原作者が関わらない(いや、今回はイラスト提供をしている)二次創作物というのは往々にして原作と解離することがある。物語が、ではなく持ち味や作風がということだ。そりゃあ原作者ではないのだから違うところがあるのは仕方ない。しかしそこを上手く(美味く)やれるのがプロフェッショナルというものなのだ。そうであってほしい。
と、私はこの手の二次創作物を手に取るとき、いつもこう願って止まない。
この度私が手にしたのは「ジョジョの奇妙な冒険」第5部の派生小説『恥知らずのパープルヘイズ』。
「ONE PIECE」103巻を買いに行ったら目について、何となく買ってしまった。ガンプラを作ることを優先していたらこんなにも時間が過ぎてしまった。他者のレビューでは良し悪しが真っ二つに分かれる(微妙~は悪しに含む)小説だ。
意外とジャンプ作品の小説はいくつか所持していて「PYSREN(Rは正しくは縦反転)」、「BLEACH」、「封神演義」を持っている。この中で上述案件に引っ掛かった残念なものは「封神演義」だけなのだが(アニメの件と言い、なぜか二次創作物に恵まれないことが多いのは残念なことだ)、それは二次創作として原作と異にする部分がないか、可能性があっても、そのキャラクターがそのキャラクターらしい喋り方をするかなどが肝要だ。加えて新規に作ることがあるのならその設定。小説なら、状況描写の見せ方(魅せ方)。「BLEACH」は師匠のチェックが入っているから完成度が無茶苦茶に高い。成田良悟著の小説は良いものだ。他の人のは知らない。
話をジョジョに戻そう。
まず私はジョジョ第4部の次に第5部が好き。次は第1部かな? まあ、順番はさておき、第5部のジョジョ側で言えば特にミスタとフーゴがお気に入り。勿論スタンドのセックス・ピストルズとパープルヘイズもお気に入り。(ところでパープルヘイズなのか、パープル・ヘイズなのか、もうよくわからない)
そんなお気に入りのフーゴが離脱したのはジャンプ連載当時(随分昔のことだ)から物悲しいものがあった。第5部をイメージしたコラボ腕時計ではデザインの良さもあってフーゴモデルを買おうと思った。速攻で売り切れて買えなかった。次のコラボではミスタモデルがデザインの素晴らしさもあって購入を決めた。買えた。今でもちゃんと使って愛用している。フーゴモデルは前のやつの方が好みだった。
そんな私がジョジョに期待するものは「人間賛歌」。人間賛歌は勇気の賛歌ッ!だから最低限、人間賛歌らしさが感じられないものはジョジョではないと判断してしまうだろう。ではどんなところで人間賛歌を認めるのか? これはキャラクターが最終的に死亡したとしても「生き様が活きている」かどうか。例はブチャラティでもポルポでもいい。良いこともするし悪いこともする人間の生き様。そこが魅力的に描かれているか。または両方描かれるなら、対比を綺麗に魅せてくれるかどうか。この例は第1部のジョナサンとディオの対比が顕著で完成形。ああ!う…美しすぎます!
ただ、これはどうあれジョジョ。原作本編からして、あれよあれよと背が縮んだり、スタンド能力がいつの間にか変わってたり。有名なのはゴールド・エクスペリエンスか? 反射能力どこ行った。このように設定が一貫していないことは日常茶飯事である。大人は間違いをするだけ。
もし引っ掛かる点があるとするのならば、それは原作である第5部が基礎としてあり、そことの齟齬だ。
ミスタが4という数字をを嫌うのはわかる。スゲーよくわかる。だが「掛け合わせたら4になるから2も嫌う」ってのは、違うんじゃあないのか。だったらピストルズのNo.2は存在しないはずだ。少なくとも原作では2を嫌う描写は一切ないため、非常に違和感を覚えるんだよなァ~。
もうひとつは小説内の作中ジョジョネタ。ファンサービスなのか、安易に流用したのか判断に迷う。結構良いシーンなのに言葉として心で理解されると、途端にペッシが脳裏に浮かぶんだよなァ~。小説を魅せる点では安易じゃあないのか。嫌いじゃないけど。
「ジョジョ(荒木飛呂彦)だから……」と寛大な気持ちで読み飛ばすのと同じように接することも必要なのかもしれない。まあ、ミスタ好きとしては上述の件は容認しかねるがね。
ところで今回登場するオリジナルキャラクターの名前の語感はどれも素晴らしい。初めて触れるのに昔から慣れ親しんだかのような感覚。
読み終わってみて。
対比や人間賛歌はどうだったのか。これは見事に果たされている。パンナコッタ・フーゴとマッシモ・ヴォルペを見てみよう。お互いに似たような設定でありながら、生き様は対比、対象的だ。マッシモ・ヴォルペについてはトニオ・トラサルディーとも対比が描かれている。
シーラEは復讐がテーマであり、復讐者と言えば、第6部のエルメェス・コステロが思い浮かぶわけだが、あくまで第5部なので下手にエルメェスに触れていない点も安堵。適度にジョジョネタへのブレーキは踏んでいる。
カンノーロ・ムーロロについてはもっと本来の目的への匂わせ(伏線)があったら、その変貌振りも納得のいくものになったかと思えるの残念。
そして第1~4部までのキーを出し、それまでの部との繋がりも無理のない範疇で強固なものにした。
ただし、もうひとつ気になったのは「群体型スタンド」について「精神的欠陥がある」と。これについては 当初からネットでも話題のようだ。逆を言えば単体型スタンド能力者には精神的欠陥がないのか?DIOはどうだ?目的のためなら手段を選ばない(人間をやめることも厭わない)という最たる例ではないか。ここは蛇足だったように思う。作劇に必要かというとなくても困らないから。
大きくミスタの2の掛け合わせ嫌い設定と群体型スタンドの精神的欠陥設定以外は、確かにジョジョだった。
ジョルノ・ジョバァーナについては、ちゃんと台詞を喋るようになったらジョナサン・ジョースター、それ以前はDIOという感じのハイブリッド感が出ていて面白かった。
一歩を踏み出せないフーゴのため、ジョルノが半歩、歩み寄る……。
この着地点、ベネ。
おまけ。
そして『恥知らずのパープルヘイズ』を読み終えた日に「響け!ユーフォニアム」のメンバーが全国大会決勝でカンノーロ・ムーロロの能力により「ミスをほんの少しでもイメージしてしまったが故に、演奏ミスが固着してしまい、勝てなくなる」夢を見たくらいには影響度があった。
(゜Д゜)混ぜるな危険
(´・ω・`)いやー滝先生があんなミスをするとは
(゜Д゜)どんなミス?
(´・ω・`)眼鏡かけ忘れたまま壇上にあがって、ずっこけてた
Posted at 2022/10/18 11:16:26 | |
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