
デアゴスティーニの隔週刊「第二次世界大戦 傑作機コレクション」vol.25、中島 二式戦闘機 鍾馗(キ44)です。同シリーズでは久々の日本陸軍機ですかね~。
この二式戦闘機こと鍾馗(キ44)は、よく「二式単座戦闘機」という様に表記される事がありますが、これは昭和17年(皇紀2602年)に制式採用された川崎航空機の「二式複座戦闘機 屠龍(キ45改)」と区別し易くする為の俗称であり、今回の鍾馗の場合は「二式戦闘機」が制式名となります。
大東亜戦争以前、日本陸軍では昭和12年に全金属製低翼単葉の中島 九七式戦闘機を制式採用した訳ですが、固定脚や低馬力のエンジンなど採用された技術が旧態化するのは時間の問題とも言えました。そこで、陸軍は九七戦の後継機となる新型戦闘機の開発を航空機メーカー各社に指示する事になり、中島飛行機では一式戦闘機 隼(キ43)の様な戦闘機同士の格闘戦を想定した旋回性能や航続距離を重視した軽戦闘機と共に、大馬力のエンジンに小さな主翼の高速(加速、上昇力)性能、急降下性能を重視した重戦闘機も併せて計画していきます。それこそが今回の二式戦となるわけですが、当時の日本陸軍の中では重戦闘機よりも軽戦闘機の方を支持する傾向にあった為か、結果として一式戦「隼」が昭和16年(皇紀2601年)に制式採用され、二式戦「鍾馗」はその翌年となる昭和17年(皇紀2602年)に制式採用されました。二式戦の最初の量産機、二式戦一型には、「ハ41」空冷星型複列14気筒(1250hp)が採用されましたが、このエンジンは二式戦開発当時では最も高馬力のエンジンで、尚且つエンジンの直径が大きい事から中島 一〇〇式重爆撃機などの双発機に採用されていました。二式戦二型になると「ハ41」の発展型「ハ109」空冷星型複列14気筒(1450hp)に換装され、高速性能、高高度性能などが向上していきました。日本陸海軍機の中では航続距離や運動性能の低さが目立ってしまう二式戦ですが、欧米機との実戦においては航続距離を除くほかの性能は欧米機と比べても決して悪いものではなかったようです。特に日本本土への空襲が増えてきた大戦後期では、後に登場する三式戦「飛燕」や四式戦「疾風」などと共に本土防空の一翼を担う存在として終戦を迎える昭和20年まで運用される事になります。
昭和20年の終戦まで運用された二式戦ですが、生産自体は昭和19年で終了していました。その頃には2000hp級のエンジンが戦闘機の主流となり、「ハ145」空冷星型複列18気筒(1900hp)に換装された二式戦三型甲(キ44-Ⅲ)などもごく少量生産されますが、これは制式採用されるに至らなかったようです。この二式戦の外観を見ますと、機首の大きな直径のエンジンカウルから機体後方に向かって極端なまでに細く絞り込まれていく様なデザイン、「これでホントに飛べるの?」と思ってしまう様な極端に小さな主翼など、機体全体を見ると「頭でっかち」な感じなんですけど、他の日本の戦闘機にはない力強さみたいなものも感じる実に魅力的なデザインだと思います。海軍でも、同じ様に大馬力エンジンを搭載した局地戦闘機「雷電」が存在しますが、機首が細く胴体中心が最も膨らみを持つ「紡錘型」のフォルムの「雷電」とは対照的な機体設計である事がよく分かりますし、中島と三菱のそれぞれの設計思想の違いもこの2機からは見る事ができて楽しいですね。また、一式戦「隼」と二式戦「 鍾馗」の両方を見ていると、「大東亜決戦機」ともいわれた四式戦「疾風」が両機の血を受継いでいる事も良く分かりますよね!
Posted at 2017/01/13 23:55:44 | |
トラックバック(0) |
その他乗り物 | 趣味