今日は、みんカラ的なブログじゃ無いので、適当にスルーして下さいね。
内容、あまり面白くないし。
報恨以徳(恨みに報いるに徳を以てす)
今だに、中国フリゲート艦の武器管制レーダー波の問題でもめていますね。
詳細はわかりませんが、どうも客観的にみて、間違いないらしい。
中国政府や軍上層部の考えでは無く、事件は、一現場の暴走のようにボクは思います。
いろんな事情があるのでしょうが、早々に公式コメントで、中国外務省や、中国国防省が、でっち上げと、否定してしまったから、今更、後には引けないのでしょうね。
どういう結末を迎えるか?
段階的に、トーンダウンかな。
しかし、これ以上、嘘を重ねると、世界中から、中国政府への不信感が強まる。
中国は、経済規模においても、既に大国ですから、大国としての責任と品格を持って欲しいと思います。
報恨以徳
日本人のボクが、中国に、孔子や孟子の思想を、今更教えるのも大変失礼ですが、諸説あるけど、今、日本で とらえられている意味とも微妙にニュアンスが違います。
老子と孔子の間で、実際にこのような対話がほんとうにあったかわかりませんが。
老子は
大小多少、報怨以徳。
小さなものには大きなものを。
少ないものにはより多くを与える。
恨みのあるものには、徳をもって報いる
報恨以徳という考え方があるが、あなたはどう思うのか?
と 孔子に聞きます。
以直報怨、以徳報徳。
恨みのあるものには 正しさ(同じ恨み) で報い、
徳を施してくれたものには、
徳をもって報いる
これだけ読んでも良くわからないかと思いますが、ようは 孔子が何をいいたいかと言うと。
「徳には徳をお返しする。悪いことをされた怨みには、それにふさわしいものをお返しする
ボクの持論は、恩は倍返し
恨みは、半返しかな?(笑)
孔子のこの考えは、キリスト教に置き換えると 旧約聖書の
「目には目を。」
(正確には、命には、命を与えなければならない。
目には目。歯には歯。手には手。足には足。
やけどにはやけど。傷には傷。打ち傷には打ち傷。)
もっと正確に言うと、同害報復法とも呼ばれているハムラビ法典
老子の考えは、新約聖書の
「右の頬を打たれたら左の頬を向けよ」(マタイ伝5章39節)
と、脱線しましたが、同じキリスト教の中でも、時代によって相反する言葉が出てくる。
しかし、やはり今の大国としての 中国の立場と考えると、ボクは、老子の
大小多少、報怨以徳 的な思想が、今の中国政府には求められている気がします。
確かに中国の歴史の中で、様々な民族間での融合や、侵略された悲しい歴史、じつに精神の根底には、重く暗い過去があります。
その暗い歴史の一部を作った日本人として心からお詫び(真抱歉)したいし、その気持ちの意味でも、中国には、幸せな国になって欲しい。
日本の一部の方が、どんなに否定しても戦時中の戦地では、大同小異虐殺はあったはず。
規模が違うと言う弁明よりも、過ちは過ちとして、真摯にとらえ謝罪をし続ける。
過去の円借款は円借款。
お金で人の心は修復できません。
過去の過ちに対して、深い後悔と二度と繰り返さない強い意志が大切。
世界で一番、平和な国にするのが、ボク達大人の使命かと。
あぁ、あと余談だけど、大気汚染問題、たくさんの中国の国民に被害が出ないうちに、早く対策して欲しいね。
そっちのほうが、領土問題よりも最優先じゃないかな?
そして前にも書きましたが、ボクが一番大好きな言葉。
実るほど頭を垂れる稲穂かな
中国語では何と言うんだろう?
翻訳エンジン使ってるから、間違っているかも?
满瓶水不响 半瓶水响叮当
真人不露像,露像不真人 ?
まぁしかし、今の日本に一言 苦言を呈するなら。
もう少し、自分の国の文化や歴史を勉強したほうがいいんじゃないかな?
そのうえで、相手国の歴史や文化を学ぶ。
自分の国の歴史や、文化を知らずして、外国を批判する今のマスコミの姿勢は、恥ずかしい。
相手を批判する場合は、相手以上に相手の事をしった上で許されると思います。
ボクね、中国好きなんだよね。♪
中国の文化や芸術、歴史遺産。
きっかけは、小学生の頃、祖父の遺品でも貰った、古銭コレクションの中の1枚の古銭 「乾隆通寶」。
中国の清朝時代に作られた貨幣で、価値的には、1枚 数百円だけど。
その古銭のルーツを探った時からだからずいぶん昔の話。
松の盆栽や、古銭集めが趣味の小学生って 渋過ぎるかな?(笑)
長くなるので、古銭の話は、また別の機会に書きます。
alan / Swear
もう21世紀なんだから、いいかげん、国境とか国とか、人種とか考えるの止めたらいいのにね。
そんなのどうでもいいと思います。
Posted at 2013/02/10 02:07:59 | |
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