何故か暑くて寝苦しい美瑛の道の駅で車中泊して迎えた朝。天気は予報の通り曇天。
晴天なら「青い池」が鮮やかな青に見えるんだろうけど、この天気だとイマイチだろうから行くのはヤメだな。と言うわけで早々に道の駅を後にする。
( ´・д・)でも、一応この辺りらしい景色でも見ておいた方が良いかなぁ。
なんて気まぐれを起こし、国道脇に現れた何かに車を駐める。
「ぜるぶの丘」?聞いたこと無いな。でも花壇に色とりどりの花とラベンダー・・・これだけ見れれば富良野に寄らなくて良いな。
ほぉ、こんなオモチャで構内をドライブ出来るのか。面白そうだな。
でも営業時間まではまだまだあるので、さっさとここを後にする。
更に途中、神居古潭に寄ったりしてみる。
( ´-д-)無駄に余計な距離を走ってる気がする。
そして、来年5月7日の廃止が決定している札沼線の新十津川駅に到着。誰もいない。
ん~、まだ7時半か。
『母子(おやこ)の村』のポスター。ここは新十津川駅。この駅がある新十津川町は、奈良県の十津川村からの入植者が開いた町。移住元の村との交流が今でも続いているのね。・・・どういう交流をしてるのか知らんけど。
駅舎正面の入口引き戸のガラスに貼られていた「新十津川駅の”今”をYouTubeで配信中!」な紙。隣の病院の屋上に設置したカメラの映像を24時間配信しているようで。・・・需要があるのか?
駅舎内に貼られたカレンダーには、びっしり何やら書き込まれていましたよ。「新十津川駅到着降車人数 観光案内所調べ」だそうで。毎日二桁の人が乗ってるんだねぇ。ゴールデンウィークには100人越えの日も?40形1両で対応したんだろうか。
妙に立派な駅ノート。「このノートに書かれたことはホームページに掲載されます」ですか。とても放送に堪えないようなことを書いても掲載されるんだろうか。
早起きしすぎたせいか眠くなってきたので、ここで少し仮眠・・・と思ったら、思いの外寝過ぎてしまった。まだ間に合いそうか、なんて思いながら慌てて車を出す。
( ´・д・)おぉ、来た来た。
札沼線の最も奥になる浦臼~新十津川間は、一日一往復しか列車が走りませんよ。幾ら不採算路線と言っても、1両編成の普通列車が一往復するだけじゃ絶対に採算が取れるわけも利用者が増えるわけもない。ハナからやる気の感じられない素敵なダイヤ編成。
この一日一往復の区間をちょろっと乗って往復してみる。
下り列車の車内は・・・結構乗ってるな。閑散線区中の閑散線区にしては。
車内にはエアコンなんて気の利いたものは存在せず。「JNR」のマークの付いた扇風機が一生懸命ブンブン回ってましたよ。ただ、この日は外気温が30度以上。窓を開けようが扇風機を回そうが、ぬるい風がぬる~っと肌にまとわりつく感じがするだけで一向に涼しくなる予感すら感じられない。
20分間程度の乗車で、終点の新十津川駅に到着。
観光案内所の人なのか、降車客を数える声が聞こえてきたけど、この日も平日なのに40人を超える乗客がいた模様。そうか、今は世間のガキ共は夏休みなのか。・・・乗客はガキばっかりじゃなかったようだけどな。
新十津川駅前に、つかの間の賑わい。
一日のうち、新十津川駅ホームに列車が停車しているのは、この列車が折り返す30分間のみ。
運転士が折り返しの準備をしている間に、早くも乗車待ちの列が。
駅舎をまた見てもしょうがないので、私も早々に車内に戻る。
上りの乗りは・・・よく分からんな。下りと同じくらいか。
運転士後ろから前面展望を見・・・たいけどよく見えない。
見えない。
( ´・д・)ノシ さいならぁ~。
ドライブ途中の列車旅は以上で終了。ここからどうするべ。前日日没時間切れのため訪れられなかった某所へ向かうことにするか。
その途中、通りかかった歌志内で、
( ´・д・)そういや、歌志内に道の駅があったな。何年か前に「なんこ丼」を食ったけど、久しぶりに寄ってみるか。
なんてことを思いつきましたよ。4年前に、歌志内名物と言われる「なんこ」(馬の腸を玉葱・長葱・生姜などと一緒に8時間以上煮込み、味噌で味を調えたもの・・・らしい)なメニューをいただいています。
(2015.1.25撮影)
世間では道の駅は流行っているようで、テレビやなんかでも繁盛している道の駅が度々紹介されていますね。歌志内の道の駅も賑わっているのかな?
11時頃、歌志内の道の駅に到着。良い頃合いだ。駐車場に車は・・・全然いない。どうした?まぁ、お目当ては決まっているので、意気揚々と車を降り、暑い中、道の駅の建物へと歩いて行く。そして入口に着くと、
「・レストラン部門
・売店部門
は営業しておりません。」
( ゜д゜)ほぇ?
中に入ってみると、昔レストランだったスペースはその痕跡も無く、パーティションがいくつか置かれ、聞いたことも無いような画家か何かの作品が幾つか貼られていただけ。
( ´;,д,;)・・・楽しみにしてきたのに。
旧歌志内線を紹介する写真パネル。この路線は、大半はサイクリングロードに転用されたようだけど、ほとんど鉄道の痕跡が残されていない状態。こんなところにこれだけがポツンと置かれていたのか。
このほかには、いくつかの段ボール箱が野菜を入れられ床に置かれていて、その販売員らしき一人がいるだけ。・・・そのうちこの道の駅は廃止になりそうだな。
飯が食えないならこんなところに用はない。さっさと先に進むことに。
国道38号に出て右に曲がりしばらく走ると、前方に異様な物体が。
バブルの頃にレジャー施設の一環として建設された巨大観音像ですな。今はどこぞの宗教法人の所有になってるようですが。
芦別の道の駅。この敷地を取り巻くように、「ガタタン」「ガタタン」と大量の幟が並んでいたので気になって入ってしまいましたよ。
芦別市総合観光ガイドのHPによれば、
—————————————————————————————————
それにしても「ガタタン」とは、食べ物とは思えない不思議な名前です。でも「含多湯」といえば、中華料理かも?と気づく人もいるでしょうか。そのとおり、ガタタンのルーツは中華にあります。旅の大きな楽しみが、地元ならではのおいしい味。芦別で一つあげるとすれば「ガタタン」でしょう。ガタタンを一言で言えば、具だくさんでとろみのあるスープ料理。芦別だけで受け継がれてきた名物料理です。
ガタタンは戦後、旧満州から芦別に引き揚げた「村井
豊後之亮(ぶんごのすけ)」という方が、中華料理店「幸楽」(後の「幸楽」とは別の店)で出したのが始まりとされています。名前は小麦粉を水で練って小さな塊にした中華料理の「ガーダ」がルーツという説があり、あっさり塩味のスープで油が少なく胃もたれしないのが長所です。ガーダのほかにも野菜や肉、魚介や山菜など多くの具を入れ、片栗粉でとろみをつけて、仕上げに溶き玉子をふんわり流し入れたら芦別名物「ガタタン」の完成です。
—————————————————————————————————
だそうですよ。
店内に入り、スマートに注文を済ませてしばし待つ。
異様だなぁ。
5分ほど待って出てきたのは、「期間限定 ガタタン担担麺(950円)」。
麺はまっきっきで縮れた札幌ラーメン風。
( ´-д-)なるほどねぇ。
腹ごしらえを済ませたら、国道452号を南へ。集落を一つ過ぎた辺りで右手にお目当てのブツが現れる。
鉄橋の上に、ディーゼル機関車とセキ車。走ってませんよ。留めたまま放置されていますよ。
結構深い谷の上。
ここは旧三井芦別鉄道の炭山川橋梁。炭鉱は全て閉山し、当然石炭を運んでいた鉄道も全て廃止になったけど、何故かここにはこうして鉄橋と車両が残されてるのね。
( ´・д・)地震や台風で落ちたりしないんだろうか。
さて、航空写真やブログを見ると、この鉄橋は国道と並行しているけど、脇道に入れば機関車の正面に回って見ることが出来る様子。早速脇道へ入ってみることにする。
・・・残念でした。「通行止 開通未定」ですか。
( ´・3・)むぅ。
芦別から砂川に抜けるこの道道115号は、土砂崩れのために通年閉鎖中なんですと。
さて、どうしたものかと車内に戻っていろいろググっていると、ゲートの向こうに停まっていた車から作業服姿の青年がやって来ましたよ。
<ヽ`∀´>「通りますか?」
(;´・д・)「えっ?」(通行止めだろ?)
<ヽ`∀´>「関係者の方ですか?」
( ´・д・)「いいえ、ただの観光で」(聞くならそっちの方が先だろう)
<ヽ`∀´>「この先通行止めですし、見るようなものは何も無いですよ」
( ´・д・)「いや、そこの鉄橋の上に機関車があるのを、そっちから見てみたいなと思って」
<ヽ`∀´>「そうなんですよ!貨物列車があるんですよ。僕も写真撮っちゃいました」
(;´・д・)(おいおい、仕事中だろ。それはコンプライアンス的にどうなのよ)
<ヽ`∀´>「でしたら入りますか?すぐそこですから」
(;´・∀・)「いえ、やめときます」(部外者を入れちゃマズイからあんたが雇われてそこにいるんじゃないのか?許可受けてるなら良いけど)
というわけで、一応見たいものは見れたので次に向かう。
・・・と言っても、この先特に見たいものがあるわけでも無し。適当にドライブすることに。
根室線の幾寅駅。鉄道が不通になって、もう3年になるのか。
「注意 警告 Caution
7月12日、この駅前に熊が出没しました。」
(;´・д・)列車の運転再開が待ち遠しくて熊も出てきたか?
ここは南富良野町の中心市街地なんだけどな。出るもんは出るんだな。
石勝線の占冠駅。
海抜348m。これは高いんだろうか。小海線とは全然張り合えないレベルだけど。
占冠の駅は、広大な占冠村のちんちゃこい中心市街地の更に外れにあります。だもんだから、駅周辺の商業施設はこの占冠村物産館くらいのもの。一応入ってみる。
2階にレストランがあった。こんなところに客が来るのか?当店のおすすめ品は、
「キリバス共和国 クリスマス島の海の塩 山菜塩ラーメン¥650」
(;´・д・)なぜ北海道の山の中でキリバス共和国?クリスマス島?
国道274号から脇道の道道に入ると、怪しい神社が現れた。柵の向こう?
鹿よけの柵を設置するときに、神社は人間のエリアじゃなく、鹿のエリアとみなされたということかしら。
( ´・д・)どこだかでは鹿は神の使いらしいけど。
旧富内線の富内駅跡。日高線の鵡川を起点に日高町までを結んでいた路線の中間の駅ですよ。元々は根室線の金山まで延伸する計画だったとか?最初にそんな計画を立てた連中は採算性についてどう考えてたんだろうね。
JRに移行する前の国鉄時代のうちに廃止されたのね。
ホームに出て下り方を見る。面白そうな乗り物があるけど、勝手に乗ったら拙いかな。一人じゃ向きを変えるのも大変そうだし。歩くか。
下り方へしばらく歩き、道路に突き当たる辺りで線路は終了。踏切は撤去済み。振り返ると場内信号機が見える。
腕木式信号機やら転轍器やらに滑車を介してケーブルが繋がっている。・・・いや、繋がっていた、か。滑車をぶら下げた腕が付いた人の背丈ほどの柱が、線路に沿ってほぼ等間隔に並ぶ。これが駅の信号テコと腕木式信号機を結ぶワイヤーを支えていたのか。
上り方にも歩いてみた。
悪ふざけにしか思えない謎のオブジェ。
駅舎に戻る。上り方、下り方からのワイヤーは、ここに集まっているな。ということは、ここに信号テコがあるのか。
戸が開いた。いや、勝手に開いたんじゃなくて私が開けたんだけれども、鍵は掛かっていなかった。
信号テコは8本。主本線、副本線のそれぞれの上下の出発と場内。上り本線と下り本線の出発のテコだけ、握り部にレバーが付いていて、固渋していて動かせなかったけれども、他の6本はワイヤーが繋がっていないせいかスムーズに動かせる。しかし、重りが付いていて、それがまた重い。信号テコを倒した状態で支える為に、ロック機構でなく重りで支えてたのか。
レバーの付いている2本には重りが無いんだな。レバーでロックするのか。
壁の上を見ると、踏切代用テコ。取扱方が書かれた紙が破れて読めなくなっているのが残念。
入口の脇に「発煙信号」の小さい札と電気のスイッチがあった。
( ´・д・)ひょっとして、このスイッチを入れると、どこかにセットしてある信号炎管が燃え出すんだろうか。
なんてことを考えながら恐る恐るスイッチを入れてみると、この部屋の天井の照明が点灯しましたよ。・・・ほっ。
そこそこ富内駅を堪能した後、もうすぐ日没と言うことでもう一箇所寄ってみた。
旧富内線の振内駅跡に作られた鉄道記念館ですよ。建物はもう開館時間が終わってますが。
構内に残された線路上の客車2両。ライダーハウスなんて看板が立ってるけど、営業中なんだろうか。
構内にはもう1両、SLが静態保存されていますよ。
D51-23。ちょっと変わったお名前。
別海町の鉄道記念館にある赤い差し色(?)の入ったD51-27と同様、大東亜戦争後の戦後賠償として露助に輸出されたもので、車号に日本の車両では見られないハイフンが付いているのはそのためだとか。ソ連崩壊のゴタゴタに紛れたかして日本に帰ってきた車両だそうだけど、デフレクタには寄贈者の名前が。・・・物好きな個人が買い戻して寄贈したのか?
別海の個体と違って、こっちは手入れの状態があまり宜しくない感じ。一応色を塗ったことがあるようだけど、車輪のフランジから運転席のハンドルから何から何まで真っ黒け。愛が足りないな。
( ´-д-) ハンドルやバルブの類は真鍮だよな。そんなとこまで真っ黒く塗る必要があるのかね。
(参考)前日岩見沢で見たC57の運転台
( ´-д-)結構疲れたな。
ズリ山登山は余計だった。あの後数日間、太腿とふくらはぎの筋肉痛で階段の上り下りすら苦痛で苦痛で。
~ 以上 ~
( ・ิω・ิ)ノ ども。umibozeですよ。
先日ちょろっとドライブに出掛けたときのお話。
岩見沢方面に向かう国道を走っていると、栗山の街を過ぎた辺りで右手に現れる気になる遺構。今回、初めて足を踏み入れてみることに。
この日は遺構の岩見沢からアプローチ。国道の上に架かる架道橋も遺構の一部。脇にスロープがあるので、車で乗り入れてみますよ。
車で乗り入れると・・・先客がいた。(;´・д・)
ここは室蘭線栗山~栗丘駅間の旧下り線。もともと複線区間だったところ、とある理由からこの旧下り線が放棄されて、現在は旧上り線を利用しての単線運転になっていますよ。さて、何故放棄されたんだろうねぇ。
先ほどの架道橋。手前の線路上には柵で通せんぼ。まぁ、こっちの方は本命じゃないから、深入りせずにここで引き返すことにする。
反対側を振り返ってみると、そこには先客のバイクが。・・・いや、そこにはトンネルが。木や草が青々と茂る中を、トンネルに向かって歩いて行く。
すると足下の軌間内に、黒い物体が現れた!
(;´・д・)熊の糞か?こんなところにも熊が出るのかよ。
トンネルの入り口。廃棄されたトンネルは、入口をコンクリートで塗り固めたりして入れないようになってることが多いけど、ここは何も無し。
( ´・∀・)何も無いってことは、入って良いってことだよね?
ふと足下を見ると、今度は小鳥の巣か?古いのか。雛はちゃんと巣立ったんだろうか。
入口の脇に立て掛けられた看板。
「止まれ 時計とダイヤを確かめて」
保線作業や巡回でトンネル内に立ち入る作業員のための注意喚起看板でしょうね。ここにはもう列車がやって来ることは無いので、先に進んでいきますよ。
入ってすぐの壁に「スイッチ→」と書かれた板と、スイッチらしき物体。ただ、ケーブルの類は全く接続されておらず。放棄するときに、線路や細かい備品は残して、ケーブルだけ撤去したのか?
( ´-д-)まさか、昔流行った中●人窃盗団とかが盗んでいってたりして。
トンネルはあまり長くないのかな。奥の方が明るくなっているのが見える。
壁にチョークで落書き。車両限界と建築限界の画みたいだな。数値が幾つか書かれているのは・・・おいらん列車ででも実測した値なのか?それとも、全く何の関係も無い本当の落書きなんだろうか。
放棄されたトンネル内は当然のように照明が無く真っ暗。
トンネル内の壁面に所々現れる奥行きの浅い横穴。さてこれは何でしょう。
( ´・∀・)b 答えは「マンホール」ですよ。
マンホールと言っても、街の中にあるような地下世界に繋がってる代物ではありません。列車間合いでのトンネル内での作業中や巡回中に、作業を中断してトンネル外まで脱出するいとまが無いとき、人や機械を一時的に待避するために設けられたスペースですよ。
振り返り、奥を見る。短いトンネルだからこんなもんだけど、延長何千メートルもあって出口も入口も見えないようなところだと不安だろうなぁ。時間通りに列車が来なくても、様子を見に外に出ることも出来ずじっとしているしかないというのは。
更に進む。線路の真ん中に何かが現れる。何だろうな。懐中電灯でも持って入れば良かったな。
天井まで届きそうな高さの足場?邪魔くさいな。足下にも何かあるようなので、スマホのライトで照らしながら慎重に脇を通り抜けますよ。いやぁ、懐中電灯を持ってくれば良かったな。
明るいところに出た。右手の壁面が連続アーチで開放された構造。
更に奥、この線路が放棄された原因が見えてきましたよ。
トンネル内に流れ込んだ土砂。土砂崩れによりトンネルが破壊され、これが原因でこの線路が放棄されたそうですよ。
崩落部の手前の壁面にも、怪しい変状が。
行き止まりまで着いたので、引き返すことにする。
( ´・ω・)何だか素敵な雰囲気。
ドライブを再開。岩見沢市内の某公園。
ここにはSLが2両静態保存。C57とD51ですよ。
公園の隣にもカラフルなSL(?)が。・・・(;´・ω・)ん?
国道を挟んだ向かいには警察署。素敵な看板が。良い柄だねぇ。
更に進む。ここ空知は石炭産業が盛んだったところ。その炭鉱の痕跡を見て回ることにしますよ。
グーグルマップで「炭鉱跡」でググってみる。
幌内炭鉱排気立坑跡。ここは現役の企業の敷地内の様子。
フェンスの隙間から見えた立坑櫓。近づいてみたい気もするけど、私有地に勝手に入り込むわけにも行かないので諦める。
フェンスの手前の空き地には、何故か巨大な鉄の塊が。船の碇か?
SLの動輪には溶断した連接棒が付いたまま。軸箱も。オブジェにしてる風でもないし、リサイクルの原料でもなさそう。何なんだろう。
JR北海道旧幌内線の唐松駅跡。沿線では珍しく残されている往時の駅舎。ぱっと見た感じ、牧場の畜舎みたいな、駅舎としては珍しいデザイン。
今でも付近の住民が手入れをしている様子。
出札窓口の中には石炭の固まりが。・・・何故だ?
壁の掲示板には、ゼ●リ●かどうかは知らないけれども昭和51年の付近の住宅地図が。この辺りもいっぱい人が住んでたんだね。
改札口の上に貼られていた、おそらく廃線間際の紙の時刻表。今の時代なら経費節減努力が足りないと言われそうなくらいの過密ダイヤ、廃線間際でも7往復も運行されていたのね。
本線側に出てみると、広大な空き地が。往時は本線が一本と側線が二本三本あった様で。
牧草地の中の畜舎みたい。
またドライブを再開。更に奥の幾春別の集落。ここには「旧住友奔別(ぽんべつ)炭鉱」があるそうで。
敷地の近くまで辿り着くと、そこにはバリケードが。・・・近づけないの?
バリケードには貼り紙が。
「奔別炭鉱敷地内へ…ゲートオープン!
入場無料・予約不要
2019年7月27日(土)・28日(日)
8月 3日(土)・ 4日(日)
(中略)
公開時間11:00~15:00」
この日は・・・7月29日(月)。
( ゜д゜)うぉっ、前日に来ていれば敷地内に入れたの?
立派な立坑櫓。
木の陰に隠れて見えるのは選炭場か?
( ´;д;) 中に入って見られないの・・・?
人目を盗んでバリケードを越えて中に入るようなことは、大人なumibozeさんには出来ませんよ。
さて、地図を見る。ほぉ、ここが炭住か。この辺りに昔の線路が通ってたんだな。お、道路がある。入ってみよう。ここら辺で車を置いて木々の間を抜けると・・・、
開けたところに出ましたよ。
地面に何かの痕跡が。何だろうねぇ。
おぉ、立坑櫓が近づいてきた。
選炭場も。結構大きな建物のようだねぇ。
この建物の中に線路が引き込まれていて、貨車に石炭を積み込んだのかな。
手前の舗装されたところが貯炭場かな。
立坑櫓を裏から見るとこうなってるのか。
中に入ったら楽しそうだけど、韓国の建物並みに強度に不安を感じる年期の入り方だな。
建物への接近はこの辺りまでにしておくか。
(;´・ω・) 通せんぼしてなかったからこっちからなら入っても良いんだよね?
ちなみに、バリケード近くの案内板に描かれていた地図はこちら。
お次は航空写真。この奔別炭鉱は1971年閉山だそうなので、上から、
1962/5/20撮影の現役時。活気溢れる感じがするねぇ。
1976/10/17撮影の閉山後5年経過時。本線からの引き込み線の大半が撤去済み。炭鉱建築物も解体が進んでいる様子。
2019/8/2現在のグーグルマップ。炭鉱は自然に還り、昔あった小学校や中学校とおぼしき施設は更地になってますな。
( ´・д・) 地図や過去の航空写真なんかを見比べてみるのも面白いね。
奔別炭鉱跡をそこそこ堪能した後は、少し違うルートを通って三笠の街の方へ戻る。すると、道路脇に新しめの施設を発見。
( ´・д・) これは・・・あれか。こんなところにあったのか。
ニュースやら情報番組でいろいろ見たり聞いたり知ったりしているはずなのに、その実全然覚えてないものなのねぇ。なんて思いながら寄ってみた。
「三笠高校生レストラン MIKASA COOKING ESSOR」
—————————————————————————————————
道内の公立高校で唯一の食物調理科単科校である北海道三笠高等学校の生徒が調理・接客を担当、料理やスイーツを一般客に提供し、腕を磨くレストラン(研修施設)です。調理部が運営する「まごころきっちん」では、三笠市をはじめ北海道の良質な食材を使用し、手間暇かけた料理を、製菓部が運営する「Cherie(シェリー)」では、生徒が試作から商品化まで一貫して行った洋菓子を提供しています。施設名は、生徒が夢に向かって大きく羽ばたくことを願って、フランス語で「飛翔」の意の「ESSOR(エソール)」と付けました。
—————————————————————————————————
だそうですよ。
高校の部活動だから、営業日は基本的に土日になるけれども、この日(7月29日(月))は夏休み期間中ということでたまたま営業していたみたい。これも何かの縁かしら。
道路を挟んだ向かいに三笠高校の校舎が。何やら垂れ幕が下がってますよ。
「祝 調理技術コンクール全国大会出場」
「祝 第十二代高校生食育王」
( ´・д・)ヘェー
中に入る。調理部のレストラン入口に、食材の紹介。いろいろごちゃごちゃ書いてあって読む気にならんな。情報量が多すぎる。
今日のメニューは2種類か。(本来3種類あるけれども、この日は2種類だけのよう)
「青春御膳 1200円(税込)」・・・料理に青春をかける私たちのこだわりの和食御膳。
「みかさ赤ワイン牛丼定食 1200円(税込)」・・・料理コンテスト優勝作品。白老牛を堪能できる贅沢な定食。
(;´・д・) 高いな。高校生の部活動なんて言ってるくせに。
昼飯時で客が多いせいかかなり待たされる様子。待機スペースで手持ち無沙汰にしながら、設置されているディスプレイを見ると、調理場の様子が映し出されていましたよ。しばらく見ていたけど、ただひたすら、厚焼き卵を焼く様子が映し出されるのみ。どうせやるなら複数台のカメラの映像を切り換えてもっと多くの生徒の仕事をする様子を見せてやれば良いのに。そうすれば多くの生徒にモチベーションになったり緊張感を生んだりするだろうにな。
30分ほど待たされて、ようやく席に案内される。ここで華麗に牛丼を注文。
注文から5分ほどで牛丼定食登場。
( ´-д-) 味噌汁がぬるかったな。
ディスプレイでひたすら映し出していた厚焼き卵。さすがに私が作るよりは遙かに上手いな。
食後、思いの外満腹になりながら、製菓部の店にも寄り、何やら分からない名前のお菓子(350円)を買ってみる。
上のクリームがぬるく、中だけ冷たい、ちぐはぐな感じ。こんなもんなのかな。
( ´-д-) 普段洋菓子なんて買わないから分からんな。
腹ごしらえを終えた後はドライブ再開。
構内に留置されたキハ82系特急気動車。
ここに長居しても仕方ないので先に進む。
やって来たのは「幌内炭鉱景観公園」。炭鉱跡をそのまま公園にした感じなのかな。
車を駐めて歩いてみる。鬱蒼と茂る草木の中に、コンクリートの廃墟が現れる。
2つの斜坑口の間にお社が建てられていますよ。斜坑口はコンクリートで塞がれて、外から眺めるのみ。
もう一つ坑口。こちらもコンクリートで塞がれてる。むぅ。
変電所跡。煉瓦の建物が趣を感じさせる。
すぐ側に、放棄された幌内神社の跡。榎本武揚が揮毫した社額があったそうだけど、今となっては石灯籠は崩れ、お社は礎石を残すのみ。お社の跡に建てられた石碑は、まるで墓石のよう。
少し離れた高台の選炭場。
近づいて足下を見ると、結構な高さ。柵も命綱も無い状態では、腰が引けてこれ以上近づくことも出来ず。
公園を離れて、幌内線幌内駅跡の三笠鉄道村。ここも定休日。むぅ。
ここまで三笠近辺をウロウロしてきたけど、そろそろ北の方へ移動することに。
砂川駅から延びていた函館線上砂川支線の終点、上砂川駅跡。駅舎には「悲別駅」の看板も。昔、ドラマの舞台になったらしいねぇ。
出札窓口の中には「悲別町」と刻まれた石が。・・・何故だ。
2008年のポスター。10年以上も前のものがよく残ってるね。
悲別、悲別って、そんなに流行ったのかねぇ。
ホーム側に回ってみる。
上砂川駅の近くにあった立坑跡。ここは別の施設に転用されて、日本の科学技術の発展に大いに貢献してくれたそうですよ。
「地下無重力実験センター(JAMIC : Japan Microgravity Center)」
—————————————————————————————————
地上では創製しがたい合金や、超微粒子の生成、燃焼・溶接のメカニズム解明等高度な技術開発研究を微小重力環境下で行うため、閉山された炭鉱の縦穴を利用して真空カプセルを落下させて微小重力環境を再現する施設として設置された。
710mの縦穴を地下にむけて真空カプセルを落下させることで、約10秒にわたって10-5Gの微小重力状態を10秒間作り出すことができる設備を利用して各種実験が実施された。宇宙開発事業団(NASDA)は同施設においてフリーフライング宇宙ロボットの研究などを行ってきたが、2003年(平成15年)に閉鎖された。
—————————————————————————————————
( ´・д・) 既に閉鎖されてるのね。
敷地の入口には新しいオブジェが。
「小惑星探査機『はやぶさ』の誕生に貢献した無重力実験施設」
「『はやぶさ』が探査した小惑星イトカワに『上砂川』と命名」
( ´・д・)ヘェー
歌志内を通って更に奥へ進む。すると右手に大きな廃墟(?)が現れた。
演劇場?
内側に「やってない」の札。廃墟じゃないのか?
( ´・3・)むぅ。
ここにも立坑櫓が。いい加減見飽きてきたな。
更に進み、日没時刻が近づいた頃「ズリ山階段」に到着。777段の階段が売りのよう。
ズリ山とは、石炭を採掘し、良質な石炭を選り分けた後の残りの土砂を積み上げて出来た山ですよ。当然出来上がる過程では土砂が剥き出しの裸の山ですが、炭鉱が閉山してから何十年も経つうちに、原生林のようになってしまっていますよ。
さぁ、日の暮れないうちに登ってしまおうか、と登山口に差し掛かると、そこに鹿が。
( ´・д・)鹿は良いけどよぉ・・・熊は出ないベな。
麓に選炭場。
階段には一段一段に番号が付けられており、どれだけ進んだか、どれだけ残っているかが分かるようになっていますよ。
(;´・д・)先が長いなぁ。はぁはぁ。
1/3程登ったところで、上の方から20歳代半ばほどのスポーツマン風の青年がやって来る。
<ヽ`∀´>「こんにちは♪」
(;´・д・)「こんにちは~、はぁ、はぁ」
日中30度以上にもなる日に、山登りなんてするもんじゃないな。
更に進んで2/3程に到達したところで後ろを振り返ると・・・先ほどの青年がまた登ってきてますよ。何故だ。
途中のベンチに腰をかけて
(;´・д・)「はぁ、はぁ、ぜぇ、ぜぇ、ひぃ、ひぃ」
と息を整えていると、
<ヽ`∀´>「結構キツいですよね~♪では~♪」
とさわやかに去って行く。何者だ。
10分以上かけてようやく頂上に到着。
( ;;゜;;д;;゜;;)はぁはぁひぃひぃぜぇぜぇ・・・・
頂上からの眺めは・・・鬱蒼と茂る草木に遮られてよく見えん。
( ´-д-)折角頂上まで登ったのに・・・。
~ 続く ~
Stant Locking Fuel Cap カテゴリ:その他(カテゴリ未設定) 2022/10/16 15:47:39 |
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不要不急の外出。 カテゴリ:その他(カテゴリ未設定) 2020/05/01 18:26:16 |
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