IS「ご主人」
主「なんだい?」
IS「『Adieu』をかけてもらってもいいですか?」
主「……ああ……」
IS「この5年間、今まで、長かったような、短かったような、ですね」
主「そうだね」
IS「色々あったような、なかったような、ですね」
主「とりあえず無事故だったから、一安心しているよ」
IS「中には事故で主人もろとも死んでしまう仲間もいますから、その点は良かったです」
主「俺もそういう死に方はしたくないからな。ていうか、お前、この間パンクしてたし」
IS「いや、あれは私が悪いんじゃないですけど」
主「……まあ、そうだ」
IS「レーダーも結局は付けず終いでしたね」
主「弄らない、がコンセプトだったからな」
IS「そうカッコつけても、速度違反で警察に捕まってちゃ、世話ないですよ」
主「ぐぬぬ」
IS「しかも2回も」
主「あれはな…。スピードを軽く出せるお前が悪い」
IS「また、そうやって私のせいにする」
主「冗談だよ。警察が悪いな」
IS「いや、ご主人が悪いと思います」
主「わかったわかった。反省してからはスピード出さなくなっただろ?」
IS「まあ、少なくとも捕まる可能性のあるところでは」
主「エンジンも何のための高回転域なのか、さっぱりわからなくなってきたよ」
IS「新しい車になっても、無茶な運転はしないでくださいよ?」
主「ああ、肝に命じておく」
IS「……昔の話ですけど、私の身体に余所から飛んできた塗料が付いたとき、ご主人怒ってくれましたよね」
主「そんなこともあったな。今となっては懐かしいよ。お前は良い色してるのにアレはないよな」
IS「元通りになれて良かったです」
主「あれ以来『レクサス怖い』って言われるようになったんだぞ。知ってたか?」
IS「いえ……。どうしてですか?」
主「お前の治療請求費だけが被害に遭った他のメーカーの車よりも、飛び抜けて高かったからだよ」
IS「ああ、なるほど」
主「『ISの隣には絶対停めない』って言われたもんだ」
IS「ほ、本心じゃ、ないですよね? その人たち」
主「当たり前だろ? 仲間内のジョークだよ。不可抗力だったとしても、お前を傷つけないよう気遣ってくれたんだよ」
IS「……スタッドレス用のホイール選びも、その、私の色に合わせてくれましたよね」
主「似合わないものは履かせたくなかったからな」
IS「なかなかサマになっていました」
主「ありがとよ」
IS「こちらこそ。でも、ご主人は最近上の空でしたね」
主「そうか?」
IS「そうですよ。新車にワクワクしてるのがまるわかりです」
主「仕方ないだろ。お前のときもそうだったよ? 痛み分け。俺だって申し訳なさはある」
IS「ああ、私に乗る前もやっぱり……」
主「多かれ少なかれ、物に愛着を持った人間は大体こんなもんなの。浮気性とかとは違うから安心しろ」
IS「……あの、聞きたいことがあるのですが」
主「なんだい?」
IS「どうして、私を選んだんですか?」
主「お前しかいなかったから……、かな」
IS「私しかいなかった?」
主「そう。幾つか選択肢はあったけど、トータルで見れば、結局はお前だけ」
IS「ふふ。あの日、私たちが始めて出逢った日、ご主人ったら帰宅するまで、いえ、帰宅してからもずっと嬉しそうでしたよ」
主「そうだったな……」
IS「ご主人、私を選んで良かったと思ってくれてますか?」
主「そりゃ、そうだよ。思ってるよ。どうしたんだい?今更……」
IS「だって、ご主人、私を乗り捨てて他の車にしようとしてますし、嫌われたのかとばかり……」
主「ああ、そういうことか。前に乗ってたやつにも言われたな」
IS「そうでしょう。皆、気にするものです」
主「気にしすぎだよ。まあ、贔屓にしたつもりもないけど。……それにしても乗り捨てるって言い方は耳が痛いな。反論できない」
IS「…………。前の方って?」
主「お前と同じところがダメになっちゃったり、他にも、色々あって泣く泣く手放すはめになったんだよ。やるせなかったな。乗り換えた本人が言うのもなんだけどさ」
IS「……少しお話を聞かせてもらえますか?」
主「前のやつの話?」
IS「はい。手放すことになった経緯を知りたいです。私とどう違うのか、とか」
主「うーん、簡単に言えば経年変化による故障箇所が発生したことへの対応や、定期メンテナンスをしたりするのに、ディーラーの凡ミスの多さ故にうんざりしたってところだよ」
IS「なるほど」
主「例えばお前だって、エンジンオイルを交換したのにフタを忘れられてエンジン回されたらいやだろう?」
IS「恐ろしいですね」
主「オイルがエンジンに焼きついちゃっててなあ。シルバーのエンジンがブラウンになったんだぜ? もちろん、エンジンだけじゃない。エンジンルームの中にあるものすべて。洗浄しますから、で許されるものじゃないよ」
IS「失敗に対する誠意、というやつですか」
主「そういうこと。洗浄しても結局色は取り切れてなかったしな。車自体、不可抗力という意味ではまったく非がなかった点は同じ。ディーラーの差はあるね。他に聞きたいことはある?」
IS「はい。……私って魅力ありませんでしたか?もっと良くしたくなるような魅力は」
主「ははあ、弄らなかったことを不満に思ってるのか。弄っても手放すときに虚しさが上回るのを体験したからな。惨めな気分になるんだ。それにお前は基本性能が高いから、無理して弄る必要がなかったんだよ」
IS「……! それって……、私のことを認めてくれてるんですよね……?」
主「勿論だよ。お前は、良い車だよ」
IS「……良い車、って言ってもらえるのは素直に嬉しいんです。なのに……、それなのに……!」
主「…………」
IS「私、アンダーカバーが外れたくらいなら何ともないですよ!? もっと走れますよ!? ご主人をまだまだ乗せていたいのに! ……どうして……」
主「俺も俺のエゴなのはわかってる。それに、お前と過ごした日々が無駄になるわけじゃないよ」
IS「……そんなこと言われても……」
主「新しいご主人様はいいやつだといいな」
IS「……新しいご主人がどんな人になるか、不安で……」
主「そればっかりはどうにもできないよ。せいぜい祈っててやるさ。……もう夜も更けてきたから寝るよ。おやすみ」
IS「……おやすみなさい」
IS(ご主人は、普段通り…に振る舞ってるだけなのかな)
IS(明日で、お別れなのに……)
IS(……普段、通り……? 普段は思い出話なんかしたことなかった……。……寝よう……)
CT納車当日。
IS「おはようございます」
主「おはよう。今日もよろしくな。しかし汚いな。納車まで時間あるし、洗うか」
IS「お願いします」
IS(ご主人の手で洗われるのってすごい久々だな……)
IS(ご主人って洗うのはいいけど、洗ったあとはタオルとか使わないでいつも放置するのに、今日は水取りもやってくれてる……)
主「何か言ったか?」
IS「いいえ、なにも。どうぞ続けてください」
主「……こんなもんか。大きな傷もないな」
IS「お疲れ様です。すっかり綺麗になりました」
主「よし」
IS「もう時間ですよ。参りましょう。最後なんですからパワーモードで行ったらどうですか? ガソリンも余ってますよ」
主「そうだな。そうしよう。そういえばろくに使ったことなかったな、パワーモード」
ディーラー付近にて。
IS「もう到着しますよ。最後のドライブはいかがでしたか?」
主「ああ、お前の言う通り、何も問題ないな。代車を借りることがあるようだったら、お前の兄弟を借りることにするよ」
IS(ご主人なりの褒め言葉かな)
ディーラーにて。
IS「それでは…、今までありがとうございました。……お元気で」
主「ああ、お前も、元気でな。ありがとうな」
IS(あそこの車が新しいご主人のパートナーかぁ。怖い見た目してるなあ、けど……、ああ、ご主人、嬉しそうだな……。妬ける……なぁ。でも、ご主人も無茶な運転はしないって約束してくれたし、大丈夫、かな。私は私で、これからしっかりしないと)
IS(あの、CTさん、聞こえますか? ご主人をよろしくお願いしますね)
CT(了解です。お任せください)
IS(……。もう私がご主人のためにしてあげられることはなくなっちゃったかな。参ったなぁ、本当に、することがない……。ああ、パンクしたところのタイヤの交換してもらわなきゃ)
納車式後。
主「それじゃあ、CT。今日からよろしく」
CT「はい、今後ともよろしく。先程IS先輩からもよろしく頼まれました」
主「……ああ」
IS(あれ? ご主人なんでこっちに来るんだろ)
主「おい」
IS「ご主人? 家に帰らないんですか?」
主「最後にお前の写真、CTとツーショットで撮らせてくれるって言うからさ。良い顔しとけ」
IS「は、はい……!」
IS(最後のご奉仕……)
IS(キリッ
IS「これで本当にお別れなんですね」
主「そうだな。でも売れるまでしばらくここにいるんだろ?」
IS「そのようです」
主「そんなに何回も来るようなところでもないけど、来るたびにいたら遠くから眺めてやるよ」
IS「近くに来てくださいよ」
主「そりゃダメだ。もう俺のものじゃなくなるんだから」
IS「別にご主人が新しいご主人になっちゃダメってこともないですよ?」
主「おいおい、売ったのに買い戻すのか」
IS「冗談です」
IS「ご主人」
主「なんだい?」
IS「いってらっしゃいませ」
主「ああ、いってくる」