
約半月振りのブログ更新となります…。ご無沙汰しておりました。気付けば既に3月も第1週が終わってしまいますね。本業は年度末に左右される職種ではないので、忙しさも普通なのですが、如何せん今月末の町内会の定時総会の準備やら新年度の準備やらでクソ町内会長はブログを更新する気力も体力も失っておりました。ようやく今朝になって定時総会の資料が完成した訳ですが、間髪入れずに新年度以降の行事や会議の準備などに取り掛からなくてはいけないこの状況、いい加減勘弁してほしいです(泣)。まぁ…そんな中でも息抜きは必要ということで、今回のブログ更新です。
2月21日発売のデアゴスティーニの隔週刊「第二次世界大戦 傑作機コレクションvol.28」、川崎 五式戦闘機(キ100)です。僕はこのシリーズ、日本の戦闘機しか購入していませんが、日本軍機だけで言えばここのところ陸軍機が続いている感じですね~。しかも今回の五式戦のラインナップで、同シリーズでは陸軍の一式から五式までの全ての単座戦闘機が出揃った事になりますね。
さて、この五式戦ですが一式戦から四式戦までの様に「隼」、「鍾馗」、「飛燕」、「疾風」の様な愛称(俗称)が唯一存在しない機体であります。そして、液冷エンジン搭載機である三式戦「飛燕」の機体を流用して空冷エンジンに換装した機体である事は有名ですね。
昭和18年から翌19年にかけて、三式戦「飛燕」はエンジン出力を強化したハ140(1500hp)を搭載した「飛燕二型(改)」にマイナーチェンジされる事になりますが、当時の日本の基礎工業力では繊細な液冷エンジンの生産性、信頼性を向上させる事は難しい状況で、ハ140エンジンの生産は月に数基しか生産できないほどでした。そうした中で飛燕二型の機体だけが次々に完成していき、エンジンが搭載されないまま工場構内に放置される機体(いわゆる、首なし機)が200機以上にもなっていました。こうした状況に空冷エンジンに換装して運用する案が出され、昭和19年10月にはキ100として陸軍より試作指示が遂に出されるのです。換装が計画された空冷エンジンの候補となったのが、三菱重工製の「ハ112‐Ⅱ」空冷星型複列14気筒(1500hp)です。しかしながら、元々三式戦の機体は液冷エンジンを搭載する事を想定して設計されている機体であるため、胴体よりも400mmも幅の広い「ハ112‐Ⅱ型」(直径1218mm)を搭載するにも空力的な部分など、様々な課題があったようです。その後、直径の大きな空冷エンジンが搭載されていながら、細い胴体で設計されているドイツのフォッケウルフFw190‐A‐5を参考にするなど試行錯誤を続けた結果、遂に昭和20年2月に初飛行となりました。機体重量が三式戦「飛燕」よりも300kg以上も軽量となっており、一連の試験飛行では上昇力、線化性能など三式戦よりも大幅に性能が向上しただけでなく、総合評価においては「大東亜決戦機」とまで言われた中島飛行機製の四式戦「疾風」よりも優秀であるという評価に至ります。四式戦「疾風」は優秀な機体ながらもエンジンの不調に終始悩まされ、稼働率の低さから信頼性の面においても五式戦の方が優秀であるという評価に至ったという事なのでしょうね。
そんな「奇跡の急造品」言っても過言ではない五式戦は昭和20年2月の初飛行、性能試験での高評価が認められ、直ちに「五式戦闘機」として制式採用される事となり、首なし機には次々にハ112‐Ⅱ型が搭載さていきました。その後、同年8月の終戦までに393機が生産され、大戦末期の本土防空などの任務で活躍しました。
こうしてモデルを色んな角度から見てみますと、空冷エンジンに対して胴体の細さが際立っていますね~。五式戦のベースとなった三式戦のキャノピーにはこのモデルの様なバブルキャノピー仕様の他にファストバック仕様のキャノピーも存在しました。大馬力でありながら大幅な軽量化とエンジンの高い信頼性によって高高度でも運用可能な機体に仕上がった、まさに大戦末期に現れた「奇跡の急造品」であり「旧日本軍における空冷機の集大成」とも言える戦闘機ですね。

左側 : 三式戦「飛燕」 右側 : 五式戦
Posted at 2017/03/04 17:17:39 | |
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