
またまた車とは縁の無いお話ですが、お暇な方はお付き合いいただければと思います。
表題のお話なんですが、きっかけはここ週末ごとに行っております我が家の大掃除。
まぁ色々思うところがございまして、倉庫や屋根裏部屋など普段開けないところを中心にここ最近整理を行っております。
と言うのもモノって絶対に捨ててはいけない何か(何かは人其々ですが)以外は、基本モノだからモノとして使うのが流儀。
なのに普段誰も開けない場所に置いて5年も10年も使わないモノって本当に必要なのか?
しっかりと時間のある身体が動かせるときに片付けようと思い、せっせこせっせこと段ボールを開けては要らないモノを処分しております。
まぁここは前書きなのですが、色々と懐かしいモノがザックザクと出て参ります。
そんな中出て参りました膨大な書籍類。
その中でも冒頭にタイトルに書きました池波正太郎
※1著作の時代小説の数々は、20代そこそこの時に何度も何度も読破した私のバイブルと言うべき小説でもありました。
特段歴史が好きな訳でもありませんが、そこに出てくる時代背景や主人公の生き様、そして発する言葉や美食料理、そして男としての作法など。
そんな小説が段ボール箱から沢山出てきたので20年以上振りに読んでみようと思い、時間あらば最近読み返しております。
この池波正太郎著作の先に述べたとおり、私の様々な考えに影響を及ぼしたのですが、その中でも特に影響を与えてくれた一シーンがございます。
剣客商売 辻斬り 第3項 老虎(ろうこ)でのお話、1シーン
以下、本文より
小兵衛※2は、大治郎※3に山本孫介※4を紹介されるや、
「これは、これは・・・・・・・」
かたちをあらためて両手をつき、
「そのせつは、せがれめが御世話にあいなり、かたじけのうござりました」
いんぎんに、あいさつしたものだから、朴訥(ぼくとつ)な孫介老人がへどもどと、これも両手をつき、何度もあたまを下げるありさまは、双方とも、抜群に力量をそなえた剣客でありながら、いささかの衒(てら)い※5もなく、大治郎が見ていても、こころよかった。
大治郎はあらためて、世故(せこ)にたけた※6端倪(たんげい)すべからざる※7父の、別の一面をはっきりと見た思いがした。
いつであったか小兵衛が、こんなことをいったことがある。
「わしはな、大治郎。鏡のようなものじゃよ。相手のうつりぐあいによって、どのようにも変わる。黒い奴には黒、白いのには白。相手しだいのことだ。これも欲が消えて年をとったからだろうよ。だから相手は、このわしを見て、おのれの姿をさとるがよいのさ」
※1 池波正太郎(いけなみしょうたろう)1923年(大正12年)1月25日 - 1990年(平成2年)5月3日 戦後を代表する時代小説・歴史小説作家。『鬼平犯科帳』『剣客商売』『仕掛人・藤枝梅安』『真田太平記』など、戦国・江戸時代を舞台にした時代小説を次々に発表する傍ら、美食家・映画評論家としても著名であった。
※2 秋山小兵衛(あきやまこへえ)
この小説の主人公、無外流の達人である老剣客。
実力は天下無双、素手で数人の浪人を瞬く間に倒してしまい、数人の剣士を一人で斬り倒すほどである。
人脈もきわめて広く、身分を問わず多くの人に深く敬愛信頼されている。好奇心が強く人間そのものの達人であり、悪には容赦せず、弱く苦しむ者には助けを惜しまない。
芸術・美食にも関心が強い。
※3 秋山大治郎(あきやまだいじろう)
秋山小兵衛の息子。小柄な父と外見的にはあまり似ておらず、長身で筋骨逞しい。
最初は実直でやや堅物な青年だったが、徐々に小兵衛のような粋な人間になっていき、次第に江戸で有名な無外流の剣客になっていく。
※4 山本孫介(やまもとまごすけ)
信州・小諸の城下はずれに道場を持つ四天流の剣の達人。
大治郎が修業での諸国をまわっているときに2ヶ月間世話になった。
※5 自分を相当な者らしく 見せかける。自慢して見せびらかす。ひけらかす。
※6 世故にたける 世間の事情によく通じている。
※7 はじめから終わりまでを安易に推し量るべきでない、推測が及ばない、計り知れないといった意味で用いられる表現。
文章内にもありますが、いんぎんにあいさつし合う老人二人どちらも剣豪かつ世情に通じた云わば凄いお人。
そんな二人が初対面で出会うシーンを描いているのだが....
どちらも偉そうじゃないんですよね。
凄い人なのに。
要するに相手の出方によって、良きも悪きも私は変わるよ!
だから私の態度は、貴方の今とってる態度を映してるだけよ~ん!
てな感じかな?(笑)
丁度これを読んだのが20代中盤の頃ですが、まだまだ血気盛んな生意気盛りの自分中心の考え。
人が自分の思い通りに動いてくれないのは、相手が悪いと決め込むようなお年頃。
しかも対人関係の多い営業職に従事。
この文章を読んで、当時ハンマーで頭を叩かれたような気分になりました。
当時は若いが故に舐められるとイカンと言う、訳のわからない考えを持ってまして、基本的に相手と中々うまく対峙出来ないのは、「相手が悪い!」と自分では無く相手のせいによくしていましたわ。
でもそれって結局のところ全てとは言わないけど、苦手だから相手に入り込めない。
結局自分のとってる行動が鏡のように跳ね返って来ているのが殆どなんですよね。
相手に媚たりペコペコしたりするのとは全然違う。
ちゃんと丁寧に真摯に相手に向き合っているのかどうか。
考えるきっかけを若い時代に教えてくれた大切な言葉・文章でした。
まぁ話の前後や流れがないと判りにくいとは思いますが、少しでも共感いただける方が居ればと思い書き認めました。
相手の反応は、自分が相手にしていることを映し出すまさにバロメーターだと思い、行動を変えてみると、意外とプラスに変わることがあるかもしれませんよ!
まぁ私も人に偉そうに語るほどに人間出来てはおりませんが、改めて鏡として映る自身の姿を戒めながら人と対峙していかなければと再確認です。
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名言・座右の銘 | 日記
Posted at
2017/04/18 23:50:00