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昨日からの続きです>
夕方からは、買い出しを兼ねて市街地に行くことになりました。
友人が打合せがあるということで、役場にも寄ったのですが、少し高台にある、山田町役場は被災を逃れたものの、市街地はほとんど壊滅状態に近い状態です。
報道もされていないので、現地へ赴くまでわたし自身知らなかったのですが、聞けば山田町も気仙沼同様、震災当日大火が起こり、市街地の4割が焼失してしまったのだと言います。
それで来た時見かけた廃車体が、錆だらけだった理由がわかりました。あれは火事で焼けてしまった車体だったのです。
役場敷地内にある、公民館も避難所と支援物資の管理倉庫となっていました。
倉庫には、一見それなりの物量があるように見受けられましたが、3700名を越すと言われる避難者・食料受給者の方がおり、困窮はしていないが、物資が豊富というわけでもなさそうだ。
ただ、買い物をしに、病院の敷地内にある、仮設のスーパーへ行ってみると、燃料事情が改善されたせいでしょう、想像したより品物はあるなという感じだったのは、少し救われるところです。
なんだかんだで、打合せ中の友人を待つ間に、辺りはすっかり暗くなってしまいましたが、しかしここ、国道なのに暗くなるとやたらと怖い。いろいろな意味で。
宅地部には電気、水道等のインフラは整備されていましたが、中心部はインフラ以前に建物が全壊しているので、日が落ちると国道沿いが真っ暗になってヘッドライトに浮かび上がるのが廃墟、ということもあるのだと思いますが、あるべきところに灯りがなく真っ暗、というのは、北海道の山道のそれとは違って心理的に良くないものだな、と、思いました。
結局この日は、友人ともども、夕食を摂ったのは午後10時を過ぎてから。
なるほど、毎日こんなスケジュールではきちんと食事を作る時間もないわけで、コテージにあった食料も、レトルトものばかりだったわけです。
生鮮野菜が不足気味で、サラダ用のカット野菜を、というリクエストの事情がわかりました。
余震もそこそこにあり、落ち着かない日々であるのは想像に難くありません。
さて翌日には風も収まり、今日は海上捜索も再開。
当初、わたしはすぐに仙台へ移動するつもりでいたのですが、昨日何もできなかったこともあり、急遽この日の捜索に参加することにしました。
現地の漁師さんが漁船を出して協力してくださっており、我々もそれに乗せてもらって移動。
本日は、全国各地からライフセーバーのみなさんも駆けつけており、漁船乗り組みの他、PWC2艇と、IBR1艇による合同捜査となり、総勢14名にて行われました。
しかし昨日の大風により海上の目標物が移動してしまい、その位置特定と確認だけで午前中を費やしてしまい、午後から本格的に捜索開始。
既に目標地点には、大型のクレーン船が到着しており、海上に漂っている防風林であった松の大木に漁網、ロープ、ブイ、あわび籠、流された住宅の一部などが絡まっています。
人力では除去不可能なこれらをクレーンのベテランオペレーターさんの見事な操作により、巨大な鉄の爪で引き上げているところでした。
その中に、浮いているぬいぐるみを目にした時は、胸が痛む思いでした。
複雑に絡まり合った木やロープは、たびたびクレーンの引き上げ限界を超えそうな塊となり、その度人力でロープや木を切って処理する、大変な作業でした。
そして漁網やあわび籠などの漁具は、本来漁師にとっては命のようなものですが、さりとてこのまま放置すると他船の航行にも支障が出ることから、浮遊しているものは全て回収するよう、指示が出たそうです。
命の漁具を切られるのを目の当たりにする、漁師さんの心情はさぞや辛いことだったと思います。
そして晴れてはいるものの風は冷たく、まだ水温は一桁であろう海中に、ドライスーツを着用しているとは言え、ものともせずに飛び込んで捜索活動を行う、スタッフには、本当に頭が下がります。
水中の様子は、シュノーケル潜水を試みたスタッフによると、水の濁りがひどいそう。海上に浮いている木やブイはすくったが、まだ水中には沈みかかっている大木などが網とロープに絡まりあっており、その底に住宅の屋根らしいものと、漁船らしきものが沈んでいるのが見えたとのこと。
しかしシュノーケリングでは危険でもあり、これが限界。
後日、自衛隊潜水隊を呼んでの捜索となったそうです。
そしてもう1カ所、牡蠣の養殖筏に多量の浮遊物が引っかかっている場所があり、捜索したところ、民家の壁を発見。
以前から津波で流された家を探して欲しいとの依頼を受けていたそうで、依頼者の方に船で現場に来ていただいたところ、間違いなくご自宅の壁だと確認されました。
この方は、ご自宅を1棟まるごとさらわれてしまい、その家には2階に避難したご家族が残ったままで、そのまま行方不明となっており、建物の中にいらっしゃる可能性が高いそうです。
捜索隊員に説明する依頼者の目には涙が光っており、わたしは何も言えませんでした。
ひとりでも多くの方が、一刻も早く見つかることを願ってやみません。
たった1日だけ、それもほとんど傍観者に近かったので、お手伝いすらもろくにできなかったとは思いますが、さまざまな思いが胸をよぎりました。
すでに言われ尽くした感がありますが、1日も早い復興を心から願います。
了
Posted at 2011/05/12 22:08:26 | |
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遠征 | 日記