松陰形見の短刀:米個人宅で発見、140年ぶり里帰り
毎日新聞
前橋市は28日、米国の個人宅に長年保管されていた短刀が、幕末の思想家、吉田松陰(1830~1859年)の形見の品と確認したと発表した。
妹の寿(ひさ)が、生糸輸出のため米国に旅立つ実業家に託したものという。
鑑定した市の担当者は「松陰の刀剣類が発見されたのは初めて。
松陰の志のこもった短刀が約140年ぶりに日本に戻ってきた」と話している。
市によると、短刀は長さ約42センチ。柄(つか)に獅子の金細工が施され、鞘(さや)にはボタンの花が描かれている。
刀身(約31センチ)は室町時代に造られた槍(やり)を改造したものとみられる。
松陰死後の1876(明治9)年、群馬の実業家、新井領一郎が米国出発にあたり、松陰と同郷で初代群馬県令(知事)の楫取素彦(かとり・もとひこ)にあいさつに行った際、楫取の妻、寿から託されたという。2015年に、米カリフォルニア州在住の領一郎のひ孫宅の地下室で発見され、寄託を受けた前橋市が鑑定を進めてきた。
松陰の短刀と判定した根拠は、領一郎の孫で元駐日米大使ライシャワーの妻ハルの著書「絹と武士」の記述。
祖母である領一郎の妻に短刀を見せてもらった際、寿が「この品には兄の魂が込められている。
その魂は、兄の夢であった太平洋を越えることによってのみ、安らかに眠ることができる」と語っていたことを聞いたエピソードが記されている。
吉田松陰の形見の短刀。上から順に、短刀を包んでいた袋、柄と鞘、小柄、刀身=前橋市役所で2017年3月28日午後1時56分、吉田勝撮影
形状の記述もほぼ一致していたが、刀には刀匠「国益(くにます)」の文字が刻まれていたのに対し、ハルの著書では「国富」とあり、食い違いがあった。市は「勘違いだろう」と推測する。
短刀は30日に東京の松陰神社で霊前に供えた後、31日~5月7日、前橋文学館(前橋市)で一般公開される。【吉田勝】
10代の新入生だった頃に、学内の本屋でうろうろしてたら、女性の先輩から
「まちがえて買っちゃったから、あげる。」と言われてもらった本。
「つまらないよ」とも言っていた。
内容は、女囚が被差別部落民と関わった話とその頃の時代背景。
あの頃は、若かったなぁ~。
ちょっとだけ、赤かったのかなぁw
Posted at 2017/03/29 15:25:38 | |
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