銀山温泉 古山閣の駐車場は屋根がありましたので、霜除去のルーティンはこの日は無しでした。
銀山温泉を AM 6:00に出て、朝食は東根のすき家でとりました。
立石寺に向かいます。
立石寺の下では、人が大勢出て何かの準備をしています。何だろう?その雑踏をかすめると、駐車場の看板が。根本中道の真横の駐車場に駐車できました。
この行事は、境内にある神社の祭りだったようです。その始まり前に駐車場にたどり着けてラッキーでした。
まずは、根本中堂にお参りです。
まだ根本中堂の扉が開いておらず、そこに鎮座してみえる大黒さまにもお参りです。体の悪いところを触ると治るとのことでしたので、10年以上前の直腸腫瘍手術後悩みのトイレの問題がこの立石寺の奥の院まで大人しくしてるようにと、下腹を触らせていただきました。
隣に、山寺日枝神社がありました。この日はここのお祭りのようで、3つ神輿が並んでいました。
山門で入山料を払います。まだAM 8:00前でしたが開門されてました。
約 1,000段の階段を登って奥の院を目指します。
約650段登って、仁王門に。
開山堂目指して。
開山堂です。
ここまで800段くらいですかね。
五大堂です。
沢口靖子の鉄道捜査官の撮影場所で覚えがありました。
ここからの眺めです。
ここを降りてから、奥の院へのルートがはっきりしません。少しうろうろ歩いて、やっと奥の院です。
残念ながら、奥の院はまだ開いておらず、奥の院のご朱印はいただけませんでした。
登りは40分くらいだったでしょうか。下山は早かったですね。
お寺用のご朱印帳も少なくなり、(三千院のご朱印帳は予備に持ってはいましたが)せっかくなので立石寺のご朱印帳を下山した山門の売店で購入しました。それを持って根本中堂でご朱印いただきました。
立石寺の予定は150分みてあったのですが、80分で終了です。
私は、最近朝歩いています。ここ3ヶ月の平均は、12,000歩/日ですが、この立石寺の登りは、なぜか不安一杯でした。でも、ちゃっと終わりました(笑)
山形市内に向かいます。
鳥海月山両所宮です。
鳥海神、月山神を祀ってあることからこの名前のようです。
綺麗なご朱印でした。
山形県護国神社です。
鮎貝八幡宮に向かいます。
ここは事前に電話して、お参りについて聞いていました。
宮司さんが言われるには、”この地区に約80社あるけど、神主は2人なんです。なので、神社にいないかもしれませんが近くにいるから、前の神社を出られる時に電話ください”と携帯番号を教えていただきました。
その番号に電話して、参拝の確認をしました。
神社の麓の空き地に駐車します。
まずは、社務所に。
宮司さんに上がって来てと言われて、社務所に上がらせていただきました。
そこで色々お話をさせていただきました。
今の神社は鮎貝城跡に1898年 移築されたもので、鮎貝城主の鮎貝氏の子孫はご存命で、数年前にその子孫の方々集まられた写真の説明を受けました。その社殿は1800年代の物だそうです。
縁と思ったのは、同じ昭和31年生まれと聞き、また神社を継ぐ気は無かったので、大学は理系だと言われたことでした。帰ってくることになって國學院にて再度大学生をされたそうです。
私が翌日旧制米沢高等工業学校記念館を訪問することを言いますと、”それそれ、そこが卒業した大学だよ。”と。”じゃあ、学費が3,000円/月だったんですよね。”と私が言うと、”そうなんだよ、学費が3,000円/月って言ったって信用されないんだよ(笑)”。
もうこれで旧知の仲のような気になっていました。
長々とお話しさせていただいて、ご朱印をいただきました。
その後、その立派な社殿を説明していただいてお参りを。
名刺をお渡ししたこともあり、その日の夕刻にはご丁寧なメールをいただきました。
なお、私よりずっと詳しいこの神社の記述を見つけました。
http://goshuin.ko-kon.net/shokoku_jinja/06_ayukai_hachiman.html
素晴らしい古社でした。
13号を右に行ったり、左に行ったりになるのですが、蔵王温泉スキー場に向かいます。
う〜ん、雪上で確認したわけではありませんが、息子が言ってたように北アルプス、志賀で育った身にはちょいと・・・・と思いました(笑)
写真は撮り忘れました。取る(撮る)に足らないと思ったわけではありません(笑)
13号を横切って、今度は熊野大社へ。
この熊野大社って名前を見て、和歌山の熊野三山とカブらないか?
でも熊野三山は、熊野本宮大社、那智大社、熊野速玉神社でしたので、熊野大社という名前はカブってないですね。
神社の横に小学校があるのですが、ナビに入れた駐車場へは、ナビがその小学校の周りをウロウロさせます。
やっと着きました。
ここも令和スペシャルなるご朱印もありましたが、私は平時の物をいただきました。
まだ時間があったので、翌日予定の上杉神社へ。
神社は米沢城址にあるので、駐車は城の堀の外の公園駐車場にです。
行ってわかったのですが、ここに祀ってあるのは謙信だけということです。彼は越後春日山城で没していますが、景勝が会津を経てここに移封されてから、謙信がここに遷されたようです。その後明治になり、鷹山も合祀されたようですが、1902年 別格官幣社に格上げの時に鷹山は分祀され別の神社に遷され、今は謙信だけのようです。
境内には、景勝、兼続の像が。
これでホテルに向かいます。
チェックイン後に、ホテルスタッフご推奨の”ゆあーず”に。17:30前でも入れました。
ここにもソイ(秋田産)があったので注文。
米沢なので、米沢牛の串焼きを。
店に、麺類がなかったので、米沢の街をうろうろして、米沢ラーメンを探します。
この米沢駅は、翌日訪れる米沢高等工業学校校舎を模したデザインとのこと。
米沢ラーメンありました。
メニューでは”中華そば”だったように覚えています。店員さんに聞くと、”煮干しの出汁”が米沢ラーメンとのことでした。
さっぱりして美味しかった!!
この13日目の無事終了です。
続く