
RC300hで手持ちのCD分すべてを聴くという計画に取り掛かって2年。
聴き終えた。その結論。
「マークレビンソンは低域だけじゃなく、高域もきついのか」
何も2年もの間、気がつかなかったわけじゃない。購入後1年の時点だったのでエージングの意味もあり、曲との相性データ取りの意味も兼ねて我慢してたのだ。我ながら悠長なこと。カーオーディオだから(心地良くて)居眠りを引き起こしかねないのは良くないしというのもあったり。
でも、きついのは違う。トレブル下げる。
ああ、だいぶ良くなった。
……最近、自他ともにオーディオを聴いて思うことのひとつに「高域シャリってると気になるなァ」が焦点のひとつで。
調整していいと許可を得たら、真っ先に下げる。
(フラットにした状態で上げる真似はしない、というのが正しい)
それで言われることは「聴きやすくなった」と。
なぜこうなるのか。考えてみよう。
仮説1。
高域シャリシャリが出てて当たり前のバランスだと思ってるので、つい出してしまう。また、シャリシャリしてるのは聴こえてたとしても意識したことがないから気にしていない。無意識化で受け入れてしまっているのだ。出てたシャリシャリがなくなるんだから、そりゃ聴きやすい。ノイズ化。下手なSACDプレイヤーみたいな感じ。
仮説2。
そもそも高域特性が耳で捉えられてないのなら聴こえてない。聴こえてないものは一部分だけ上げ下げしても変化なしと決めつけがち。つまり「上げて」しまっていても、「上がって」しまっていても、シャリシャリは出てないもの扱い。
ここで、仮説2はおかしいだろと思う。自問。
シャリシャリをなくしたら当事者は「聴きやすくなった」と変化を認めているから。
自答。
オーディオの場合、可聴範囲外の周波数を触っても振動板の振動パターンなどが変わるので、結果的に可聴帯域の音は変化する。スーパーツイーターを加えると音が変わるということと同じ。原理としてひとつの例:「あー」と正面向いて声を出してるときに首を左右に振ってみると、振る「あー」と、振らない「あー」は違う「あー」である。首は傷めないようにやってみるとおわかりになるかと。
シャリシャリは聴こえてないけど、触れば可聴帯域に変化がある(あった)から、触った結果シャリシャリしているというパターン。素直に可聴帯域だけを触ってどうにかした方が良いような。正面向いてる状態で「あー」を変化させるのだ。
これで仮説2を成り立たせる。
一聴、派手だし爽快感はあるんだ。シャリシャリ。
でも瞬間的な印象を求めた結果のCMのようだ。CMはいつも見てたくない。
これは私の持論。
今日のブログ書きBGMはノラ・ジョーンズの『come away with me』。
ゆったりした気持ちになるには良いアルバムだ。
これを高域シャリシャリで聴きたくないよねェ。
でもキレと繊細さがないといけないから、高域特性が穏やかなだけではダメ。
聴き応えのあるまったりサウンドを堪能あれ。
因みにワタクシ20kHzまでまだまだ可聴余裕。老いるには早過ぎる。
これからか?(苦笑)
モスキート音もサイトによって同じ周波数のはずなのに聴こえ方が違うから、懐疑的になってきた。信頼できるモスキート音源欲しいなァ。なかなか見つからない。というか何を以って信頼に置き換えるのだろう。
どうやって確かめたかって?
下から上まで信号が流れる音源があるから、アナライザーを見ながら機械が出てると判断したときの音が聴こえてるかどうかで判断(笑)
話ついでに。
オーディオには眉唾物の怪しいアイテムも多いけど、「これで掃除したら音が良く聴こえるようになる耳かき」はないんだよね。外国では日本人ほど耳かき使わないっていうのが関係してるのか?
(゜Д゜)いや、無理があるからだろ
(´・ω・`)女の子に耳掃除してもらうと倍率ドン、さらに倍
(゜Д゜)それは偽薬じゃねーか
(゜∀゜)黒髪の子だとしっとりした音に、金髪の子だと音が明瞭になります
(゜Д゜)ないわー
Posted at 2020/05/31 08:04:41 | |
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