
とりあえず、全六編のうち、前三つの感想。
夜警。
『夜警』から順に読んでいったわけだが、ヨネポの小説は古典部シリーズしか読んだことのない私が一言。「米澤穂信は堅苦しい文章も書けるんだなぁ」そう思った。
でもわりと読みやすいから3ページも捲れば世界観に浸れる。
流石に初見で冒頭からその話に浸れと言っても無理だ。
交番長の柳岡と、新人の川藤が主軸になった話。
『夜警』は警察官の会話のやりとり、例えば「本部から緑1どうぞ」、「本部了解。こちら緑1、本部どうぞ」、「緑1了解。女性から~云々」といったやりとりが警察官のそれで(と言っても実際はどうだか知らないが)、少なくとも今までの人生でちょこちょことドラマやその他の警察物を見ててもそんな風に「どうぞ&了解」を挟んで会話のやり取りをしているのは見たことがなかった。好き好んで警察物を見るわけじゃないけど。ドラマなどでは省いてるだけですゥって言われればそれまでか。
拳銃と銃弾の扱いの描写なんかも力が入っている。
「へー、警察官は普段こんなことしてるんだ」とつい思ってしまう。
こうしてみると、ヨネポはしっかり取材をしたのかなァ、なんて思うわけ。
交番勤務している警察官に読んでもらいたい。どこまで事実に則って描写されているのかなって。
でもこれ、ミステリっていうより途中までサスペンス小説だよね。
終わりの方になって唐突に「おや、あれはなんだろう、これはなんだろう」と謎が提示されていって、ズバっと解決するスタンス。冒頭から謎(または気になる展開)が提示されて読み解いていくタイプのお話ではないように思った。だって柳岡の印象の川藤だと、川藤の死の原因ってそこまで気が惹かれない。まあ、実際、直接の死因は問題じゃなかった。
情景描写は『夜警』以降『満願』までなかなかに上手で、頭の中に風景は浮かべやすかった。
(私が想像したら柳岡の所属する交番の風景が『こち亀の交番』になってたのは仕方ないか?w)
我が身可愛さの保身のために隠蔽工作に走る。
そんな川藤の癖を見抜いた柳岡の出した結論とは。
小説冒頭だし、これを「『満願』の中では普通レベルの面白さ」と捉えよう。
そう考えると『万灯』と『関守」は上々の面白さになったわけ。ってのが、この前のちょっとした感想。だからと言って『夜警』がつまらないかというとそんなことはなく。
柳岡の人生はこの小説でつらい終わり方をするけど、読後感はまだいい方だ。
ふたつあとの『柘榴』に比べれば。
死人宿。
『夜警』の次はこの『死人宿』。タイトルからして物騒だが、このミステリは、突如行方をくらませた彼女を追って、主人公が宿で仲居をする元カノの佐和子に依頼され、我が身可愛さに犯人捜しをするお話。
一度読み終えてから再読すると、一章で道のりに苦労して道を尋ねたのに適当な(決して親身ではない)案内で「あと一時間で行けるよ」と関係のないおじさんにあっさり突き放されてしまうのは、かつて主人公が佐和子に対して言った(佐和子が感じた)ニュアンスが含まれてるのがわかって面白い。
「死人宿」は複数の人物たちの中から犯人捜しをしている最中、さらっとひっかけをして読者に気付かせないような情景を最後のネタに繋げている。
最後のネタが展開されたあと「ええ!? そんなのあったか?」と思って読み返すと、確かに、描写があった。地味だ……。
しかし、こう言ったらヨネポは傷つくかもしれないけど、ミステリ成分より主人公は元カノとヨリを戻せるのかってことの方が気になったり。どちらともいえない、いや、むしろこれはヨリを戻せるんじゃないかって感じで物語は終わるけど、あの最後の展開じゃあ、ダメだろうね。……それにこれ、ヨネポワールドだし。上手くいきそうと見せかけといて、からのー、やっぱダメでしたー。みたいな。
そうして小説として書かれていることだけを読み取ればそんな程度で終わってしまうけど、度々出てくる花の花言葉を調べてみると、これがまた面白い。
例えば主人公が佐和子に通された部屋は『竜胆』の間。竜胆の花言葉は「悲しんでいるあなたを愛する」であり、竜胆の間に飾られていた花は『夾竹桃』。造花ではなく、生け花であるところがいいね。
夾竹桃の花言葉は「用心、危険、油断しない」だという。これらを組み合わせると「私を気遣ってわざわざここ(死人宿)まで来てくれたことは有難いけれど、私、まだ気を許したわけではないのよ」ということを暗に示しているのではないだろうか。
そしてこの話、読んでいてこう思った。イザナギとイザナミの話っぽいなと。
イザナギが死んだイザナミに会いに行く話は有名だと思うけど、そんな感じ。主人公も死人宿のことを「この世のものとは思えない」だとか「山奥で、しかも死人が度々出るような場所で生き生きしてる佐和子が不気味」という印象を持っている。
これは小説で明記されてないので憶測になるけれど、佐和子は姿をくらました時点で「生きながらにして死んだ」のではないか。そして「死んだ人間が黄泉で生き生きするのは当然」ではないのか。「完全に死んでいない生者が黄泉を居心地悪く思って元気がないように見えるのは必然」ではないのか。この考えを発展させると、小説の終わりに死人宿の被害者になる人物が「死人宿で他の客より生き生きしていた感じで描写されている」のが、興味深く見えてこないだろうか?
ともかく自分に助けを求めてきた人に対して「もう少し頑張ってみないか、辛いかもしれないけどここが踏ん張りどころだよ」なんて言った覚えのある人にはグサッと来る小説かもしれない。
もう限界だと泣きついてきた人に「もう少し」を勧めたらどうなるか。そういう観点で見ると考えさせられるものはある。ただ『死人宿』はちょっと落ちのインパクトもそんな強くないからミステリ面では『夜警』よりかは面白さは劣るように思えた。
柘榴。
これ、「満願」の中で一番気味が悪い。前にも書いたけど、読後感が生温いおしるこ一気飲み。
手に入れたい男は周りを蹴落としてでも手に入れたさおりと、母親になってからのさおりは別キャラクターとして捉えられるくらいに別人だ。
さおりは母親になってからの方が(一般的な)人間味が出てくるし、まだわかる。自分が持ちえる才能を使って欲を満たすというのもわかる。
だから、さおりはそこまで不気味ではない。
次に、さおりの娘、姉の夕子と妹の月子。
夕子は幼少時代と大きくなってからはある意味別人格(そりゃそうか)なんだけど、幼少時に母さおりから躾半ばの八つ当たりを受けた後での「おいしかったです! お母さんのご飯、おいしかったです! また食べたいです!」そう泣き叫んだ夕子の気持ちはあまりにもつらい。子供は親に何されてもその親に縋ることでしか生きていけないだろうってことをわかってるものなんだよ、っていうのがありありと描かれている。ここは心が動かされるという意味で、すごく感動するシーンだ。
ただ夕子も成長してみると「蛙の子は蛙」といった様相で(笑)、若い時のさおりって感じになってしまう。それまでの生活環境からも、虐待されたわけでもなくただ家にいることが少なかっただけの父親を欲する気持ちはわからないでもないし、妹を傷つける犯行に及んだ理由も理解できる。「この犯行動機がわからないわー、気味悪いわー」って人も多いようで。父親を独占していた母親でさえも老いたら魅力が減衰したと考えてる辺りも、苦笑ものだ。自分の脅威になりそうなものは身近な者でも、我が身可愛さに前以て容赦なく排除するという気持ち。
月子の主観描写は特になし。でも月子にはそこまで嫌悪感は感じない。月子の話はまたあとで。
問題は夫であり父親の佐原成海。こいつだよ、こいつ。成海はまったく何考えてるかわからん。
家にいないときは何してるの? 何を考えて娘を引き取りたいって言うほどの愛情を持っているの?
わからん、わからん、訳わからん。
これは作為的に描写されてないからだね。
挙句の果てに娘の夕子が望んだのもあるけど、チョメチョメな関係に。父親像として無節操すぎる。
ねえ、本当に山奥に行ったの?「 誰も来ない山中で柘榴をふたりで貪り合った」っていうのは「普段自分がいる家に夕子を連れ込んだこと」の暗喩なんじゃないの?
どうなの!?(……失礼。興奮のあまりペルソナ5のどうなの!?を炸裂させてしまいました)
そんなわけで私は成海のせいでこの『柘榴』が気味が悪いものにしか見えないの。
さて、後回しにした月子だが、この子はなんとなく「お姉ちゃん大好き」オーラが出てるように思える。幼少時も、姉に気を遣わせたくない、そんな風に取れる描写があるし。だから姉に嫌われたくなくて傷を付けられることも厭わなかったように思える。本当に姉の身体に傷を付けたくなんかなかったんだろう。
一方、姉は平然と妹を傷付けるところに残酷性があるねー。成海がいずれ妹に手を出す可能性を見据えてしまった(独占できなくなるかもしれない)以上、妹にその気がなくても実行せずにはいられなかったのだろう。
さて、物語のその後を考えれば「お姉ちゃんを手に入れたくて、独占している父親を殺す。当然夕子は成海の死を悲しんで月子に言い寄るが、手違いから姉も殺してしまう。でもこれでお姉ちゃんはずっと私だけのもの」なんてヤンデレアフターストーリーを考えてしまった。ヤンデレが極まっていれば裸になる度に「これはお姉ちゃんが付けてくれた傷。お姉ちゃんは『ここ』に生きているよね、うふふ……」なんてのもありそう。……まあ、小説内では可哀想なキャラクターだね。
で、そんな気味悪い『柘榴』も柘榴に因んだ話を出している。
鬼子母神の話と、ギリシア神話のペルセポネーの話。
(金子一馬によるペルセポネーの絵は神話通り半死半生を想起させて素晴らしい)
私はこう思うわけ。『満願』を通して読んだ場合、『死人宿』に続き『柘榴』が掲載されている理由はここじゃないのかと。『死人宿』で一段階、神話(イザナギとイザナミの話)を匂わせて、次の『柘榴』ではっきりと例え話でも神話を出す。「突拍子もなく神話というふわふわしたものを出したわけじゃないのでわかってくださいね」 そんな心構えをしてほしかったんじゃないのかと。
で、この『柘榴』も神話としての一つの話なんだと捉えれば、成海と夕子、父娘の性的な関係も、夕子が月子を憎む気持ちも途端に理解できるんだ。ギリシア神話の名前が出てきた時点で、そう思っていいと思う。ギリシア神話、例えばゼウスだけに因んだ話を挙げても、こんなものじゃあ済まされない話ばっかり。成海の性格と行動が可愛く思えるくらいにゼウスは女好きで、女性からとにかくモテるのがゼウス。なれば成海はさおりの母親にも好印象を持たれていた辺り、小ゼウスって感じもする(笑)
話を考えるのが好きだというヨネポは悪戯心で、ミステリと言いつつ、神話になりそうな話を作りたかったんじゃないだろうか。他の短編と比べると地に足がついてない感じもするし。
少し気になった点は『満願』解説の項で「登場人物は四人」としてるけど、さおりの両親もいるってこと、忘れてないかな?(笑) さおりの父親も不憫だ。
残り三つ『万灯』、『関守』、『満願』の感想はまたの機会に。
内容とは関係ない追記:声優の鶴ひろみさんが亡くなったという。私らの世代だとアニメ・ドラゴンボールで「孫くん!」と悟空を呼ぶブルマの声が今でも脳裏に焼き付いている。身体の一部を失った感覚だ。合掌。
2018/8/31 追記。
ドラマ化されてから、頻繁にアクセスがあるので
残り三つの感想へのリンクもしておきます。
読んでもいいし、読まなくてもいい。