10月3日発売のデアゴスティーニの隔週刊「第二次世界大戦 傑作機コレクション」vol.44、中島 二式水上戦闘機です。同シリーズではおよそ2ヶ月振りの日本機のリリースですね。日本機しか購入していない僕としては、金銭的余裕を見てもこの位のペースが丁度良いんですけどねぇ~。今回は二式水上戦闘機(以下、二式水戦)ですか。とうとう水上機までラインナップされちゃったんですねぇ…。まぁ…既に偵察機やら試作機やら双発機やらとありとあらゆる機体がラインナップされてきましたから、今更水上機が出てきても驚きはしないのですが、仕舞には練習機なんぞも出てくるんでしょうねぇ…きっと。そして、このシリーズはいつ終わるのか。絶対予定している号では終わらんのでしょうね。「ご好評につき…」が大好きですから、このテのシリーズは(笑)。 日本は太平洋上での作戦を展開するにあたって、飛行場造成までの繋ぎ的役割などから水上機の運用を他の国よりも重視していた様で、この二式水戦が登場する以前の複葉機の頃から既に幾つかの水上機が制式採用され海軍で運用されていました。昭和15年9月には後に水上戦闘機「強風」として制式採用される事になる十五試水上偵察機の試作が川西航空機に発注されています。しかしながら、この頃は既に日米間の緊張度が増していた事もあり早急な水上機の前線投入が必要とされ、翌年の昭和16年の初めには中島飛行機に対して零戦をベースとした仮称一号水上戦闘機の開発を発注される事になります。三菱の零戦をベースにした水上戦闘機の開発を敢えて中島に発注したのは、中島がかねてより水上機の開発を幾度も行っていた事で開発経験が豊富であった事が理由となっています。そして昭和16年12月には試作一号機が初飛行を終え、更に翌年の昭和17年の早い段階でテストも終了しました。フロートなどにより、零戦二一型よりも約10%弱重量が増加しましたが、零戦の強みである運動性能の良さを大きく損ねる事は無かったようです。最高速度は零戦よりも100km/h弱低下しましたが、当時の連合国の戦闘機との戦闘においては十分な性能も発揮できた様です。実際にB‐24やB‐17などの爆撃機、F4Fワイルドキャット、P-39エアコブラなどの陸上(艦上)戦闘機も撃墜した実績もあるなど、水上機としては勿論、戦闘機としてもなかなか優秀だった様ですね。 この後、昭和18年以降に登場する水上機「強風」などがあまり活躍の場がなかった事を見ても、この二式水戦が日本海軍における水上機運用のピークだったのかもしれませんね。