
始めて訪れた地域では、なるべく多くの現地の方とお話して、地方に伝わる民話や、逸話を聞くようにしています。
今回は、お昼休みの間に、地元に住んでらっしゃる年配のご婦人にお話を聞きました。表題のお話です。
平成元年ごろのこと、福岡県の鳥栖市内のとある小学校の講堂の片隅に放置されていたグランドピアノを廃棄処分する事になったそうです。
その話を聞きつけた年配のご婦人が、それなら自分が引き取り、責任を持って保管します。と申し出たそうです。
なんで、あんなボロいピアノにそこまでと不思議がって担当者が聞くと、重い腰をあげるように次のようなお話されたそうです。
このフェペルというドイツのグランドピアノは昭和14年に、鳥栖市の婦人会が、カンパを集め、当時の金額で5千円という大金で、購入し、子供教育の為に小学校に寄付されたそうです。当時の5千円という金額は家5軒買える金額でした。
そして、このご婦人(故人)は、若かりし頃、この小学校で、音楽を教えていらっしゃったそうです。時は終戦末期でしょうか。
そんな時に、二人の若い兵隊さんが、学校に来て、ピアノを弾きたいと申し出たそうです。
お二人の兵隊さんは、明日、特攻隊として出撃せねば ならず、今生の別れにピアノを弾きたいとおっしゃられたそうです。
生徒さんと先生が見守る中、お二人は連弾で、ベートーベンの
「月光」 をみごとに演奏されたそうです。
演奏が終わった後、この時代の慣わしでは、兵士の方に見送りの曲として、音楽の先生は
「海行かば」 という みごとお国の為に戦ってきてくださいという内容の曲を弾くのが慣例でした。
でも、その若い未だ音楽学校生の先生は、ご自分と同じぐらいの年代の若者が死にに行くのを応援するような曲はとても辛くて弾けなかったそうです。
するとその気持ちを察したかのように、
「自分たちでひきますから」
と言い、
「海行かば」 をご自身で弾かれたそうです。
翌日 彼らは、特攻隊として、ムタバル飛行場から、たくさんの爆弾を積んだ飛行機で、米軍の軍艦に体当たりなっさったと聞きます。
そのお話を聞いた、鳥栖市の皆さんは、さすがです。
ピアノの保管とともに、平和の為に、画像の子供音楽コンクールを開催させました。
音楽を愛したそのお二人の若者は、きっと とても心根の優しいかただったと思います。残念です。悔しいです。
戦争はいかなる理由があっても、許されるべきものではありません。こうした、りっぱな若者の犠牲を無駄にしない為にも、日本は平和国家として恒久の平和を守る義務がある。
そんな事を考えました。
聞いたお話なので、記述内容に若干の間違いがある可能性もありますが、是非 皆さんに報告したく掲載しました。
Posted at 2006/09/09 12:58:37 | |
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戦争 | 日記