内しかも私邸でやる分には構わない、だけど公の施設を借り公に金を出させてやる展示にはある程度制限が掛かるのは致し方無いと思いますけど。
・○○○像でさえ公の施設・金でやるのは政治的意図は抜きにしてもフザケンナッなのに昭和天皇の写真を燃やすだけでなく踏み付ける、これが芸術?ハァ?その意図は何?芸術と言うからには何か有る筈だ。
・3つ目の引用、そう、こんな馬鹿げた事は無い。税金を出すと言う事はそれを認めた事になる。○○○の存在を信じているのは好きにしてくれ、だけど公金で公の施設に展示するとは存在を信じていない人達を非常に馬鹿にしている事になる。信じていない私達のお金でなんて馬鹿にされているどころか尊厳の否定に近い。昭和天皇の写真に付いても同じ。昭和天皇を嫌っている憎んでいるのなら私邸でやってくれと。昭和天皇と言えど肖像権は有る(と私は思っている)、貴方が死後そんな真似をされたらと思うとどんな気分ですか?
まあ、要するに人の懐当てにせずテメエんちでやれよと。
甘えんなっ、と。