準備編に書いたように思いつきでの吉野行きです。
朝 5:00に出発して、吉野の如意輪寺に向かいます。
名阪を針ICで降りて南下です。途中霧が出ました。前日の雨で空気の飽和水蒸気量を超えたかな。上がったら霧だったはやめてよねと言いながら上りました。
如意輪寺に着いたときは、晴れでした!
如意輪寺に到着です。
境内に後醍醐天皇の墓があります。
実はこの時トイレに行きたくて、見るべきものを半分で切り上げました。翌日早朝に再訪しましたが嫌な思いをしたので、ここの記述はこれでおしまいです(笑)。
宿にはすぐに着きました。ここは宿坊ですが、酒も出ますし、精進料理でもないです。
元々は修験道の竹林院というお寺で、宿の正式名称は竹林院群芳園と言います(以下 竹林院)。庭は回廊式の大和三庭園らしいです。
荷物をフロントに預けて、予約してあったタクシーを待ちます。9:05にはタクシーにのって上の金峯神社に向かいます。前の金曜〜土曜の大雨で所々崩れてました。
当初の予定では金峯神社まではタクシーなら入れるってことでしたが、修行門までしか行けませんでした。
ここから歩いて上ります。
金峯神社には熊注意とあります。当初の予定では金峯神社から20分歩いて西行庵まで行くつもりでしたが、熊に怯えてやめです。ヘビも怖かったし。
参拝後に、境内にある義経が弁慶らと隠れた義経隠れ塔へ。
私の歴史知識の断片化が進み、義経と吉野の関係が欠落していました。偶然ですかね、先週のFTP、富山、金沢の時の安宅神社で義経一行の事を思い出しました。今週は吉野で義経です。
私の脳にノートンとかを入れて知識の断片化解消できないでしょうかね(笑)。
これで、下り一択のはずです。
タクシーを降りた修行門まで来て先に路上駐車を考えた道路を見ると崩れています。つまり当初の考えは全く使えないということでした。
修行門の所で吉野マップに確認して歩きます。
高城山展望台へ。
本道からは上りでした(泪)。
ここからは吉野の桜はあまり見えないと思います。大阪、京都方面の山々は見えました。
吉野水分神社へ。
桃山様式の本殿や楼門・拝殿などからなる神社で、秀頼の再建らしいです。子宝の神らしくまだ見ぬ初孫を強く強くお願いして。
振り返っての水分神社です。
花矢倉展望台へ。ここの入り口で犬にやたら吠えられました(笑)。
TV番組では、桜のシーズンは人が下から歩いてくる最終ポイントのようです。桜が咲いていたら綺麗でしょうね。
青もみじって言いますが、青さくらって言いませんよね?なんでだろうと頭をよぎって。
出る時に犬は吠えません。カミさんと”俺らに吠えても無駄と悟ったん取ろうな”と言っていると聞こえたか一発吠えられました。
これで吉野の1回戦は終了で、宿の竹林に向かって下ります。スキーヤーの我が夫婦ですから、考えることは一つ。この斜度ってちょうどいいよねとカミさんが言います。つまり中斜面のいい塩梅なのです。逆に言うと上りたくないくらいの斜度。
桜のシーズンなら人が多くてタクシー呼ぶのを大変だろうからTV番組でも皆歩いて上ってました。でも我が夫婦は絶対無理ですね。
竹林院に着きましたが、まだ部屋に入れる時間でもないので、そのまま下って2回戦に突入です。
金峰山寺に着きました。
宗派については、修験道だろうってことしか知識がなく、いろいろ現地で調べます。修験道ってのは、神道、仏教、陰陽道が習合したものとwikiにあります。聖護院がその元締めと思ってましたが、大峰山もあるし、金峰山寺のHPには金峯山修験本宗とあります。う〜ん、よく分かりませんってのが本音。
拝観料を払うと中まで行けそうでしたが、なんかの法要をやってて午前中はダメ。まあ本尊は厨子の中で見れないし。
吉野朝宮跡手のもありました。
その法要の人が出てくる前に、昼食をと。もう2時間くらいは歩いているので、ビールも飲みたいし!
どうも水曜日は定休日の店が多く、やってる店が少ない。週一のカツ丼をと考えますが、やってる店にはカツ丼はなし。
やむなく、カレーうどんとビールで。
カミさんは葛切りも頼みますが、品切れ。で葛餅を。
吉水神社へ。
wikiでは元々は寺だったような。後醍醐天皇の行宮にもなってて、義経も住んでたとか。
最終的には廃仏毀釈の時に天皇の寺はまずいので神社になったようです。
入ると一日千本の看板が。?と思って見返すと一目でした(笑)。
咲いてたら綺麗だったんでしょうね。
書院には入館料が必要でしたが、見ました。写真可でした。
義経の間
玉間
秀吉も花見に来たようで、その時に持ってきた屏風がありました。
庭には雑草があって、もうちょっと手を入れろよ〜と。
北の門です。ここから京都を羨ましく拝んだんでしょうね。
後醍醐天皇は吉野には3年くらいしか住めなかったようですね。結局、吉野って地は後醍醐天皇に翻弄された土地ってことですかね。まあそれが観光資源になってるからいいのかなあ。
勝手神社へ。
社殿は焼失しているようです。
静御前が義経と別れた後、捕らえられてここで舞を舞いらされた所となってます。
これで吉野の寄港地は終了です。竹林院ー金峰山寺は歩いて15分となってますが、竹林院向きは上りで・・・・。
まだ坂が。
まだ坂が。
もしも近鉄で来て、ロープウェイで上って、その後の歩きで花矢倉展望台を目指すとしたら、この坂でギブアップしてたかもですね(笑)。
宿に戻っ裏ます。
本館のフロント。
ここにも秀吉が花見をしにきたようで、持ってきた屏風がありました。いろいろ財宝がある宿のようです。
少し待った後部屋に。
優しい感じのいいおねーさんに部屋に案内してもらいました。で、今日の宿泊者数を聞くと、な〜んと我々だけ。ドンピシャのオフシーズン観光です(笑)。
当然ですが、下駄箱には我々の二つの靴だけ。
駐車場も我がS4だけ。
部屋で持参の缶ビールを飲んでから、宿泊者以外は有料の庭を歩きました。
入り口です。
庭にはお寺の竹林院が。参拝します。ご朱印は宿の竹林院のフロンでお願いするとのことでした。
竹林院は大峰山の護持院という管理する五寺の一つで、大峰山にも宿坊を持っているようです。なので、宿の竹林院の経営者が寺の住職を兼務のようですね。
おねーさんの説明では、廃仏毀釈の時に廃寺の危機になったようです。修験道の寺であり、修験道は神道と仏教の集合であるので神社として生き残りは難しかったようで、そこで考えたのが元々持っていた宿坊をちゃんとした宿として開業しての生き残り策だったようです。
まあそこからは政治力もあったんでしょうね。以前に長野県大町市の寺は、本尊をどっかに移して神社と名乗り、境内の三重塔は火の見櫓ってしらばっくれたことを聞いたこともありますから。
回廊式の庭を歩きます。
なかなかのお庭でした。
元々あった庭を秀吉の花見のために千利休が手を入れた庭だそうです。
夕食は会席料理となってます。まあ宿泊代がそれですから、食事はまあままだっとしておきます。
地酒飲み比べです。八咫からすは普通の酒でした(笑)。
昼(中瓶2本)+風呂上がり(ロング缶1本)のため、夕食は中瓶2と飲み比べだけになりました(泪)
中居さんに吉野にいろいろ宿あるけど、ランク付けしたら竹林院はどの辺?と聞いたら、一番ですって。あえてこれ以上は聞きませんでした。
このDay 1の歩数は、19,094歩でした。
で、Day 1は終わりです。