ワーグナーの管弦楽曲集Ⅰというアルバム。
それを聴いた。
カラヤン指揮のものも持ってなかったので、そのついでに(?)これにしてみた。
ブラームスっぽいかな?とは思ったが、マーラーよりは取っ付き易い気がした(笑)
『タンホイザー」、『ローエングリン』、『トリスタンとイゾルデ』……、と名前を出せばクラシックに詳しい人ならすぐにわかるものだと思う。(名前は聞いたことはあったけど曲を聴いたのは初めて)
タンホイザーはトラックが1、2と分かれているのだけれど、つなぎ目がわからなかった。
聴いてて盛り上がってきたーと思ったらいつの間にかトラック2を幾分過ぎてたという。
少し驚いたのはコーラスが入る部分があるところでその声がなんともまあ、遠いこと。音が小さいのではなく(大きいかと聞かれたら小さいことには変わりないけど)、遠いのだ。40メートルくらい先に感じた。
ローエングリンは、おっと、心地良くてうっかり寝てしまいそうだった。
トリスタンとイゾルデの中間部分での極小音。微弱ではなく、極小。車じゃ楽しめないなァ。
音質としてはリマスターされたものということで問題なし。
カラヤンの指揮者としての腕前のせいかどうかはわからないけど、カチっと締まったまとまりのあるオーケストラだった。基本的には横に広がる感じはあまりなく、センター寄り。
で、おまけの話。
オジー・オズボーンの『SCREAM』である。
このCD、買った当時も「ギターがなんだかなあ……」みたいなことを書いた覚えがある。
つまり、いまいち。それでアルバムの評価は終わり。
しかし中低域を充実させた状態で聴いたら印象はだいぶ変わった。近年の録音ということもあってベースとドラムの勢いはやはり良い。
なので、オジー・オズボーンのアルバムとして水準は問題なしであること。(ギターに目が、いや、耳が行きがちだが、ベースとドラムが安定してるのも特徴のひとつだと思っている私)
ただ、惜しむらくはギター単品の評価については然程変わりなく、あくまでアルバム全体の評価として問題なし、という意味だ。オジーと愉快な仲間たちアルバム。これまではオジーとギタリストと愉快な仲間たちだったのだ。その違い。
うー、ギターにダメ出ししてるのに問題なしってどういうことなのか。コレガワカラナイ。
ではなぜ、ギターがいまいちなのか。
採用されたガス・G、今までのギタリストに比べて、強烈な個性がない(ように思えてしまう)。というのがひとつ。ギターサウンドに所謂「泣き」がないこともひとつ。同年齢の世代としては味方してあげたいところだが、味わいっつーの? それが足りんのよ。ギターに足りないそれが乗っかってるんだよ。それそれ。勢いはあるよ。
さらにひとつ、この点はガス・Gが悪いわけではないけど、オーディオ的側面で言ってギターの鳴り方。スピーカー両翼で鳴らずにセンターで鳴ることが多く、単調になりがち、というのがオジーの歴代アルバムの中でも異色。
聴く機会があったら注意してみてほしい。ひょっしたら無意識でこれを感じ取り、違和感を覚えて評価を下げてる人もいるかもしれない。特に数曲聴いたらあとは全部同じに聴こえるという人。こういうのも低評価要因のひとつじゃないかなあ。
Posted at 2016/07/24 12:52:47 | |
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音楽 | 日記