相模補給廠17ヘクタール 近く返還
2014年09月30日
赤い部分が返還される在日米陸軍相模補給廠の敷地。JR相模原駅の北側にあたる(相模原市提供)
相模原市中央区のJR相模原駅北側に広がる在日米陸軍相模総合補給廠しょう(約214ヘクタール)の一部約17ヘクタールが、近く国に返還される見通しとなった。加山俊夫市長が29日の市議会本会議で明らかにした。市内の一等地である同駅北側は広大な補給廠がネックとなって開発から取り残されてきたが、返還の正式決定から6年を経てようやく実現する。
加山市長は、久保田義則市議(新政クラブ)の質問に答え、30日午後に来訪する丸井博・防衛省南関東防衛局長から、返還の具体的な説明を受けることを明らかにした。加山市長は取材に「日米合同委員会から9月18日、返還の条件となっている柵などの工事が完了したと市に連絡があった。これで政令市にふさわしい街づくりの環境の条件が整うことになる」と述べた。
補給廠については、2008年6月の日米合同委員会で、西側部分と南北道路・鉄道用地計17ヘクタールの返還と、隣接する敷地35ヘクタールを日米共同で使用することが正式決定した。これを受け、市は相模原駅周辺をリニア中央新幹線の中間駅が設置される隣の橋本駅と一体化した街づくり構想を進めている。
返還予定地には、国際会議などを行えるコンベンションホールやスポーツ施設、国の基幹的防災拠点を建設する案がある。地下には、小田急多摩線を延伸し、同線唐木田駅とJR横浜線相模原駅をつなぐ路線を通す構想もある。
相模原市はかつて旧陸軍士官学校などの施設が集中し、「軍都」と呼ばれていた。戦後、その大半が米軍に接収されたが、基地の返還で街が発展してきた。1974年にキャンプ淵野辺が全面返還され、跡地には宇宙航空研究開発機構(JAXAジャクサ)や、市立博物館、学校などが立ち並び、文教地区となった。81年には小田急相模大野駅近くにあった米軍医療センターが全面返還され、跡地に大手百貨店の伊勢丹が進出している。
一方、補給廠は、ベトナム戦争時に戦車搬出入を巡り、市民が戦争反対を訴えた「戦車闘争」(72年)の舞台となるなど、市民との間にあつれきも生まれ、一部返還は古くからの市民には感慨深いという。相模原西商店街協同組合の中里和男理事長(76)は「へそがない街と言われてきた相模原がこれからどう変貌していくか、大いに期待しながら見守りたい」と話している。
2014年09月30日 Copyright © The Yomiuri Shimbun
横田や横須賀みたいに、アメリカっぽい街なみにならないかな?
Posted at 2014/09/30 08:28:19 | |
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