2024年08月24日
私は普段ホームオーディオで音楽を聴く時、読書をしながら聴く。と言っても漫画を読むと目の情報に耳が負けるから読むのはステレオサウンドだ。そういう風に読書をしているが音楽は聞いているのではなく、聴いている。目は本に集中している。耳は音に集中している。
よくあることだが、音、または音楽が良くて視線を落としたまま遅々としてさっぱり読書が捗らないという現象。それくらい聴き流せないものが聴こえてくるのは良いことなのだが、この状態は音を目で追っていない以上、ブラインドに値するのだろうか。
車を運転している時も目を瞑って運転するわけにはいかないから、目は開いている。しかし耳はカーオーディオの音に集中している。走行中はなるべくロードノイズを補正して聴こう聴こうとしている。これもブラインドに値するのだろうか。
そう言えば最近若干左耳の感度が悪くなったのか、車内の左右バランスを左にひとつ傾けている状態で左右のバランスが揃う(センターの音源はセンターで鳴る)ようになった。バランスが取れて聴こえるようになったことを喜ぶべきか、単純に耳が劣化したことを嘆けばいいのかわからない。まあ、その割には電話を左耳で受ける癖は抜けない。耳の感度が悪くなってもモスキート音で試せば音が耳に届けば周波数的にはまだ25~30歳レベルらしい。これは左右変わらない。いや、ヘッドフォンの類いでモスキート音を試していないから右耳が判断しているという可能性もあるから一概に左耳が無事とは言えないのかもしれないが。ともかく低い音も聴こえている。つまりはいわゆる耳が遠くなったというやつか。聴力検査すると普通の人は左右の音の大きさが揃って聞こえるんですって。本当かよ。昔から左耳だけ小さく鳴る検査だと思ってたわ。……あれ、前に書いたかな。頭も悪くなってきたか。幸い音の質感を判断する審美眼ならぬ審美耳は衰えた気配はない。
話が大幅に逸れた。
視覚情報に惑わされようではまだまだ音の密度が足りない。昔からそう思って密度が高く鳴るように、そしてただ密度が高いだけではなくそれが広大さと両立するように、且つ軽やかに重厚感。
しかし個人的見解では音の密度は音像の濃さにも直結する気がする。つまり密度を高めるには音像を濃くする必要がある。音像を判断するには目からの情報は大事である。
結論としてブラインドしていいのは鳴らすオーディオ機器だけなのではないだろうか。あと値段(笑)
でも見た目の好みで今の所有物は買っているところも大きい。目で観ても楽しい、耳で聴いても楽しい。そんなところ。価格は技術と音で納得出来れば払えば良い。
それはともかくステレオサウンド231号の表紙を飾った、モニターオーディオのハイフンというスピーカーはまとめ方が素晴らしいですね。KEFのブレイドに近いものがあって興味津々。載っているのは白色ですが、カラバリの緑色が渋くて素敵。最近オーディオの高価格化がヤバすぎてこの値段だとああそうってなってきた。買えませんけど~。
ちょっとした戯れ言。
Posted at 2024/08/24 12:10:37 | |
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