• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

ウィックのブログ一覧

2020年08月27日 イイね!

真・女神転生Ⅳ 新たにバグと遭遇した

真・女神転生Ⅳ 新たにバグと遭遇した真・女神転生Ⅳのバグに遭遇したので報告したい。

●最後、9回目に豊洲ターミナルをクリアするのが条件?
今までルシファーパレス以外の他のターミナルを9番目にしたことはなかったため、他の地区のターミナルでも同様のバグが出るかはわからない。

セーブも上書きしてから気付いたし、またニュートラルルート入るのはしんどいので確認する気なし。私はデバッガーじゃないからこれ以上確認しない。データ飛んだら怖いし。

やれることだけは確認してみた。

9回目の豊洲ターミナルをクリアしたあと、天王洲ターミナルに移動してから、豊洲ターミナルに移動し、また入ろうとしたらバグに遭遇したのだ。

いろいろ各ターミナルに回ってみたものの、天王洲に移動云々は関係ない模様。
●とにかく豊洲ターミナルに入ろうとするとバグる。

写真も撮ったので見てくだされ。

9回目の豊洲ターミナルの番人撃破後、部屋の中に入ろうとすると、なぜか撃破済みであるにも関わらず、バロウズから「強力な悪魔の反応あり」と警告される。



「はい」を選択して中に入ると、エリート風の男がひとしきり出迎えの台詞(共通パターン分だけ)喋るとフリーズする。









番人の台詞が全然足りないまま、戦闘に入るかと思いきや……、


この画面でしばらくフリーズ。
(かなり長い)

そして、

3DSの下画面だけ、ゲーム開始の選択画面になる。
……私はデータ飛んだのを覚悟したよ……。

幸いデータは無事で、ロードはできるのでロードをする。

上画面はバグったままロードされる。
ロード時間はこれまた長い。



移動してみる。


外に出てアメノトリフネに乗っても上画面は変わらず。



Yボタンを押すとザラザラした画面のままで、かろうじて居場所がわかる。
ただし、これは静止画で、Yボタンを押すごとにその場のマップがザラザラとともに表示される。


戦闘には入れるので、入ると上画面は元に戻る。


以後、元に戻る。

が、豊洲ターミナルに入ろうとすると、また同じことの繰り返しになってしまう。
つまり、豊洲ターミナルに入って使うことができない。(しかもバグる)

3DSの電源を切ってもこの現象は変わらない。
データ依存。
仲魔消失バグにも遭遇したことあるし、怖いわ。

なんでこんなことに遭遇したかっていうと番人の台詞コンプしてたからだよ。
チートとかはしてないよ。
Posted at 2020/08/27 17:30:41 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記 | 日記
2020年08月27日 イイね!

第8回 オーディオ調整通信講座 ベースの音程とロードノイズについて

5年ぶりの通信講座!(笑)
はい、席に着いてー。

どうにもね、不定期にも程があるだろ。
……と自分でツッコミを入れる。

とあるブログに頂いたコメントに返信した内容を、少し噛み砕いて紹介しようと思いますよ。

タイヤのロードノイズは一般に50Hz~500Hzと言われています。
(私が計測したわけではない)

低音を受け持つウーファーがしっかり鳴らないカーオーディオで低音が鳴らないのは、ここの周波数が被ってて聴こえないからなのです。

じゃあどうしたら?と言えば、
相殺されないよう、低音をイコライザーで持ち上げるわけ。

細かくイコライザーのバンド調整できる人は役に立つだろう。


これを見るとわかりますが4弦23フレットのベースは、
受け持ちが41Hz~370Hzとなっています。
因みに4弦ベースのデータしか持ってないから、5弦ベースや24フレット以上のものはわからないよ。

ともかく、おもいきりロードノイズに飲み込まれてるわけです。
こりゃロードノイズが五月蠅ければ、低音が聴こえる道理はない。

ベーシストは曲を弾くことができれば「この音は〇弦の〇フレット!」とわかるため、再生して、気になるピークとディップのところを触ればいい。

あー、ベーシストで良かった(笑)

……当たり前だけど、周波数いじっても、ベースだけが変わるわけじゃないからね?
Posted at 2020/08/27 09:01:26 | コメント(0) | トラックバック(0) | オーディオ調整通信講座 | 日記
2020年08月25日 イイね!

有人スタンド、レギュラーガソリン\120/L

有人スタンド、レギュラーガソリン\120/L安いのか、高いのか。セルフスタンドで給油しない人。
会員価格でも何でもない。
こんな暑いのに外に出ると死ぬ。
術後でまだ具合悪いし。
(処方箋をもらいに仕方なく外出したついでに給油)

それはともかくここからタイトル詐欺。
タイヤが静かになったら、低音が出過ぎてるように思えて、カーオーディオのバランスを変えてみた。

今までは音量35で、イコライザーはTREB-1 MID-1 BASS-2だったんだけど、どうにも音量を35で固定してるとBASSを下げても上手くいかなくて、いちからやり直すつもりであれこれやってた。

結局、音量33で、イコライザーはTREB±0 MID+1 BASS±0になった。

音量下げたのにイコライザーで上げてたら意味ないじゃんって思うでしょ?
微妙に違うんだな。

まあ、低音が抑えられたかって言うと、
「レクサスだから出てる」と言っておこう……。
相変わらず、バスドラムが鳴るとルームミラーは振動する。

(゜Д゜)十分出てるだろ

‎(´・ω・`)抑えたかったんだけど量感に比例して質感が劣化していくの……
Posted at 2020/08/25 18:32:41 | コメント(2) | トラックバック(0) | RC300h | 日記
2020年08月25日 イイね!

「オーディオ羅針盤 菅野沖彦・著」読書感想文

「オーディオ羅針盤 菅野沖彦・著」読書感想文故・菅野沖彦さんのオーディオ羅針盤を読んで。
親しみを込めて「さん」呼びをしたい。

「新レコード演奏家論」は既読済みだが、オーディオ羅針盤は初めて読んだ。菅野さんの理論は私にとってそのほとんどが養分であり、学ぶべき教えである。真っ当なことばかりだと思う。オーディオの高みを目指すのならば触れておいて損はないとすら思っている。最近のオーディオ評論家はこういう持論を語ってくれないので寂しい。製品のレビューだけでは物足りない。

菅野さんは30そこそこの年齢でプロローグのようなことを言っていたと語っている。私も30そこそこの年齢のときには同じような考え方をしていたが、その頃にはすでに菅野漬けだったので、元からの素養なのか、影響下なのか、わからぬ。

良い音も聴きたいけど「音楽」を聴きたい。それを忘れてはいけない。しかし良い音楽は多少悪い音質でもまったく気にしないほど没頭できる。ここがオーディオと音楽の面白い関係性でもある。

イコライザーを導入して以来、良い音は勿論、より良い音楽が奏でられるようになった。これは我ながら大変興味深い。(オジー・オズボーンのオズモシスの例など)

◆アコースティック・ベースの音を電気的に増幅させると、純粋にアコースティック・ベースの音ではなくなってしまう。
これはいちベース弾きとしては痛感している。アンプ、スピーカーユニット、あるいは部屋の影響を受けて、音量を上げたからとて、そのまま欲しい質感が出るわけではなく、むしろ音量を上げれば上げるほど、掛け離れていく。

しかも私の場合は複数のエレキベースを同じアンプとスピーカーで増幅させて、すべてが良いように鳴らしたいのだ。が、やはりそうそう上手くはいかない。平均点としてはどれも理想の80%辺りで妥協している。音量を上げると個体の持つある種の歪みまでもが増幅されているからだろう。どれかひとつを狙って100%にすることはできるが、他のどれかが煽りを食らって30%の満足度にしか到達しない。それこそ望まないことだ。ベース本体のイコライザー、ボリューム機構を使っても難儀である。そもそもベースごとに音圧が違っていて、演奏時の音量の均一化に拘りボリュームを絞ると、質感が落ちたりするので手に負えない。基本的にベース本体のボリュームは最大状態が一番良い音が鳴る(同じメーカーのベースであっても統一はされていない)。

◆無響室とリスニングルームの関係性について。
よく、録音をロスなく再生するにはスピーカーのエンクロージャーが鳴いてはダメだ、と言う。振動板から音は発せられるのであるから、それ以外は鳴ってくれるな、ということだ。では、リスニングルームの反響、残響は再生された音の反響、残響である。余計な音だ。机上の理論で言うのなら、スピーカーは振動板だけの響き、リスニングルームは無響室。これなら余計な反響、残響がなく、録音されたものを100%聴ける…、と思いきや、これではダメなんだそうな。理論上は完璧なはずなのにそうはいかないところにオーディオの未完成さがあるという。しかしながらスピーカーの測定は無響室でやったとしても、耳で判断して音決めするのは普通の部屋のはずだ。無響室で音楽を奏でることを前提に音作りをすれば、あるいは無響室で朗々と鳴るスピーカーが出来上がるかもしれない。ただしそれには何の意味もない。無響室で音楽を聴くやつがいてたまるか。

人によって音の聴こえ方が違うのは、耳の形や体型、今までの経験から成る音への理解などが複雑に絡み合っているように思う。さしてオーディオに興味のない人たちに音楽を聞かせた場合、何だこれはと一人だけ強い関心を持ったりするし、十人十色の興味を示した反応を見せることもある。如何にして心の琴線が震えるかだろう。特に初回でガツンとやられた感覚は強烈に記憶に残る。私を例に挙げるとドラムのパンニングだ。サイズはミニチュアだったが、私にはそこにドラムのセットが存在していた。やはり音は抽象なので(耳で)触れてみないことには実感が持ちづらいわけだ。オーディオフェアのイベントはまさしくそのために始まった。

◆オーディオ機器に対する関心。
オーディオは音楽を聴くための手段である。オーディオマニアはその手段であるオーディオに強い興味を持ち、その固有差から来る音質を理解し、率先して取り組む者のことだ。ではオーディオ機器にはどういうきっかけで興味を持つのだろう。ひとつにはその発音原理を不思議に思う、というものがある。機械を分解して少しでも理解しようとする者もいる。または何かオーディオを入れ替えたとき、その音質差に気付くかどうか。

私は音質差に興味を抱いたタイプだ。古くは任天堂のゲームボーイで遊んでいたゲームのサウンドトラックを、ポータブルCDプレイヤーとイヤフォンの組み合わせで聴いたとき。家のテレビが替わっても音質には興味を持たなかったが、aiwaのラジカセからパナソニックのMDも再生できるミニコンポ(定価約14万円を展示価格で半額程で購入)に変えたときには、細かな音がより聴こえることに気が付いた。そして決定的だったのは就職先の先輩によるカーオーディオだった。このとき音像というものを初めて意識させられた。それを知ってから最初の休日はミニコンポのスピーカーを初めて分離させ、左右の距離を取り、中空に音像を出すことができた。勿論今聴けば吹いて飛ぶような音質だと思うが、それでも嬉しかったものだ。音楽を聴いているようで、オーディオならではの表現を楽しむことを覚えてしまった。記録音楽(レコード)を聴くのであれば、大衆向けな実用品としてのオーディオで十分だが、そこの枠に収まるようなものはオーディオ趣味としての可能性が希薄なため、熱中することは少ない。

では高価なオーディオはどうか。可能性が見込める分、悪い方にも転ぶこともある。宝の持ち腐れというやつだ。可能性から良さを引き出すことこそオーディオ趣味たる一環である。この趣味は副産物的にボケ対策にもいいという。

そこまで熱心に調整した音も、映像付きとなると途端に視覚に意識が向かってしまい、余程の音質でなければ気にしなくなってしまう辺りが、映像を伴わない音のみの世界の儚さであり、ロマンだろう。映像付きならば音質の向上は、映像に対する臨場感の向上ともなるが、映像を伴わない場合(普通にオーディオ音楽を聴いているとき)は、「これは臨場感がある音質だ」とは評論家ですら言わない感想である。

臨場感とは一体どういうことなのか? なぜ、そういう表現でオーディオ機器の評論をしないのか? 少し掘り下げて考えてみたい。
ネットの辞書曰く「再生音場においてあたかも目の前に演奏者がいるような、自分が演奏会場にいるような印象を得ること。 客席のざわめきなど聞きなれた音に接したときにリアリティが高まるという意味での臨場感を味わうこともある」とある。
音のことを前提にした解説が出てきたのは興味深いところではあるが、それはさておき。これはオーディオ音楽を聴いていて迫真を伴った音像や実感が現れた場合にそっくりそのまま当てはまる。なのにおかしなもので、それでも「臨場感がある」とは言い表さないのだ。なぜならこれはオーディオ機器の評論をするうえで「かなり漠然とした言い方」だからだと思う。「臨場感がある」と言われても具体性に欠けるわけだ。もっと事細かく詳細微細に文章表現をしないと読者は納得してくれないし、伝える方も感じ取った感動を伝えきれないと踏んでいるのではないか。

◆音の特質。
色気、哀愁、甘さ、憂い、仄暗さ、粘り気、芯の確かさ、滲み、生々しさ、なめらかさ、強すぎない力強さ、自然な聴き応え、余韻、後腐れのなさ、色合い、佇まい、欠落のなさ、曖昧さ、深さ、綾、情緒、情報、肉厚、コク、まろやかさ、情念、乗り換える快感、乗り潰す快感、表面の柔らかさ、内面の硬さ、波状の拡がり、しなやかさ、微かな緊張感、ゆったりとした穏やかさ、うねり、暖かさ、冷たさ、等々……。これらに限らず、まだまだ沢山望みたい。欲張りなのだ、私は。

◆高級品は高額品であることがほとんどだが、ただ高額なだけの高額品は高級品ではない。
然るべき品質を顕現させているものは高級品。品質を垣間見ることもないものは低級品。開発研究を終え、製品化した後、高級のための成果が当面塗り替えられることのないものこそ、最上級であってほしい。そういうものは買える買えないはともかく、人を惹き付けるし、未来を才気煥発するような製品になるものだ。

◆こちら側の努力を要求しないものは趣味と言えない。
ただ、楽なだけ。ただ、行うだけ。確かにそれらは趣味と呼ぶには値しない。

「趣味はドライブです」
ぼーっと車を走らせるだけでドライブ足り得ない。

「趣味は釣りです」
糸を垂らしているだけでは釣りとは言えまい。

「趣味はグルメの旅です」
無作為に評判の良い店を訪ねることがグルメの旅ではない。

「趣味は映画鑑賞です」
映された画面を眺めているだけで趣味の映画鑑賞と言えるだろうか。

「趣味は料理です」
創意工夫もせず与えられたレシピ通りに作ることだけが趣味の料理ではないだろう。

……言い出したら切りがない。
つまり同じく「趣味はオーディオ(で音楽鑑賞をすること)です」とあれば、右から左へ音楽を聞き流しているのではないということだ。聞くのではなく、聴く。

◆オーディオシステムの音質に不満を持ち、性能を発揮させないウチに買い替えることは愚かである。
自らの能力のなさを棚に上げ、機械のせいにしているだけで、十全に能力を発揮している(であろう)状態から買い替えるにしても、その変化が自身にとって好ましいものかどうかの判断力を養っていなければならない。買い替える前にどうなるか、ある程度の予測はつくかどうか。つかないなら手を出すのは徒労に終わる可能性が高くなる。

◆スピーカーの存在感。
私はスピーカーに居て欲しいし、消えても欲しい。スピーカーが鳴っているんだという感覚を残したまま、音楽だけがそこにあって欲しいからだ。音像と音場は強固に構築されながらも決して押し付けがましくない奏で方。聴き応えはあっても聴き疲れはしない奏で方。間違っても、部屋の隅にあるスピーカーが鳴ってるのはわかって、なんとなくぼやけて音楽が聞こえる(聴こえるではない)のとは隔絶されるものだ。

◆音量。
私は私が喋るより少し大きな音量で聴く。クラシックのオーケストラだから、ライヴ版だからといって原寸大さながらの膨大な音量にはしない。これは偏に部屋との整合性が関係していて、音を大きくすると音の逃げ場が飽和して質感が劣化するからである。そういう意味では大音量向けのセッティングではないとも言えるが、そもそもそこまでの音量で聴きたいとは思わないので利害は一致している。

ではなぜその辺りの音量にこだわるのかというと、他には、近所迷惑のトラブルを引き起こさないこと、聴き応えの確かさを感じ、質感も表現できる音量であることが、丁度私にとってはその辺りなのである。耳鳴りがするような音量は耳を痛めるのでやめておきたい。確かに大音量ならではの音圧による高揚感はあるが、部屋の影響、近所付き合い、または家庭環境を省みると、あまり現実的ではないだろう。ただしビッグバンドのサウンドを蚊の鳴くような音量で聴くのも違うと思う。音楽は聴く音量によって評価が変わる。静かな音楽を大音量で聴いた場合とそうでない場合は印象はまるで異なるはずだ。それ故、個別に慎重な音量合わせをするべきなのである。私は横着なので感じ取れる範囲でジャンルごと数パターン設定をする。ことに、弱音の美しさを堪能するとき、その弱音すらも大音量では格好がつかないだろう。こういうものは音楽の表情のひとつなのだ。
よく音楽のレビューを読んでいて一人だけ、貶すが如くの評価を下していたりするが、彼、彼女の音量設定が気になったりもする(問い質したりはしない)。

◆アンプのパワーについて。
パワーが頭打ちになってクリップしたときが、スピーカーにとって最も危険。それならアンプにはケチケチせずオーバークオリティなくらいのものが良い。私はプレイヤー、アンプ、スピーカーのどこに一番予算を割くかというとアンプである。当時の販売価格でプレイヤー200万、プリアンプ120万、パワーアンプ240万、スピーカー132,6万だったので、アンプに一番割いているのがお分かりだろう。いずれアキュフェーズのプレイヤーを購入したらトータルで注いだ金額はプレイヤー部門が上回ることになるが、ケーブルなどのアクセサリーはまた別口である。

スピーカーは音を出す部屋の規模、望む音楽の聴き方を考慮すると、サイズの面でも金額面でも、そこまで高価なものは購入しなくて済む。高価なものはその規模も大きいのがほとんどで、部屋に入れられなかったりする。あとは音の入り口であるプレイヤーにどれだけこだわるか。最後にスピーカーを鳴らしきれるだけのアンプ選びとなる。

私が使っているLINNのKLIMAX SOLOはモノラルアンプで出力もステレオアンプのそれよりも大きいわけだが、音の質感、アンプの外観、消費電力に至るまで、私の好みに合致し過ぎていて、プリアンプのKLIMAX KONTOROLと合わせてお不動さんになっている。文句があるとしたら、その薄さ故に、結線がやりづらいということくらいか。

◆セパレート・アンプの存在理由。
ずばりプリメインアンプ(インテグレーテッドアンプ)よりも高音質であることだと思う。わざわざセパレートにすると、置き場所も食う、接続のためのケーブルも増える、というデメリットがある。このデメリットを押し退けるほどの説得力を持った音質を備えていなくてはセパレートにする必要性はまったくない。組み合わせの妙というものがあるし、その変化を楽しむというのも確かにあるが究極はその音質の追求に他ならない。

◆他人にお勧めされたオーディオにケチを付けてはならない。
勧めてくれた人を恨んでもいけないし、手に入れたオーディオそのものも恨んではいけない。なぜなら、自分の浅はかさを露呈するだけだから。他人に「これは良いオーディオだ」と推薦されたら「そういうものもあるのか」程度に留めておき、使いこなせるか、ライフスタイルに見合ったものであるか、聴きたい音楽を奏でてくれそうか、熟考しなければならない。ケチを付けるというのは、それらをしていなかったということだと捉えられても仕方ない。勿論、誰彼構わず推薦してくるものと自分のためを想って推薦してくれているのかではまったく違う。

◆剛性と制動。
書籍ではアナログディスク(AD)プレイヤーについて触れているが、剛性と制動を対策実行している私の場合はCDプレイヤー、アンプである。あまりガチガチにしても良くないとは、これまた書籍にて触れられているが、同感だ。
まず私の部屋の振動源を探ると、大きく分けて、スピーカーから出た音圧で振動することと、機械自体が微振動することである。日本は地震大国ということでそこかしこに耐震グッズがある。そこで震度7にも耐えるようなゴム製のマットをインシュレーター(絶縁)として使用している。一度や二度くらい耐えているのを見たことがあると思うが、地震のパワーに耐えられるのなら、それと比べたら音圧の振動など可愛いものだろう。それにそんなに大音量派でもない。ということで、機器に噛ませてある(アキュフェーズ製品は足底がフェルトのため未使用)。あとは機器の自重による制震性に期待するだけ。こんなことをしたら音がゴム臭くなるだろ、とマニアの方々は仰るかも知れないが、そもそもの本来あるべき使い方として地震に耐えてもらわないと、いざ何かあったらラックから吹き飛んで破損しました……、では目も当てられないのだ。そして音質もゴム臭くなったりはしない。功績としては私が不在の間にも震度5に耐えてくれたことがある。

◆レコードを一枚安定して聴けること。
いくら曲の一部分だけの音質がずば抜けて良くても音飛びが激しいCDプレイヤーを欲しがるだろうか? 夏場には熱暴走を起こすアンプを欲しがるだろうか? 試聴に当たらない部分を再生したら音割れを起こすスピーカーを欲しがるだろうか? これらは極端な例だが、世界を見渡せばないわけではない。

オーディオ評論家が試聴をする場合、特定ジャンルの特定箇所を聴いて評論を書く。すべてを聴いている時間などないので仕方ないことだと割り切る必要はある。これは評論家でなくともショップで試聴をする場合、自分のお気に入りをすべて聴いて……というのが無理なことと同じである。だが、上述のような、少し再生の場が違ったらレコード一枚も再生し切れず馬脚を現すようなものは、オーディオ評論家なら、音質に感動したからと言って、ただそれだけで褒め称えるのではなく、冷静に品定めをした上で推奨をするべきであって、その判断をしなくてはならないと菅野さんは言う。一時期dCSのプレイヤーについて、音質は素晴らしいが、ソフトウェアのバグがあるから気を付けろと、しっかり忠告してくださっていた。

スピード感のある音質という言われ方をするが。
最近ステレオサウンドでは使われなくなってきたが(使っていたのも一部の筆者だけだが)、私はあまり好きな音質表現ではなかったりする(その筆者が嫌いなわけではない)。何故かと言うと、わかりにくいから。言いたいことは説明もあったし、わかる。立ち上がりと立ち下がりが瞬時に鳴り、音がキビキビとしている様、ダラダラと尾を引かず、細部が聴き取りやすい様……など。それらを一言で例えるとスピード感のある音質、となる。

しかし、まったくオーディオ評論に馴れてない人が、このスピーカーはスピード感のある音質だと言われたらどう思うだろうか。単純にスピーカーから鳴る音が速く聴こえる……と思わないだろうか?音速は変わらないのに。だからこそ頻繁に使われていた当時は注釈のように解説をしていた。それなら素直にそう言えばいいのでは?と思うのだ。

レクサスのマークレビンソンは比較的このスピード感のある音質というのが当てはまる気がする。強く、硬く、鋭く、凛々しく、重く、勢いよく、……など。これらがダメとは言うつもりはない。しかし、パラメーターがあったとしてそれらに振りすぎていたら、相反するような要素はどうだろう? 一辺倒では表情の幅は狭まるばかりだし、例えば本来は柔らかく聴こえることが好ましい音ですら、硬く聴かせてしまうだろう。実際にこの音は、暖かくなだらかで柔らかい音質……とは「私は」思わない。尤もマークレビンソン側としては、この音こそがすべての要素を聴かせる音質だと思っているわけだ。同じ感性を持っている人ならばしたり顔のはずだし、私の言うことは疑問符で頭がいっぱいになっておられるだろう……。だから、こうも思う。この音質であるからこそ個性的なレクサスのマークレビンソンである……、とも。

◆CDとCDプレイヤーについて。
菅野さんは晩年「CDプレイヤーは本当に音が良くなった。普及当時はCDのせいにもしていたけれど、それを今のプレイヤーで再生すると驚くほど良い音質で奏でられる」と仰っていた。これはまた、柳沢功力さんも、システムの調整がアナログを鳴らすためのシステムになっていたため、CDを鳴らしても(合ってないのだから)良くなかったという側面もある旨を仰っていた。CDが上手く鳴るように、されどアナログも良く鳴るように、良い意味での妥協点を探らなければならなかったし、そうこうする内にプレイヤー自体もモデルチェンジする毎に音質が向上していったことなどが要因として挙げられる。急に余所者同然のCDプレイヤーを鳴らすお膳立てが出来ていなかったのだ。このことについては今までなかったものなのだから仕方ない。
そして特定の音楽に的を絞ったシステムであればあるほど、こういった傾向は強いと実感する。まるで相性が合わないかの如く下手な演奏になる。結局はその人が聴く音楽がそのシステムで良く聴ければいいということなのだが、特定の音楽だけで他が楽しめないというのは非常に勿体ない。

そうして上手く鳴るようになったシステムで、当時のCDとCDプレイヤーを入れ替える形で奏でたらどうなるのだろう?そういうのもオーディオ趣味としては面白い。だからリファレンスシステムが変わればその後の音質評価は良くなっているはずなのだから、試聴する機器は更に高評価になる可能性が高まる。だから私は尚更、そうした現リファレンスで当時の機器の評価をしてほしいなと、たまに思うのだ。そこで、おや、昔の製品だけどまったく聴き劣りしないぞ、となれば現代でも通用するもの、大切な何かを保持しているということにもなるのではないか……。

◆CDになったら機械による音質差はありません。……というメーカーの広告。
今となっては笑い種だが、性質(たち)の悪い話だ。それと当時から菅野さんは「もっと性能を確保してからCDに移行するべきで、21世紀になるまではアナログで行きませんか?」と訴えていたそうだが関係者からはその意見を一蹴されてしまったことは有名な話だ。そしてCDは今世紀いっぱいとの予想をしているが、終焉こそしていないものの、後々受け皿としてハイスペックなDVDオーディオやSACDが登場することになる。SACDは実に1999年誕生のことであった。そのCDについても詳しく解説していて面白い。これを読むと人間の技術は凄いと思う。

◆録音評の難しさ。
私も買ったものにはレビューをしているが、何を基準に褒め称えるかは都度違う。音質だったり、音楽性だったり。触れてはいるが良さを認めるのは一番感動した点ということになるか。そしてこれはオーディオの状態でいとも簡単に覆る。悪いと判断したものの内、オーディオがその音楽の真価を発揮せず悪く聴いてしまっていたというのは過去にある。だからその場合、私ほどのオーディオでやっと私の受け取れた感動を享受できる、ということになる。逆に言えば私が普段の音で聴いて、これは良い!と判断しても、人によってはその良さが聴けてるかはまったく予想もできない。しかし、誰か私の褒め称えた音楽を聴いていまいちだと思ったのなら、ウィックの感じたものがまだ引き出せてない、とも考え精進すると、何か見えてくるかもしれない。実際、ステレオサウンドの巻末にオススメが載っていて、いざ買って聴いてみたらなんじゃこりゃというのは何度もあった。今の調整されたものではよく聴けるから、まあ、そういうことなのだろう。

私のメインシステムのプレイヤーはSACDプレイヤーだが、プレイヤー自体をどうこう調整するというのは滅多にせず(やってもケーブルの位置を動かすくらいで、動かそうにも前述のゴムマットで固定してある)、触るのは専らイコライザーや、スピーカーの位置、角度調整である。例えば「低音の厚みが絶妙だ」と評価をしても、低音をブースト、またはカットしてたらすべての印象は変わってしまうだろう。

◆銀座のフランス料理屋、レカン(ヴァンサン)の城さん。
この人、ステレオサウンド160号のレコード演奏家訪問で出てきてた人か。

録音評の続き。
「音楽を聴いてダメだと判断した場合、録音が悪い場合もあり、……ということもあるのに、それを録音には一切触れず、音楽家のせいにしてる人のなんと多いことか……」ということだそうだ。良い音楽だと評価しても手柄は音楽家でやはり録音に触れてる人が少なくなかったそうだ。普通の音楽ファンはそういうものなんだろう。今でも、Amazonでよく見かける。

ご自分が買われた音楽の評論や感想を述べるのは勿論個人の自由だが(だから私もやる)、オーディオ音楽という特質を考慮すれば、そのときオーディオに現を抜かしていいわけがない。何百万円ものオーディオを買い揃えて欲しいとは決して言わないが、オーディオに無頓着なのはやめて戴きたいものだ。それにご自分が好きで買われた(聴かれた)音楽が、その無頓着なオーディオ、無頓着な使いこなしのせいで、良く聴けないというのはとても勿体ないことだと私は感じる……。

アナログだったら下手な機械ではまともに聴けないこともあるが、デジタルだとそこそこのオーディオ機器でも、そこそこの音が聴けてしまうというのも、ある面では幸せであり、不幸でもある。評論をする努力の前に、再生システムにこだわる努力をするべきだ。あえて挑発的な言い方をするならば、「あなたの聴く音楽に対する情熱はその程度なのですか?」ということだ。

ただし、だからと言って彼らの素直さや純真さを批判するのもどうか……と菅野さんは仰る。どちらかと言えば、美しさのない音を褒めるオーディオマニアや技術者こそ批判されて然るべきと、厳しいお言葉。

◆AとV。オーディオとビデオ(ビジュアル)。
菅野さんが黒田恭一氏と、メーカーの人がこんなことを言っていたとステレオサウンドの対談で話していた。
「先生たちはいつも音が見たいと言ってるじゃないですか。これからはばっちり(映像で)見れますよ」と。それを聞いて、菅野さんはこう反論した。「いや、違うんだ。音が見たいというのは、そういうことじゃないんだ。(映像で)見えたら終わりなんだよ」と。その人は見識のある人だったので「なるほど、見えたら終わりか……」と納得してくれた、という話。そしてこれはどこかでブログに書いた覚えも何となくあるが、アダルトな方のAVの話で、日本は性器を直接映してはいけないということになっている。そこで、どのAV女優だったかはさっぱり思い出せないがこんなことを言っていた。「私たちは見せたら終わりなんです」と。これは想像力でどこまでも高まることができるという意味では同じ意味なのだ。

また、画面と音を整合させないと折角の大画面も効果が半減するどころか悪影響を及ぼすとのこと。これはよくわかる。私のシステムはざっと120インチ相当の画面に匹敵するスケールだが、使ってるのは2メートル離れた55インチ。画面がより小さく見えてしまう。そうなると映像と音のお互いが気になって視聴できないのだ。

この問題はヘッドフォンシステムが解消してくれている。55インチの画面までの距離とヘッドフォンの左右の距離がピタリと嵌まり整合性が取れている。あくまで鳴り方はヘッドフォンという枠組みの中だが、オープンエアー型を遺憾なく発揮してくれている。

◆企業による独自規格乱立、消費者を巻き込む戦争消費。
悲しいことに今も変わってない。SACDの伝送規格なんてもう永劫、統一されることはないと思う。

◆あとがき。
1985年7月に書かれた書籍だが、35年経った2020年でも正道を示していると、私は思う。そもそも菅野さんの意見に反対することはほとんどないわけで。

あるとしたらTADのフラグシップスピーカー(の同軸ユニット)に対して、オリジナリティがない、恥を知れと急に怒りだして、代わりにスネルというメーカーのスピーカーをべた褒めしたときくらいか。TADのその前モデルではむしろ褒めてたし、あまりコンセプトの変わらない後継機スピーカーに対して激怒していることを疑問に思ったわけだ。まあ、そのくらい。

でも菅野さんでも「ナウい」という言葉遣いを使ってたときがあったんだなと知れてホッコリしている。

読書感想文と私の持論が混ざったが、読んで下さった方、お疲れさまでした。
私は誤字脱字チェックで何度も読み返しましたが、あったらごめんなさい。
ちょっと説教臭いかなと思った(笑)
真面目に書くと三浦孝仁さんみたいな文章になるんだよねェ。
Posted at 2020/08/25 14:57:24 | コメント(1) | トラックバック(0) | オーディオ | 日記
2020年08月23日 イイね!

パーツレビュー ダンロップ ビューロVE304の書き足しをした

パーツレビュー ダンロップ ビューロVE304の書き足しをした書き直しという内容の追記じゃあないから、再レビューではない扱い。

でもいちいち見に行くのはかったりぃでしょ?
その部分をここに書きますよっと。

-----
排水性。
なかなか雨が降らなかったので確認できなかったが、今まで履き替えたタイヤの中でも引っ掛かる感じは低減していて、サーっと走れた。これまたちょっと体験したことのない引っ掛かりの無さ。
(くどいが、溝がないタイヤからの乗り換え感想であるものの、印象としてはそこと比べているわけではなく、今まで使ったことのあるタイヤたちと比べている)

転がり。
アクセル放してもよく転がる。アクセル踏んでいれば尚のこと転がる。つまり言い換えると、ブレーキの効きが甘くなったとも言える。更に裏返すとハイブリッド故に回生ブレーキをより長く利かせられるということ。結論としてバッテリー残量が溜まりやすく、モーター走行に一役買っている。燃費伸びるの構図。
-----

早く実燃費を調べたいわ。
ガソリンの減り具合からして、もう一か月以上は掛かりそうだなァ。
Posted at 2020/08/23 20:47:33 | コメント(0) | トラックバック(0) | RC300h | 日記

プロフィール

ウィックと申します。 特技はオーディオ調整です。 就活では役に立ちそうにありません。 趣味の方では役立ってます。 『A MEETING of ENJ...
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2020/8 >>

      1
23 4 5678
9 101112131415
16 1718192021 22
2324 2526 27 2829
3031     

リンク・クリップ

傷つくのが運命(さだめ)だとしても、心はまだ色を放つ 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2023/08/02 21:32:28
真・女神転生Ⅴ キャラクターモデリングについて 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2022/03/30 10:29:35
 
真・女神転生Ⅴ 有志による編集データ 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2022/03/21 12:20:11
 

愛車一覧

レクサス RCハイブリッド レクサス RCハイブリッド
2016年10月8日、RC300h F SPORTを契約したのでページを新しく増設しまし ...
レクサス CT レクサス CT
2012年4月14日に納車です。 納車されたから画像貼りました。 Ver.L ブラッ ...
トヨタ セリカ トヨタ セリカ
結構いじり倒してました。 燃費も平均14をたたき出すおりこうさんでした。 なぜドアミラー ...
レクサス IS レクサス IS
IS 250 Ver.Lです。 オプションもいくつか付いていますが今のところは超どノーマ ...
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation