
「生涯(国産)2ドアクーペに乗る」意志を固めた自分は、最初の関門としてスペシャルティかスポーツかの選択に迫られた。当時社会人2年生の資力は無尽蔵と程遠く、中古車とはいえ高級パーソナルクーペはローンを組んでもなお高嶺の花の存在。でも到底新車で買えないモデルの所有こそ、決して夢で終わらせず現実としてステアリングを握る至上の悦び(=醍醐味)に他ならない。半ば無謀とも思える戦略を以って、不退転のブレない覚悟でスタートを切った。
今回のブログからシリーズで自らの車歴(カテゴリーMY CARS参照)を回顧すると共に、その背景や赤眼の黒豹の想いを振り返ってみる。
日産F31レパード

「表現力」をキャッチコピーにシャープなスタイリングとセンスの良いツートンのボディカラーを纏い、初代から一転2ドアクーペのみで勝負。ただ開発のターゲットを見誤って10ソアラに置いたばかりに、劇的に進化した20ソアラを前にメカニズムも販売も大きく遅れを取った。C33ローレルに乗る(当時)職場の先輩から大切にしていたカタログを譲り受け、温めていた夢を現実にする決意を固める。「あぶない刑事」に憧れた結果でない証に、発売当初からのイメージカラーであるダークブルーツートンのアルティマを迷わず選択。
マツダユーノスコスモ

「コート・ダジュールに似合う」と徳大寺有恒氏に言わしめた、抑制の効いていない高級パーソナルクーペ。歴代コスモのコンセプトに違わず、マツダの多チャンネル化の一翼であるユーノスブランドのフラッグシップとして誕生。特にウルトラスムーズな20B(3ローター)エンジンは自主規制の280PSに抑えられたものの、本来300PSオーバーをマークするポテンシャルを秘めていた。ワイド&ローの艶やかな起伏を纏う唯一無二のボディラインと高級なインテリアは、このクルマを所有する者がクルマに求めるファクターを満たした。ブラック/ゴールドツートン&ブラックインテリアを装うスポーティグレードのタイプSを選択。
スバルアルシオーネSVX(輸出名SUBARU SVX)

117クーペやピアッツァといった独創的なカーデザインで世界のクルマ好きを魅了してきたジョルジェット・ジウジアーロにより手掛けられ、悲運にもバブルが崩壊した年に世に送り出された。イメージカラーはシルバー/グレー/ブラック(ルーフ)のスリートーンで、グラスキャノピーを始めそのスタイルは当時の製造技術の限界(←自分が購入した個体も歪んだフロントウインドウを交換)を超える程に先進的。生まれた時代が早過ぎたか、また格好良ければ売れるとは限らない見本として販売的には不振を極めた。完成された究極のスタイルを誇るSVXを機に、自分はこれ以上は望めないと実質的に国産クーペの選択肢を失う。
日産F31レパード(輸出名インフィニティM30)

20ソアラ打倒を目指してフルモデルチェンジに匹敵するビッグマイナーチェンジを施した、後期型のF31レパード。アメリカマーケットを主眼に送り出した輸出仕様はM30の呼称が与えられ、レクサスやアキュラに対抗するインフィニティブランドで売られた。国内仕様ではY31シーマで「暴力的な加速」を発揮したVG30DETを搭載する自分が選んだアルティマターボを筆頭に、「レパードにはジェントルなNA(自然吸気)こそが相応しい」とアルティマ(VG30DE搭載)を選んだ漆黒の豹こと弟の考え方もまた興味深く趣がある。
ホンダKA8レジェンドクーペ(輸出名アキュラレジェンド)

現在まで車歴に入らなかったものの、絶滅危惧種ながら街で奇跡的に目撃する機会がある。上記の3台を乗り継いだ頃は、「クーペも選べます」とばかりセダンと共通のバタ臭いコックピットやリヤエンドの切り方が気に食わなかった。でも残存するタマ数が絶望的に減るにつれ、クーペの全方位で隙の無い"大人"な佇まいに改めて目が離せない。かつて「ホンダ車に乗る人は賢く見える」とされた定説は、このクルマにおいても何か並外れた見識を持ち合わせたドライバーを連想させるから不思議。
レクサスURZ100LC500

レクサス一連のファミリーフェイス"スピンドルグリル"により遠目には車種が見分けられない中にあって、恐ろしくワイド&ローのスタイリッシュボディで圧倒的存在感を主張するフラッグシップ。間違い無く車歴に刻まれることは皆無、ただし夢を抱く自由は誰にだって備わっているはず。栃木県警の白/黒ツートン(パトカー)で連行(護送)されるケースは御免だけど、レンタカーで構わないから一度でもその走りを味わってみたいナ~。
♪HUBERT KaH/ANGEL 07(1985)
Posted at 2024/11/04 20:00:44 | |
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ESSAY | クルマ