
今から64年前の今日(4月7日)、大日本帝国海軍(以下、旧日本海軍)の戦艦、「大和」が坊ノ岬沖で沈没(撃沈)しました。「長門」や「武蔵」同様に日本を代表する戦艦である「大和」、そして亡くなられた多くの大和乗組員の方々に哀悼の意を込めて、戦艦大和について改めて調べてみました。
戦艦大和は、当時の旧日本海軍が建造した最後の艦型で、「大和型戦艦」の一番艦として、1941年12月16日に竣工しました。全長263.0m、全幅38.9m、艦本式タービン4基4軸(150,000ps)、基準排水量64,000t、45口径46cm砲3連装3基(主砲)と言う、とてつもなく巨大な戦艦でした。そして戦艦としては、排水量と主砲口径では現在に至っても世界最大です。
大和を始めとする大和型戦艦は、当時艦艇数で勝っていた欧米諸国を戦艦の質で凌駕する為に「第三次海軍軍備補充計画」において、当時の建艦技術の粋を集めて建造されたという背景があります。建造費は当時の国家予算のおよそ3%に及ぶ、一隻あたり1億3780万円(当時の価値で。)も掛かり、一番艦(大和)、二番艦(武蔵)、三番艦(信濃(空母へと改造))が建造されました。
そんな大和型戦艦の最大の特徴はなんと言っても、世界最大を誇る主砲「45口径46cm砲3連装3基」でしょう。しかし、「数」に対して「質」で勝ろうと搭載されたこの46cm砲という巨砲は、当時すでに「大艦巨砲主義」から「航空機中心の戦争」へと時代が変化していた事もあり、実戦における戦果は殆んどありませんでした。
そして「大和型戦艦」の外見上の大きな特徴としてもう一つ挙げられるのは、球状艦首(バルバス・バウ)です。「大和型戦艦」は、日本の戦艦としては初めてこれを採用しました。これは艦首を球状にする事によって、造波抵抗(船が前進する際、水を押し分けて出来る波による抵抗)をかなり低減させる事ができたそうです。
うーん…。歴史ってやっぱり面白いですねぇ。ひとつの事を調べると、他に10も20も調べたい事が出てきますね!それに歴史って、直接的には自分に関係してなくても、間接的には必ず関係するものだと思うんですよね。世界のどこかの歴史の事実が少しでも違っていたなら、今の自分の人生(もっと言えば存在自体)が変わっていたかもしれないと思うんですよ。そして、過去(歴史)を学ぶ(知る)事によって、これからの自分の人生のヒントを見つけられる気がするんです。
Posted at 2009/04/08 00:19:49 | |
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