
3月6日発売のデアゴスティーニの隔週刊「第二次世界大戦傑作機コレクション」vol.55、中島 彩雲(S=1/72)です。
彩雲と言えば、機体、エンジン共に中島飛行機が開発した艦上偵察機であり、第二次世界大戦中では日本海軍の航空機としては最も高速で飛行した機体で有名ですね。そもそも、第二次大戦中において「偵察機」は世界的にみても専用機が開発される例は少なく、欧米においても既存の攻撃機、爆撃機または戦闘機が偵察任務を兼務していたようです。そんななか、日本陸海軍は偵察に使用する専用機を大正期より開発、運用していました。しかしながら、その性能は他の攻撃機、爆撃機等と大差がないことから、欧米同様に偵察機としての活躍の場は決して多くなかった様です。その後、昭和16年以降には日米開戦によって敵機の追撃を振り切ることのできる「強行偵察」が可能な高速度性能と長大な航続距離を持つ偵察専用機が必要となってくる訳です。
そうしたなかで、昭和17年に海軍より正式に中島飛行機に対し十七試艦上偵察機の試作指示が出る訳ですが、その要求内容は速度で640km/h以上、航続距離で4600km以上という当時としては極めて高い次元の要求内容でした。
この要求内容に対し、中島飛行機では十七試艦偵に自社開発の空冷星型複列18気筒の「誉二一型」(1990hp)や「誉二二型」(2000hp)エンジンを搭載しましたが、この「誉」エンジンだけでは海軍が要求する性能に達する事ができませんでした。そこで、中島飛行機の開発陣はエンジンの出力不足分を機体構造の見直しにより補おうとしました。エンジンの直径に機体を合わせる事により前面投影面積を小さくし、細身で直線的な機体形状としました。主翼は当時の最新翼形状だった「層流翼」を採用し、空気抵抗を極力減らす工夫がされていました。そうした開発の苦労を重ねた末に試作機1号機が昭和18年4月に完成し、概ねの要求性能を満たしたことから翌昭和19年4月より、艦上偵察機「彩雲一一型」として制式採用、量産化されました。
運用後の彩雲は当時の日本の工業力、戦況の悪化などからエンジンの性能をフルに活かしきれなかった事もありますが、それでも欧米の戦闘機の追撃を振り切る「強行偵察」が可能な性能は発揮したようで、「我ニ追イツク敵機(またはグラマン)ナシ」の打電は彩雲の高速性能の高さを物語る有名な逸話ですね。とはいえ、制式採用された昭和19年には既に海軍の空母は壊滅的であったことなど、艦上偵察機として活躍する機会は殆ど残っていなかった飛行機であった事も事実であり、その優秀性を存分に発揮する事ができないまま終戦を迎えたと言わざるを得ない機体のひとつではないでしょうか。戦後、米軍が自国で高いオクタン価のガソリンや高品質なプラグなどを使用して彩雲をテストしたところ、最高速度694.5km/hを記録するなどエンジン、機体共に日本の技術力の高さは決して負けてはいなかった事が伺える誇るべき機体だったと言えますね。
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Posted at
2018/03/11 20:50:18