
8月9日発売のデアゴスティーニ、隔週刊『第二次世界大戦 傑作機コレクション』vol.14、愛知 九九式艦上爆撃機一一型(D3A1)です。
旧帝国陸海軍機としては本シリーズ初となる爆撃機の登場です。九九式艦上爆撃機(以下、九九艦爆)と言えば、零戦同様に大東亜戦争の初期から中期に大戦果を挙げる活躍をした機体ですね。
先の第一次大戦で初めて航空機が兵器として戦場に投入された訳ですが、第二次大戦の頃になると航空機のみならず、洋上をいく軍艦の数やその技術進歩も格段に上がっており、これまでの様な高度の高い上空からの爆弾投下では爆撃の命中率が極めて低くなりました。陸上基地や施設の爆撃ならまだしも、軍艦は回避行動も行うため、これらの対策として航空機が急降下して軍艦に接近して爆弾を投下する、急降下爆撃という戦法が編み出される事になりました。これにより、世界中で急降下爆撃専用の航空機の開発が行われる様になり、当時の日本もその開発に取り組んでいくことになります。
昭和11年5月、日本海軍より三菱重工業、中島飛行機、愛知航空機の3社に「十一試艦上爆撃機」の試作を内示。三菱は木型製作の段階で試作を辞退、中島は当時主流となりつつある引込み脚を採用した試作機を製作したものの、納期に間に合わず愛知の製作した試作機と性能面で大差がなかった事により不採用となっています。結果、愛知の製作した試作機に様々な改修を施して昭和14年(皇紀2599年)12月に制式採用となり、皇紀の末尾二桁を取り「九九式艦上爆撃機一一型」とされました。昭和16年4月時点で主要空母の航空隊に全て配備が完了しており、同年12月の真珠湾攻撃などで運用される事となります。
愛知はこの九九艦爆以前にも九四艦爆や九六艦爆の製作、採用の実績があり、爆撃機の製作はある意味専門分野とも言えました。九九艦爆の特徴としては、全金属製低翼単葉、密閉式風防、枕頭鋲の採用など当時の先端技術が採用される一方で、主脚などは従来型の固定脚を採用するなど、信頼性を重視する保守的な側面もありました。実際、九九艦爆の最高速度である381Km/h程度であれば空気抵抗でそれ程のデメリットはなかったと言われており、むしろ構造の簡易化により信頼性を高める事に成功しています。エンジンは、三菱製の「金星四四型」空冷星型複列14気筒(1070hp)を搭載し、九九艦爆ニニ型では金星五四型(1300hp)に換装されます。
また、本機には急降下爆撃機特有の装備として主翼下面に急降下制動板が装備されています。急降下制動板は通常時、主翼下面と並行に折り畳まれていますが、急降下時には90度に立ち上がった状態となり、風圧による強力な制動効果を発揮するそうです。これにより九九艦爆は急降下制限速度(444Km/h)を超えない様に急降下を行える様になっています。さらに爆撃時は250kg爆弾×1もしくは60kg爆弾×2のいずれかを搭載でき、上空戦闘時の武装として、7.7mm固定機銃×2、7.7mm旋回機銃×1も装備されています。
第二次大戦期に登場した急降下爆撃という戦法とそれを行う急降下爆撃機でしたが、高射砲などによる対空砲火で、既に昭和17年頃には爆撃機の損害が拡大しており急降下爆撃機本来の役割が発揮出来なくなっていました。特に日本海軍では太平洋上での制空権も既に奪われていた為、艦爆による急降下爆撃の成功率は低下する一方だった様です。
結果として第二次大戦中の全体的な技術進歩により、航空機による急降下爆撃という戦法は第二次大戦以降姿を消す事となり、急降下爆撃機は登場から僅か20年程でその役目を終えました。
Posted at 2016/08/18 13:20:31 | |
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