現代ビジネスにしては珍しく(失礼)おもしろい記事がありましたので一部転載します。
原文はココ(Yahoo! ニュース 現代ビジネス)
長いので端折りましたが、芦田愛菜が芸能活動を減らし一日12時間勉強して難関中学(ってどこよ?)に合格した話に「カワイソウ」という反応がみられたということから入っています。
テレビはいつまで「勉強のできる優等生」をバカにし続けるのか 日本のゆがんだ逆学歴差別
(前略)
小・中学生時代、勉強できることがなんとなく後ろめたいという気持ちになったことがありませんか。
不思議なことに日本では、この何十年もの間、なぜだか勉強できる子が色眼鏡で見られ、勉強ができることに罪悪感を覚えるような状況が存在します。
スポーツのできる子が、てらいもなくみんなの前で自慢し、周囲から一目置かれるのに対し、勉強のできる子は「自慢をすれば必要以上に嫌味ととられ、謙遜したらしたでそれも嫌味ととられる」という逃げ場のないシチュエーションに置かれがちです。
学業は学生の本分。それを頑張っているにもかかわらず、「勉強できても将来役に立たないぞ」「勉強できるのと頭がいいのは違うぞ」と聞き飽きた忠告をしてくる大人がたくさんいます。
テレビをつければ、勉強のできる優等生がゆがんだ嫌な奴として描かれ、ヤンキー上がりの先生から「勉強より大切なもの」を教わるステレオタイプなドラマが未だに残り、バラエティでは勉強ばかりしてきた東大生が恋愛下手として初めての合コンをさせられ、芸人に馬鹿にされています。
勉強できる子への偏見
拙著『勉強できる子卑屈化社会』では、勉強できる子が学生時代に経験するこのようなあるある話をきっかけとして、それが生み出された歴史的背景や、メディアにおける勉強できる子の扱いを振り返り、今後、どのような社会を目指すべきかまでを書きました。
タイトルだけ見ると「どうせ、美人が『美人もつらいのよ』と言いながら、延々自慢話をするように、学歴自慢とかする本なんでしょ」と思われるかもしれませんが、そうではありません。
これまで多くの勉強できた子たちが心の中では思いながら決して表に出せず、溜め込んできたドロドロを恐る恐る白日のもとにさらした本だと思っていただければ。
本の中でも多くのページを割いていますが、一般社会における勉強できる子へのフィルターのかかった見られ方の背景として、メディアでの「勉強できる子」あるいは「勉強」の取り扱いの影響は決して小さくありません。
先述したようなドラマやバラエティでの悪意あるステレオタイプ描写だけでなく、「正月返上で白球を追う野球少年の汗は美しいとされる一方、必勝のハチマキをしめて正月返上で勉強する子は可哀想」というような印象も、テレビや雑誌が紋切り型に提供し続けてきたものです。
このような手垢のついたイメージはもう脱するべきだと思うのです。
メディアの作り手の方は「こういう人たちは悪者にしておいたほうがウケるよね」「東大生って使えないよね」「成人式って荒れるよね」「関西人ってつっこむよね」などという「世間ってこう思うはずだよね」の呪縛に何十年も縛られすぎています。
(中略)
教育の議論がちぐはぐ
例えば、リトルリーグの世界大会でホームランを量産した小学生のニュースなら「すごいね」「将来が楽しみだね」で終わりです。
勉強できる子の場合だけ、なんだかそれをダシにちくりと言ってやろうみたいな空気になるのは納得がいきません。
また、野球の話題なら元プロ野球選手なり、野球の監督なり専門家がコメントしますが、2020年の大学受験改革に向けた取り組みなど教育行政の現場にいる人は、こういった番組には、ほとんど出てきません(せいぜい尾木ママがたまに出てくるくらいでしょうか)。
日本の教育について議論をするのなら、「ゆとり」「脱・ゆとり」「エリート」「東大」「学歴」みたいなキャッチーなフレーズだけで表層的に芸能人がしゃべるのではなく、きちんとしたデータに基づいて専門家が話すべきではないでしょうか。
メディアが振りまく勉強に対するネガティブな印象や誤解は、世の中に蔓延し、勉強を頑張っている子の心を少しずつ削ります。
スポーツができる子がすごい、楽器ができる子がすごい、絵が上手い子がすごい。それとまったく同列に勉強ができる子も、何の含意もなくすごいと言ってもらえる。そのような社会になっていくことを強く望みます。
どうか次世代の子供たちが「卑屈化」することがありませんように。
************************************************************************* Yahoo! ニュース 現代ビジネス 2017/03/04 ****
おそらく、「筆者のヒガイモウソウ」、とか、「それでも学校のべんきょーは役に立たない」とか言っているのではないでしょうかね?? ヤフーのコメント上位は意外にも記事に同意する意見が多いようですな。
テレビや各種(?)エンタメ界では「べんきょーなんてできたってかんけーねーよ」的な層がユーザーの多くを占めるとすれば、ソレ向けのコンテンツになるのは商業的にはいたしかたのないことなんでしょう。
せめて、教育や日本の将来を議論をするような番組では無理に笑いを取ろうとするつまらない芸人ぢゃなくて専門性のある人を持ってきて欲しいですな。←イザとなったら「実は娯楽番組なんです」で逃げるのはナシですよねw。
時に入試シーズン。高校入試の問題を見て、「昔コレを解いていたなんて信じられない!?」と驚嘆の声をあげた元受験生の方もおいででしょう。学校の勉強はアタマの体操的なトレーニングの部分はともかく、実際の知識はあまり役に立たないことが多いでしょう。卒業すればすっかり忘れてるしw。
でもたとえば、やきうに打ち込んでいてもそれを仕事に出来る人は限られます。でも「役に立たない」とは言われませんよねなぜか。いやいや「試合には一度も出られなかったけど、声出しや雑用を通じてコンジョーやユージョーを身につけた…」ってんデショかねw??
身体能力や芸術の才能があり、限りある学生時代に部活に打ち込むのもいいでしょう。それと同様、モノにならない部活動を強要されるより学業に専念し「勉強のインターハイ」「受験界の甲子園」を目指すのも「個性」なのではないでしょうかね??
ま、勉強のインターハイを目指すような生徒さんはつまらないゲーニンが出てるテレビなんて見ないと思いますがね(うははは〜〜〜〜〜wwww)!!
【参考記事】
※家庭学習の習慣をつける環境づくりは必要なんですが・・※
【非理性的信念】日本の部活文化がブラック企業の温床に【自己犠牲】
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Posted at
2017/03/06 15:03:45