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石巻3人殺傷で死刑確定=被告の訂正申し立て棄却―最高裁
宮城県石巻市で2010年、元交際相手の少女の姉ら2人を殺害、1人に重傷を負わせたなどとして、殺人などの罪に問われた当時18歳の千葉祐太郎被告(24)の死刑判決が6月29日付で確定した。最高裁第1小法廷(大谷直人裁判長)が、上告審判決に対する被告側の訂正申し立てを棄却する決定をした。
裁判員裁判となった少年事件で、初めて死刑判決が確定した。
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【石巻3人殺傷裁判】で残る最高裁への疑問と懸念される少年事件の厳罰化
宮城県石巻市で、18歳の少年が、交際相手だった少女の実家に押し入り、少女の姉ら2人を殺害し、1人に重傷を負わせた事件で、最高裁は被告人の上告を棄却。「更生可能性」には一切言及することなく、一審と控訴審の死刑判決を維持した。
●少年法の理念と世論の狭間
事件前、少女は少年の度重なる暴力に耐えかねて逃げ出し、実家に身を寄せていた。少年は、復縁を迫ってストーカー行為を繰り返し、警察から2度にわたる警告も受けていた。その揚げ句の、実に身勝手で残忍な犯行だった。一方、少年は幼い頃に両親が離婚し、母親に引き取られたものの、母の新たな交際相手に馴染めず、小学5年生の時から祖母のもとで暮らし、家庭の愛に飢えていた生い立ちなどの事情もあった。
一審では、裁判員裁判で初めて少年に死刑が宣告された。判決は被告人の「ゆがんだ人間性は顕著」で、「更生可能性は著しく低い」とし、18歳という年齢も「死刑を回避すべき決定的な事情とはいえない」と断じた。
この判決の後の記者会見で裁判員の1人は、「人の命を奪った罪には、大人と同じ刑で判断すべきだと思い、心がけた」と述べている。
控訴審の東京高裁も、「年齢は死刑回避の決定的事由ではない」とした。その一方で、「更生可能性が無いとは言えない」「被害者や遺族に対する謝罪の意思を表している」「生育環境に不遇な側面があった」という点は認めた。それでも、「(それらを)考慮しても被告人の刑事責任はあまりにも重い」として、控訴を棄却したのだった。
最高裁の判決前、被告人の元少年はいくつかのメディアの記者との面会に応じ、次のように語っている。
「大切な人を失った遺族の気持ちになれば、俺も同じ目に遭うべきだという怒りは当然だと思う。逆に、この6年、手を差し伸べてくれた人たちと積み重ねてきた日々を思うと、再起したいという気持ちもある」(6月14日付朝日新聞)
「謝罪と後悔が頭の中をぐるぐる巡っている。被害者を思い、天に向かって手を合わせることしかできない」(6月15日付毎日新聞)
こうした言葉からは、事件から6年たった彼の成長と悔悟を感じ取ることができる。そこから更生可能性を読み取ることも、不可能ではないだろう。こうした状況を踏まえて、最高裁はどう判断するのか……。そう考えていた人は、肩すかしをくらった気分だろう。
今回の最高裁判決は、更生可能性などに触れることなく、「(事件は)冷酷かつ残忍」「深い犯罪性に根ざした犯行」などと、犯行の態様と結果の重大さに絞って、下級審の極刑判決を支持した。
2006年の光市母子殺害事件上告審で最高裁は、少年に対する死刑は「例外」としていた、それまでの立場を変え、「特に酌量すべき事情がない限り、死刑を選択するしかない」とした。差し戻し控訴審で死刑が言い渡され、その後の上告審でもそれが維持された。ただ、その時には、死刑に反対する少数意見を書いた裁判官がいたが、今回はそれはなかった。18歳という年齢は、特に「酌量すべき事情」ではないとする判断が、ほぼ定着したといえるのかもしれない。
では、「更生可能性」はどうなのか。これは、個々の被告人で状況が異なる。事件ごとに、個別の判断が必要だろう。
そのうえで少年の「可塑性」、すなわち更生の可能性を期待する少年法の理念と、現実に起きた被害の深刻さをどう勘案するか。これが、本件裁判で最も注目された点だったのではなかったか。その肝腎な所について最高裁が判断を避けたのは、やはり納得がいかない。
●「少年法適用年齢の引き下げ=厳罰化」ではない
ところで、本件や川崎市の中一男子生徒の殺害事件などをめぐって、少年に対する厳罰化を求める声が再び大きくなっている。
少年法は、少年事件における被害者遺族の「被害者の人権が軽んじられている」「少年であっても、罪に応じた刑罰を処すべき」という声を指示する世論が高まって、幾度も改正され、刑事処分の可能年齢が引き下げられたり、刑罰の上限が引き上げられるなど厳罰化が進んできた。
現在、語られている少年法改正論は、主に次の2点だ。
(1)選挙権年齢が18歳に引き下げられたことを受けて、少年法の適用も18歳未満に引き下げるべき。
(2)18歳未満には死刑判決を適用しないなど、少年への寛刑を定めた規定を廃止し、結果に見合った刑を科すべき。
ただ、(1)に関しては、実現しても必ずしも厳罰化とはならないことは、十分理解されているのだろうか。少年法は少年に甘い、というイメージを抱いている人が少なくないようだが、ケースによっては、実はむしろ大人に対する処分より厳しい。
たとえば、大人の場合は、窃盗の初犯で反省して被害弁済した場合などには、起訴猶予となって裁判にもかけられないケースが少なくない。実際、検察に送致された刑事事件のうち、6割近くが起訴猶予処分で終わっている。
それに対し、少年事件の場合は、検挙されたすべての事件が家庭裁判所に送られる。家裁が判断する前に、鑑別所での観護措置がとられることもある。家裁の処分には、少年院送致や保護観察などがあるが、不処分の場合でも裁判官や家庭裁判所調査官による訓戒や指導、犯罪被害について考えさせる講習などといった教育的な働きかけが行われ、少年や保護者がそれをどう受け止めたかを見極めてから決定が出されている。こういう措置には、軽微な事件でも少年がきちんと自分がしたことと向き合い、反省し、立ち直りを促す意味がある。悪の道に歩を進めず、入り口で引きかえさせようとするのだ。
少年法の適用年齢を引き下げれば、18歳、19歳には、このように悪の道の入り口で更生を促す機会はなくなってしまう。それは、果たして社会にとって有益だろうか。
それに、殺人など故意の犯罪で人の命を奪った場合、16歳以上は家庭裁判所から検察官に逆送致され、大人と同じ裁判にかけられる道がすでにできている。
また、年齢を考慮することなく、事件の結果だけで刑罰を判断することになれば、14歳、15歳の子どもの犯罪に対しても死刑を適用すべきか、ということまで考えなければならない。
やはり、一定の年齢で線を引くことは必要ではないか。その際、多くの人が高校を卒業する18歳という年齢は、それなりに合理的ではないだろうか。
そのうえ、少年犯罪は増えているわけでも、凶悪化しているわけでもない。むしろ逆だ。
最新の犯罪白書(2015年版)によれば、2014年の少年による刑法犯の検挙は、戦後最少の7万9499人だった。10歳以上の少年10万人当たりの人口比についても低減しており、2014年は678.4で、最も人口比の高かった1981年(1721.7)の半分以下になっている。殺人についても、ここ5年間の少年の検挙件数は年に47~60人で、年に400人を超えた1960年前後に比べれば8分の1前後になっている。
少年事件の場合、家庭の環境など生い立ちや生育環境が影響していることが多い。少年院などでも、少年を取り巻く環境をどのように調整するかが最大の課題のひとつになっている。
被害者遺族の感情を考えれば、さらなる厳罰化を求める気持ちもわからないではない。しかし、被害者の処罰感情だけで刑を決めていいというわけでもない。
少年法の取り扱いに関しては、幅広く、いろいろな視点から慎重で冷静な議論が必要だと思う。
(文=江川紹子/ジャーナリスト)
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一審控訴審とも死刑でした。ごめんなさい。て事で今回に関しては誉めて使わすカテ。
簡単に。
>生い立ち
だからなに?
>更正
更正しても反省しても戻ってこん。
>元少年発言
今更何言ってんの。分かったら潔く極刑を受け入れろ。
それが被害者・遺族へのせめてもの態度だ。
>18歳
は法的に未成年であって。実際はもう社会に出られる。精神はどうか知らんがな。
昔は元服15だった。それが現世では20。
確かに当時は今より寿命短い。でも寿命伸びたから成人も伸びるってのはおかしかない?
寿命が伸びただけで成長は鈍化してない(よね?)。なら18歳でも十分な筈だ。
>大人は許され未成年は厳しい
それは法がおかしいんだ。未成年が厳しいなら大人はもっと厳しくなければ。
未成年だけ厳しいってのは人の教えとしておかしい。
なんか甘いなあと思ってたら、江川さんでしたか(笑)
Posted at 2016/07/02 00:05:34 | |
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