1月23日発売のデアゴスティーニの隔週刊「第二次世界大戦 傑作機コレクション」vol.52、三菱 零式観測機です。いはやは…ラインナップされる日本機の『水上機まつり』が止まりませんね(笑)。vol.44の中島 二式水上戦闘機から4号連続で水上機の日本機がラインナップされるとは…。しかも今回は複葉機ですよ。マジでこのシリーズ、80号で終わらせる気がないんじゃないかと思います(汗)。70号以降に「ご好評につき○○号まで延長します」みたいにサラッと告知するんですよ…きっと(笑)。 昭和10年(1935年)、海軍省は三菱重工業、愛知航空機及び川西航空機の3社に対し、着弾観測と短距離偵察を主な目的とする「十試水上観測機」の設計、試作を発注しました。この時海軍が要求した性能として、従来の着弾観測及び偵察任務の他に敵機を排除できる水上戦闘機としての性能も含まれていました。試作機発注の翌年、昭和11年6月には3社の試作機が比較審査され、昭和15年(1940年)12月に三菱の試作した試作機が「零式一号観測機一型」(後に零式観測機一一型(F1M2))として制式採用されました。尚、制式採用されるまでの間、課題となった主翼や尾翼形状の改修を行い、併せてエンジンも試作一号機に搭載した中島製「光」空冷星型9気筒(660hp)から自社製の「瑞星一三型」空冷複列星型14気筒(875hp)に換装されるなど、全体的な性能向上が図られています。昭和10年前後と言えば航空技術はまさに「日進月歩」であり、時代は複葉機から単葉機へと移行しつつある時代でした。そんな中、三菱では速力や空力的に有利な単葉機ではなく運動性能に優れた複葉機を選択し、水上観測機にも関わらず戦闘機相手でも互角に格闘戦が行える優秀な機体を作り上げる事に成功しました。 実際、大東亜戦争開戦以来「艦隊決戦」が行われる事はなかったので、零式観測機は本来の任務である着弾観測などでは活躍する場面がなかったものの、その高い運動性能を生かして大東亜戦争初期には哨戒や船団護衛、爆撃、防空戦など様々な場面で活躍する事となり、時には陸上戦闘機をも撃墜する活躍を見せたそうです。戦争後期では明らかに速力や武装面で不利な状況にも関わらず、持ち前の運動性能を生かして本土防空においてF6Fヘルキャットを未確認撃墜するなど、終戦まで幅広く運用され活躍した機体でした。まさに「複葉機の集大成」と呼ぶに相応しい傑作機ですね。