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元少年A「手記の印税で賠償」を遺族拒否
世間を震撼させた神戸の児童連続殺傷事件から今年で20年になります。おととし事件について手記を出版した加害男性が、この手記の印税収入を賠償に充てると申し出て、遺族がこの申し出を断っていたことがわかりました。
明石海峡を見下ろす小高い丘。見晴らしのいいこの場所に男の子は眠っています。土師淳くん(当時11)。乗り物や亀が大好きな男の子でした。今月26日、遺族の土師守さんは淳くんの供養のため、この場所を訪れました。
「毎週ではないが、月に3回くらいは来ている。20年は一言で言うと長いように思うが過ぎされば早かった」(土師守さん)
今から20年前の5月。神戸市須磨区の中学校の正門で淳くんの遺体の一部が見つかりました。その後、地元の新聞社に「酒鬼薔薇聖斗」と記された犯行声明文が届きます。
周囲が騒然とする中、逮捕されたのは当時14歳の中学3年生「少年A」でした。「反社会的人格」そして「性的サディズム」。様々な心の闇を抱えていた少年は少年院で矯正教育を受け、2005年に社会復帰しますが、おととし、残忍な犯行に至った自らの精神状況や社会復帰後の生活を記した手記を出版します。
「自分と同じ“人間”を壊してみたい、その時にどんな感触がするのか、この手で確かめたいという思いにとらわれ、寝ても覚めても、もうその事しか考えられなくなった」
この手記の出版に遺族の土師守さんは強く反発しました。
「重大な事件を犯した加害者が、自ら犯した事件を題材にした手記を出版するのは許されることではない。精神に対する“傷害罪”だと私自身は思っている」(土師守さん)
このような遺族の反発にもかかわらず、手記出版の翌年、加害男性から賠償の申し出が土師さんのもとに届いたといいます。
「金銭であがなうことはできないが、精いっぱいの埋め合わせをしたいと。出版した手記の印税の一部だと」(土師守さん)
Q.被害者遺族としてどう思ったか?
「そんなお金をもらうわけにはいかない」
加害男性側からの申し出は、事件の被害者3人に対し1000万円に届かない程の額を賠償するという内容でした。その原資は「著作による印税収入」で「今の時点でできる精一杯の埋め合わせ」だと記されていたということです。
「自分できちんと働いて稼いだお金で支払うなら受け取りますし、それではない今回は受け取ることはできない」(土師守さん)
贖罪にそぐわないと、手記の印税による「賠償金」の受け取りを拒否した土師さん。一方、加害男性の両親の代理人は手記出版の経緯などについて、こう振り返ります。
Q.印税を賠償に充てるつもりは?
「あったと思います。(出版)直後に私の方にも出版社からも電話があったし、彼自身の中にあったのは間違いない」(羽柴修弁護士)
事件から20年にあたり今月、加害男性の両親から届いたコメントでは手記出版について謝罪していました。
「被害者、ご遺族の方々には大変申し訳なく思っています。出版に至るまでの順序が間違っているように思いました」
「まずは(被害者遺族から)了解をとる努力をするべきだったがそれを無視し、結果的に彼は印税が欲しくて出版したと思われる。印税を被害弁償に充てるのも筋違いの話だろうし、そういう意味で順序が間違っている」(羽柴修弁護士)
いま、加害男性はどこでどのように生活しているのか…
Q.加害男性は両親に連絡を?
「一方的な連絡だと思うが何回か…。とにかく(加害男性と)会って、何でこのようになったのか、事件そのものもそうだし手記の出版へのいきさつについても直接聞かねばならない。是非したいと思っています」(羽柴修弁護士)
事件から20年。遺族への「賠償」そして「贖罪」はどうあるべきなのか…新たな課題として浮上しています。
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自分の子供が殺されたネタで儲けた金なんか受け取れるか。何考えてんだ。
そもそも遺族の許可無く勝手に出す事がバカにしている・分かってない証拠。
当時の心境を世間に知って欲しくて出したんだろうが『そんなこと知るか』。
言い訳すればするほど遺族をバカにする事になるのに。何故黙っとれん。
出版業をバカにする訳ではないが手記は既にあるものを並べるだけ。創作ではない。
とても働いたと言えるものではないと思うが。
お金で誠意と言うのなら身を粉にして働いて得たお金でだ。何故その方法を取らない。
働くのがそんなにイヤか。身バレが怖いとはお前が言う資格は無い。
だったら何故大人しくしていない、ふざけたサイトだの出版だの。
余計な事をすれば綻びが出るのは当たり前。結局遺族も世間も舐めてるんだろ。
賠償?贖罪?、正体を明かして身を粉にして働きその金でだ。
だからと言って決して許されようなんて思うなよ。生涯棘の道を歩め。
Posted at 2017/03/31 23:28:30 | |
真獄門台送り | 日記