
10月30日発売のデアゴスティーニの隔週刊「第二次世界大戦 傑作機コレクション」vol.72、中島 一式戦闘機 隼(キ43)「飛行第五九戦隊機」(S=1/72)です。
同シリーズの購入も約1ヶ月振りとなりますね。今号も例の如く以前ラインナップされた機種が再登場となります。今回は「飛行第五九戦隊機」として塗装が再現された一式戦闘機 隼Ⅱ型(キ43-Ⅱ)です。
第五九戦闘隊は映画「加藤隼戦闘隊」でお馴染みの加藤建夫少佐率いる「飛行第六四戦隊」と同じく一式戦闘機を一早く運用した部隊だそうです。
昭和16年12月7日(日米開戦前日)に「一式戦闘機Ⅰ型」として制式採用され、飛行第五九戦隊に21機、飛行第六四戦隊に32機がそれぞれ配備されました。これらの一式戦は、マレー攻略戦に投入され、英空軍のブリュースター・バッファローやホーカー・ハリケーンなどを圧倒し、その後の連合国との緒戦で大戦果を挙げました。その後、昭和18年には「一式戦闘機Ⅱ型」が登場し、発動機は940hpの中島「ハ25(海軍名 : 栄一二型)」から1130hpの「ハ115(海軍名 : 栄二一型)」に換装され、主翼に爆弾装着が可能となりました。更にその後も「一式戦闘機Ⅲ型」への改良を進めていき、昭和20年8月の終戦まで陸軍の主力戦闘機として戦い抜きました。一式戦闘機全体の生産機数も海軍の零戦の10430機に次ぐ5751機が生産されました。
一式戦が登場した昭和16年当時、欧米では既にエンジン出力の高い所謂「重戦闘機」へと主力をスイッチし始めていた時期であり、陸軍でもその辺りの状況の変化を認識していた様で、一式戦と並行して二式単戦(キ44)「鍾馗」の開発も行っていた訳ですが、その後の日本陸海軍に世界と戦える重戦闘機というのは殆ど登場しませんでしたので、一式戦や零戦の様な軽戦闘機と言われる部類の戦闘機が大戦末期まで「主力戦闘機」として改良(実際は改悪かもしれませんが)を重ねて戦い続けていった事になった訳ですねぇ。
それにしても、10000機以上生産された零戦、5000機以上生産された一式戦。日本史始まって以来、今日まで日本のメーカーが最も数多く生産した航空機が零戦であり、それに次ぐ航空機が一式戦である事が変わらないという事実が凄いというか、終戦から73年経過しても未だに日本という国は「翼を失ったまま」なのだなと実感させられますね。
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Posted at
2018/11/04 12:39:50