新元号になっていきなり悲惨な事件が起きました。登戸のアレのことです。
事件直後からテレビでは「推測の域を出ないのですが」の前置きをすれば何を言ってもいいということなのか、あーでもないこーでもないニワカ捜査員のごとく先走りした解説をしておりました。捜査が進めばわかってくるのにどうして急ぐのでしょうか?この世の中競争なんでスカねw??
また、コメンテーターだか記者だかが「卑怯だ」とか感情むき出しで吐き捨てるように怒ってました。「ひとりで死ぬベキベキ」「不良品」というひとも現れて、ネット正義のみなさんがそれを「正論(キリッ」と後押しをするとかなんだか盛り上がっておりました。犯人を許せないという気持ちから出たものでしょうから間違ってはいないということで簡単に同意を得られます。イイね!や赤ポチが集まり承認欲求がたやすく満たされるっちうもんです。
テレビはおまエラを映す鏡
MCやゲストはおまエラの代弁者
ってことなんですね。視聴者・大衆がお利口にならんといつまでもおまエラの皆さん向けのコンテンツや演出になるんです。
翌日になれば、もはや悲惨な事件もエンタメ化。悲惨な事件も悲しみや怒りを煽って散らかして終わり。秋葉原やタクマの教訓も活かされず、背景とか被疑者の生育環境とか引きこもり問題とかはみんな興味なし。どうせ来月になれば関係者以外のみんなは忘れちゃう。
また類似事件が起き、メディアがはしゃぐと・以下ループ。
あまりに身勝手な事件は当事者でなくても怒れてきます。内輪で「ホント死ぬならひとりで死ねよって思うよね」とかいうのなら構わないのですが、公共の電波や不特定多数の目に触れるネットで感情の趣くままキタナイ正直な言葉を発言発信するのはよろしくないのではないでしょうか?
おそらくご幼少の頃から
「そんなこと言うんは みっともないけん やめんさい」
と諫めてくれる人がまわりにいなかったんでしょうかね?? 「不良品」発言が正論ならそれはブーメランになって戻ってくるのではw?? そういうときに「お●●が知れる」っていうんですね!?
どうしても発散したいならせめて専用の場所へ逝ってくだされ!!
なんて思っておりました。
数日して少し落ち着いてきたのか、落ち着いた意見も出てまいりました。
「論点がズレている」“一人で死ぬべき”のマスコミ取材に関係者憤り 「炎上を煽る陳腐な意見は控えるべき」との声も
全文は上記リンクからどうぞ、以下抜粋。
コラムニストの小田嶋隆氏は自身のツイッターで「注意を促した人(藤田氏)は殺人犯を擁護したのではない。(中略)不安定な感情をかかえた人々への呪いの言葉になることを憂慮したから彼はそれを言ったのだ。どうしてこの程度のことが読み取れないのだろうか」と声を上げれば、教育評論家の尾木直樹氏は自身のブログで「間違っても【どうせ自殺が目的なら他人を巻き込まないで一人で自殺してくれ】的な発言は止めること。加害者同様の孤立状態の人を絶望に追い込み、同様の事件の連鎖を生む可能性が高くなるからです」とその理由を説明している。
2日にAbemaTVで放送された『Abema的ニュースショー』では、この議論のきっかけとなった藤田氏を取材。すると藤田氏は「僕も“一人で死ぬべき”に近いような“道づれにするなよ”とは感じている」と今回の是非論に一定の理解を示したうえで、次のように心境を述べた。
「深刻な事件だったので、怒り合う気持ちはわかる。被害者の方や遺族の方が強い言葉で犯行を非難したり、犯人を責めたりするのはあっていいと思うが、問題は私たち第三者が、どのような立場で『一人で死ぬべき』だと発言するか。ネットの影響力が大きくなっている中で、とんでもないことをする人、価値が無い人だから死ぬべきだと連呼されると、犯人以外の人に届いてしまって、社会に悪影響を及ぼすのではないか。『ちょっと待ってくれよ』という一心で記事を書くに至った。まずは自分がインターネット上で発する言葉がどのような影響を与えるのかについて、ネットでつぶやく前に、是非一度考えてほしい。(一人で死ぬべきという言葉は)公共の場で流布するような言葉ではない」
同じくネット社会の異常な過熱ぶりに対して意見を述べたのは、東大大学院卒で元日経新聞記者の作家である鈴木涼美氏。鈴木氏は「今のネット社会の燃え上がり方は昔では考えられない。本当に誰だか分からない大衆という者が、“一人で死ね”に対して『そうだ、そうだ、そうだ』となるのが昔の町場のレベルではない。色々なことが突然片方に寄ってしまう社会の現状を、藤田さんはおそらく懸念されていたのだろう」と語った。
さらに鈴木氏は「ネットの“そうだ”を誘発するような陳腐な意見を言う必要は無い。また、一人で死ねと強い言葉で言っている人たちも、今追い詰められている人たちに言っているのではなく、犯人に言っている。しかし、犯人の耳にその言葉は届かない。新聞や本は誰に何を伝えたいかを考えたうえで、言うべきことと、言わざるべきことを判断する。実際には、知っているけど、言わない方が良いだろうと考える時間の方が多い。誰に対して言葉を吐いているのか、その言葉がどこに届いて、どういう影響を与えるのかに対して、今のSNSはあまりにも無責任すぎる」と続け、「一人で死ぬべき」が過熱したネット社会に一石を投じた(引用終わり)。
ネットのみなさんは「マスゴミよりネットの方が真実」とか信じてやまない人も多かろうと思いますが、
「ネットもたいしたことねぇな…」
と思わせるおなはしでしたな。
ネットもクローズなものでなければ放送や出版と変わりません。
ネット正義のみなさんも怒りにまかせてシゲキテキなことばを並べておりました。特に字数制限のある短文サイトでは「バーン」と言ってしまうとそれだけが走ってしまいます。あとになって「もちろんみんながみんなそういうわけではありません」「○○は必要なんですがだからといって人を殺していいということはありません←殺していいなどと誰か言いましたかw?」などともそもそミットモナイ付け足しをしても最初の「バーン」は消えません。シゲキテキな言葉は連鎖を生みます。要注意です。
どなたか個人に対してのことではありません。お互い気をつけましょうということです。
【必読!! 参考記事】
《不良品は不良品どうしでやりあっとけと言ってしまう、自分は不良品じゃないと信じてる松本人志。自分だってそうなってたかもしれないからこそ自分の経験を通して、救われる可能性を痛切に伝えた太田光。どこでこんなに差がついたんだ》←元々の程度の差ではww??
「川崎の事件、犯人をただ糾弾するんじゃなくて自分の体験談を話して、自分も一歩間違えたらそうなりかねなかったかもしれない、そんな人はすぐ隣にいるかもって、一人で死ねとか言うだけのコメンテーターとは違う」←コメンテーターは大衆の代弁者、大衆がお利口になればバカテーターは失業だねw??
怒りに飲まれ、正義の感情の名のもとに内情を告発するなどして相手と戦っても、多くの場合においていいことなんて一つもない。
くれぐれも怒りに我を忘れて、狂信者にだけはなってはならない。人生は有限なのだ。
あなたが生きやすい場所で、楽しく生きるのが一番である。←ホンマデンナw
しっかしまぁ、なんですな。
エリートさんやリア充さんには半万年わからんかもしれませんが、受験に失敗したままだったらとか仕事が見つからなかったらとかブラック企業で病んでしまっていたら…とか考えますと、ほんとに紙一重と思いますわ!? わからんひとだけでこの国を動かしているとしたらと考えると…大丈夫かこの国? と思いますよねぇ。
正義との闘いは続きます。
Posted at 2019/06/05 10:18:16 |
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