
11月14日発売の隔週刊「第二次世界大戦 傑作機コレクション」vol.47、愛知 零式水上偵察機(S=1/72)です。前回当ブログにアップしたvol.44の二式水上戦闘機から約1ヶ月振りの日本機のリリースです。日本機のみ購入している僕にとっては、この位のペースが丁度良いですけどねぇ。しかしながら、なんと今回も水上機がラインナップされたのは驚きですね(笑)。
零式水上偵察機(以下、零式水偵)は三菱の零戦同様、皇紀2600年、すなわち昭和15年に旧日本海軍に制式採用された機体で、愛知航空機がその開発にあたりました。旧海軍は、航空戦力を導入し始めた頃より、水上機の開発と生産に熱心でしたが、それには日本が海洋国家である事などが少なからず関係している訳ですが、この零式水偵は日中戦争から大東亜戦争の終戦まで活躍し続けた水上機ということで、まさに旧日本海軍における水上機の決定版といえるのではないでしょうか。
昭和12年、海軍がこれまでの九四式水上偵察機の後継機として、愛知航空機と川西航空機の2社に対して「十二試三座水上偵察機」の開発を命じました。この時、海軍からの要求として、艦載機としての運用、水上基地での運用の両方が可能である事、長距離偵察機として運用できる事、最大速度は370km/h程度とする事などが挙げられています。この十二試水偵の納期は翌年(昭和13年9月)となっていましたが、結局愛知航空機はその他の試作、改良などに手を取られてしまった形で、納期に試作機を納める事ができず失格とされてしまいます。しかしこの時、愛知航空機は社内の研究資料という名目でそのまま試作機の製作を継続する事となり、試作第1号機は昭和14年1月に完成しました。一方、もう1社の川西航空機の試作機は完成したものの、昭和14年6月に試作機が事故により失われてしまいます。そこで海軍は一度失格とした愛知の十二試水偵の試作機を横須賀で試験を行い、そこで性能面での優秀性が評価されて昭和15年に零式水上偵察機一一型として制式採用される事になりました。制式名は「零式水上偵察機」である事から、「零式水偵」もしくは「零水」などの略称、俗称で呼ばれるほか、同じく昭和15年に採用された「零式小型水上偵察機」との違いを分かり易くするために、零式三座水上偵察機とも呼ばれたり表記されたりします。
零式水偵の運用にあたっては、空母や巡洋艦などに搭載していわば「艦隊の目」として運用する事を想定していた事から、昭和16年頃から艦船などへの配備が本格化していき、同年12月の真珠湾作戦などにも参加し、索敵、偵察任務を行っています。
しかしながら昭和19年以降になると航空技術の進歩に伴い、零式水偵の速力、運動性能では徐々に索敵、偵察任務が困難になっていきます。空母で運用される偵察機などは速力のある中島「彩雲」などの艦上機が登場し、水上機の零式水偵はその役目を譲る訳ですが、戦艦や巡洋艦などでは引き続き零式水偵が運用され、夜間偵察、船団護衛、対潜哨戒などの任務の主力機として昭和20年の終戦まで運用されました。その中で、電波探信儀(レーダー)を搭載した一一型甲や、磁気探知機を搭載した一一型乙などが開発され、上述の対潜哨戒や夜間偵察任務などで活躍しました。また、本機は水上機としては最も生産数の多い機種でもあり、総生産機数は1423機であり、そのうちの約200機が終戦時に残存していたそうです。
外翼部のみ上反角が与えられた主翼形状は、この零式水偵の外観における特徴的な部分と言えますね。この機体、フロートを外したら更に格好良さが増しそうです。
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Posted at
2017/11/15 23:22:32