吹野先生のおそらく最後の弟子のカワトロです。
漢文は、英語同様に大の苦手なので、
「中国思想史」はダメでしたが、
ちょっと書いてみます。
朱熹は南宋時代の人で、彼を朱子といいます。
朱子学=宋学としますが、この宋の時代の前は、
唐末から五代にかけての混乱期で、中国の政治・社会・文化上に大変動のおこった時期であるとされています。
五代とは、唐が滅んだあとに次々と興亡した梁・唐・晉・漢・周の五代五十年間のことです。
朱子は、この時代の道徳観(不道徳な面を入れて)を否定し、従来の道徳観を取り戻すために、孔子の「春秋」を検討しました。
そして、倫理説を経て「大義名分」を説く歴史論に至るまでの、大きな学問体系を構成するに至ったのです。
時の王朝の政治体制を補強するイデオロギーとして、政治的権威と癒着に至ったのです。(唐の次の国家を五代ではなく、宋にいたる「正統」を考えました。)
徳川幕府は、下克上の戦乱を押さえるためにこの朱子学を利用しました。
(宋時代と同様な趣旨で官学化されました。)
「下のものがのし上がって上を倒す」下克上の道徳観を「大義名分」と「正統」によって、封じたのです。
これが、江戸幕府の朱子学です。
なんで、李氏朝鮮が朱子学を取り入れたかは、解りませんが、日本はこういった歴史背景があります。
最期に、この本をくださった吹野先生からの手紙の一部をあげてみたいとおもいます。
「学問をすることは、独学に限ることを肝に銘じてください。明日のために戦え!」
Posted at 2017/01/18 13:11:18 | |
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