作詞:阿木燿子、作曲・編曲:穂口雄右、06SH263 1978年2月25日 (C・S)
歌詞中には「春一番」「わな」「アン・ドゥ・トロワ」など、シングル曲のタイトルが随所に入れられている。これは作詞者・阿木燿子からのはなむけであったという。また歌唱時の振り付けでも「ハートのエースが出てこない」「年下の男の子」「やさしい悪魔」等が、モチーフ的に登場している。(wikipedia参照)
解散後の78年11月に出た「つばさ」は別にして、解散前のラストシングルということで、よく練られていたと思います。当時は解散に向けて大きな盛り上がりを見せていて、ラジオ番組で「あと何日」とかいうCMが流れていたりしました。
自切俳人のオールナイトニッポン最終回のCM中にありました。限定公開です!!
このレコードが発売になったあたりが、ちょうど学年末試験の前でよくラジオから流れていました。
プレハブ校舎とか問題児問題とか学級環境の悪化とかヒトノセイにしてはいけないのですが、二学期の期末試験の結果が惨憺たるもので、順位をひどく下げました。通っていた塾(
「風雲流血学館のおもひで」参照)での席も下がり…まぁこのあたりにいた方が楽だったんですがw、それでも他に部活や芸術などの取り柄もありませんし、
学校に行っている当座は主要五課で勝負するしかありません。あとでなにかやりたいことができた時に学歴で引っかかって後悔しても後のカーニバルです。誰に言われたのではなく、このままではいかんと自ら再起を期すことにしました。
三月上旬の試験にあわせて1ヶ月前くらいから大きな模造紙に計画表を作り進度管理を行いました。「どうせそのとおりにいかんのだから計画を作る時間がムダ」という声をよくききますが、それには耳を貸さず受験生をやっている間は計画を作っては作り直し…をよくやっていました。
ところが直前になって風邪を引き、数日ダウンするという不運に見舞われました。ちょうどその頃このレコードが出たあたりで、この曲を聴きますと年度末の雰囲気とともに風邪で苦しんだ記憶もよみがえります。
その数年後のこの時期、「赤いスイートピー」のリリースの時も流感=今でいうインフルエンザになったんですよねぇ…。入学試験でなくてよかったですわ。
なんとか試験は乗り越え、満足いく位置以上に戻りまして、そのあとは多少の波はあれどこれほど大きく落とすことはありませんでした。
そもそもまだ順位が固定するような段階ではありませんでしたのでまったくたいしたことではないのですが、このときここで奮起することなく堕ちていったら今頃どうなっていたか考えますとガクブルもんですw。否、むしろ18才にして社会人としての「知恵と身構え」を身につけ、刈り上げ七三で、身分をわきまえたカローラに乗り、家族に恵まれ幸せに暮らしていたのかも知れませんけどね(うははははは~~~~wwww)。
いやいやそんなことはどうでもいいんですw
この曲YTにありました音源をどうぞ!!
ブログ一覧 |
今月の一枚 | 音楽/映画/テレビ
Posted at
2019/03/01 00:32:39