宝塚音楽学校が伝統を廃止へ『阪急電車に一礼』『上級生には“はい・いいえ”のみ』
未来のタカラジェンヌを養成する宝塚音楽学校は、“上級生が乗っているかもしれない電車に一礼する”など、生徒の間で受け継がれてきた伝統的な指導法の見直しを進めていることがわかりました。
宝塚音楽学校は、2年制で各学年40人が在籍し、先輩と後輩が1対1のペアになって指導することが伝統となっていました。しかし学校によりますと、数年前に一部の下級生に対して過度な提出物が課せられ、体調を崩す生徒が出たということです。そのため学校側は、下級生に負担が生じていると判断し、2019年4月からは10数人単位のグループで指導するように方針変更しました。
また▼上級生が乗っているかもしれない阪急電車に一礼をする▼遠くにいる上級生に大きな声であいさつする▼上級生の話には神妙な面持ちで耳を傾け「はい」「いいえ」でのみ返答するなど、生徒間で代々受け継がれてきた『予科事』についても、これまでに改善を進め、現在ではほとんど見られないということです。
学校側は「上下関係に対する社会のとらえ方が変わる中、時代にそぐわない指導方法については今後もその都度改革していく」としています。
まだこんなことやっていた学校があったんですね? だいぶ前に訴訟沙汰になったいじめ事件もあったのですが、学校として諸々の見直しはされなかったのでしょうかね??
今の時代にそぐわないとはよく言われるいいわけですが、最初から間違っていたんですな。
終戦の日が近づくといつも思うのですが、「ニッポンワルイコトシタ・センソウイクナイ・ミンナナカヨク」というだけで、敗戦の総括をちゃんとしないからいまだにくだらないルールに同調圧力、問題起きればなぜか連帯責任、旧軍まがいのパワハラ、非科学的な精神論などなど…がはびこるのではないでしょうかね??
学校を挙げてこんなことをやっていたのはレアケースでしょうけど、部活の世界なんかでは上下関係ゼッタイみたいなところも多かろうと思います。野球の強豪校で下級生を付き人とやらにしてコキ使い廃部になったとか大学の應援團が常習的暴行で解散になったり露呈した部分はわずかで、あちこちで小さな問題や事件があるのだと思います。
「学生生徒は1年の間に多くのことを学び大きく成長します、一学年違うだけで大違いなんです」という正論吐きの方も多々おいでですが、所詮は未成年か成人したばかりのお子さま。礼儀の名の下にマウント取り、勝手ルール、おとながしっかり看ていないととんでもないことになってしまいます。いやいや関わるおとなも部活文化の中で育ったのでどこが問題なのかわからないということもあるでしょう。
こういうことを申しますと、「ワタシはきびしい上下関係で育ったから今日がある、センセイやセンパイには感謝しかない」とかいうのが涌いてくるのが定番です。
先日部活問題で「部活動は教育課程外のおまけに過ぎない。学業が生徒の本分だ」という意見に対して、マサニソレ的なコメントが、
多分、本気で真剣に部活動に取り組んでいた人なら、みんな共感してくれると思うけど、私は社会に出て仕事をしていく上で、教室の机上で学んだ事が役に立ったと思った事は一度もないなー。
今の自分を支えているのは、ほとんどが部活動で得た経験と仲間ですね。
指導者や先輩を敬う心、後輩を思いやる優しさ、共に切磋琢磨した仲間、その仲間と共に流した悔し涙と嬉し涙。
当時を思い出しただけでも胸が熱くなります。
「学生の本分は勉強だ」それは正論なんですけどね。部活動をオマケだと切り捨ててしまう人は、きっと馬鹿らしい程に何かひとつの事に情熱を傾けた経験がないつまらない人なんだなーと思ってしまいます。
(まるで部活やらんヤツはカタ○扱い? この決めつけ具合があまりに香ばしいので保存のため転載しときます)
嗚呼ぁ…部活で得た成果がコレかよと……
学生時代に部活(あくまで運動部・体育会・應援團)で揉まれた人はカイシャにとって都合がいいとか出世するとかは昔も今もあるようで、この御方おそらくいまでは社会の中枢で経営者だか管理職だかでご活躍であろうと思います。社員や部下の方、日々のお仕えたいへんお疲れ様でございます。
代々受け継がれるヘンテコなルールは放っておくとどんどんエスカレートします。リクツぢゃないんだとかなんとかで…。
ルールだマナーだジョーシキだとか…そういや今回のコロナ問題もそうですよね!?
【参考記事】
Posted at 2020/09/18 18:03:58 |
トラックバック(0) |
所感・雑感 | ニュース