今日の読売新聞の「教育ルネサンス」にある記事
全日本中学校長会 会長 山本聖志氏の考え に思うこと
進む働き方改革の記事ですが、ちょっと気になりました。
まぁ、立場上「教員の働き方改革をする」方向へもっていく人の発言なのだが、気になったのでちょっと一言。
この「聖」を志すって人は、ドイツの日本人学校に勤務した経験があるらしい。
で、「ドイツでは、子供が補導された場合は親が対応し、学校は関与していないと聞いた。」
ここが教員に対する考え方の大きなポイントなのですが、
私がお坊さんになりたいので、どうやったらなれるのかを質問検索するとこういう答えがあがっています。
「なぜ住職になりたいのか(葬式仏教ではやっていけないのでこども園経営をしているお寺が多い中、なぜ住職なのか?)」とあります。
そこで、「お坊さん」になりたいということならば、「教師」になれと上がっています。
(あくまで住職になりたいのなら、資格を取って無住の寺に行くか婿養子になるのがいいとあります)
では、「学校教員」になりたい人は、上記のポイントのように「教科を教えるという仕事をしている労働者」になりたいということになります。
ドイツ語では、der Lehrer(英語 teacher)になります。
なんだか、塾の先生に近いようです。
そして、この「聖」を志す人は、「若い人の中には、単なる時短はやりがいを失いかねない」とも言っています。
「掃除は教育の柱」と言う人と「必ずしも教員が担う必要がない」と言う人と別れるそうです。
このような考え方はずっと言われ続けています。
学校の先生ってなんなのでしょうね?
林修の「いつやるの?今でしょう!」は「やる気スイッチを押す」素晴らしい言葉だと思いますが、それをネタにCMにしたり訳の分からないTVに出たりしているので、最近嫌いになりましたw
噂では、「塾講師のくせに公教育を語るな」と言われたそうですねw
何が言いたいのかと言うと、つまり「残業しないで早く帰る」=「仕事をしない」ではないということです。
仕事しないで、早く帰りたいのならば塾の先生とかスポーツインストラクターになればいいのに、なぜか公務員になって働かないのにボーナス、退職金はもらうってどういうことなのでしょう?
学校教育がぶれているから、塾もなくならないし、親の体罰禁止なんて法律もできるのでしょうね。
令和の新時代には、何か変わるといいですね。
あ、ちょっといいこともありました。
古都に旅行に行くためのしおりに”二礼、二拍手、一礼”が載っていました。
これ、
「宗教とかそういうもので、神社とか行けない人いるか~?」っていう先生の返事に、
「神社なんて行ってらんねーよな!」言う不良と「お、おぅ」ってなびいてしまう意味もよく判らないで突っ張ってる不良がいた、カワトロ世代には、うれしい限りです。
そういえば、共産党もソフト路線とか言って日和ってますね。
さすがに、自分の遺体が冷凍保存されないことに気が付いたのでしょうかw
Posted at 2019/05/25 11:01:34 | |
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川瀞法師 | 日記