
山本直純編曲指揮 1979年8月28日歌舞伎座にて収録
1979 FFR-3501 フリーフライト(W・P) 45回転LP盤
旧HP2002年7月掲載したものを加筆修正しております。
今月(2002/07)は緊急掲載です。山本直純氏が2002年6月18日、急性心不全のため亡くなりました。69歳。
東京芸大指揮科を卒業。72年、小沢征爾氏と新日本フィルハーモニー交響楽団の設立に参加。TBSテレビの「オーケストラがやって来た」などでクラシック音楽の大衆化に尽力されました。
作品は「男はつらいよ」などの映画音楽や「大きいことはいいことだ」「一年生になったら」「マグマ大使」「新オバケのQ太郎」などのCMソング、テレビ番組のテーマ音楽など多岐にわたっています。当「学趣会HP」でも初期ステレオ盤の鑑賞教材や教科書にも出ている「歌えバンバン」など多く取りあげています。あの事件以来ぱったりTVに出なくなってしまいましたが本来なら叙勲もの・国民栄誉賞もののはずです。
ここではさだまさしの「親父の一番長い日」をあげてみました。直純氏謹慎中のため初演(1978年)で指揮をした岩城宏之氏も「山本直純一世一代の名編曲」と評しています。12分30秒もある大作でありながら当時はラジオ番組で半分ずつ二日に分けてかけたりしたものです(いい時代でしたね)。
個人的にはなかほどの"今は我が家の一番幸せなひととき もすこしこのままいさせてと、、"というあたりが効いていると思います。
森永はエールチョコレートを追悼発売すべし!!
初演が1978年、まだこういう曲が世に出ていた頃です。12分超えの曲、ラジオ番組で通しで流すにはやりにくかったでしょうけど当時はなんとかして流していたものです。
「楽しくなればテレビじゃない」な80年代になりますと安直なエンタメが横行し、世の人はすっかり流れに乗っかり、マジメなのはダサいしクラいしモテないと。 その世代を過ごした若者はそのままおとなになっちゃって、それから先はのちに「失われた30年」と言われるようになりました。
これって…当時の政治がワルイとかじゃなくて国民こぞって自滅への道をつき進んだンなんじゃないでスカね???
いや政治をコントロールできる勢力により3S政策を推進した結果なのでしょうか?? いずれにしても乗っかったのは一般国民なんですけどね…。
昨今のコンプライアンスヒステリーやルール中毒・正義中毒に比べれば「おおらかな時代」とは言われますが、さりとてなんも考えんのがよかったとは思えんのですがどうでしょうか??
と、今さらながら思ってしまいました。
YTに歌詞付きでありましたのでつなげておきます。
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Posted at
2025/07/01 09:02:04