
7月10日発売のデアゴスティーニの隔週刊「第二次世界大戦傑作機コレクション」vol.64、三菱 レイシ艦上戦闘機二一型「岩本徹三機」(S=1/72)です。
このシリーズ、現在のところ「全80号」で完結予定とされていますが、このところの日本機は既出の機種のバリエーション違いのものが多い様で、今回の零戦二一型に至っては通常仕様の二一型、坂井三郎機の二一型、そして今回の岩本徹三機の二一型と、実に3度目のラインナップとなっています。確かに、零戦二一型は零戦の中でも人気の型式ではありますが、これで80号目前で「ご好評につき○○号まで延長決定!!」なんて言い始めたら「もっと真面目にやれよ!」って言いたいですけどねェ…。事実、80号までの今後の日本機のラインナップを見ていますと、全てが既出の機種のバリエーション違いですからねぇ…。まだラインナップされていない日本機なんて沢山あるん筈なんですが、どういう訳かお茶を濁す様なラインナップが続いています(汗)。こんなに二一型増やすなら、ちゃんと二二型もラインナップして欲しいものです。
さて、今回の零戦二一型は、日本海軍最多スコアと言われる202機(自身の手記による記録)を撃墜した撃墜王、岩本徹三氏の搭乗機(第253海軍航空隊)を再現したもので、胴体の撃墜マークが目立ちますね。
202機撃墜という記録の真偽はともかく、他の撃墜王と呼ばれる杉田庄一氏(102機)、西澤廣義氏(86機)、坂井三郎氏(64機)と比較してもかなりの数ですね。Wikipediaの記事には「単独で80機以上」という記述もあります。
岩本氏は相手よりも先に敵機を見付け、優位な状況から「一撃離脱」で敵機を撃墜し、深追いはしないという、リスクを考えた合理的な戦い方を多用して撃墜数を増やしていきました。その一方で格闘戦も滅法強かった様で、複数機との戦闘も制しているなど、エースパイロットの名に恥じない搭乗員だった事が伺えます。
そんな岩本氏ですが、戦後10年後の昭和30年に戦時中の怪我が原因による敗血症で38歳の若さで亡くなります。ちょうど僕も今年の誕生日で38歳になりますが、岩本氏は28歳で終戦を迎えてその10年後の38歳でこの世を去ってしまう訳ですが、こうして見てみてもまさに戦闘機に乗るために生まれて来たような人生を送った方だったのでしょうかね…。岩本氏の様に戦地で戦った多くの軍人、兵隊の方々だけでなく、あの時代を生きた人たちには戦後の日本の姿を出来るだけ長い時間の中で見続けて欲しいと思いますね。だからこそ、命を掛けて戦争に身を投じ生き残った岩本氏が戦後の日本を殆ど見る事ができなかった事は残念でなりません。
今年は終戦から73年を迎えますが、僕の両親のいずれの祖父母も既に亡くなっており、日本全体を見ても第二次世界大戦(大東亜戦争)を体験した方々が少なくなってきている近年、「知らない世代」の我々は今まで以上に考え、学び、生かす努力が必要ではないでしょうか。
Posted at 2018/07/15 22:23:16 | |
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