![霊場内唯一 天台宗のお寺 霊場内唯一 天台宗のお寺](https://cdn.snsimg.carview.co.jp/minkara/blog/000/045/188/673/45188673/p1m.jpg?ct=ba1a78dd41d2)
津久井観音霊場 第四十番 鳥岳山
清真寺
天台宗
2019年の台風で土砂崩れが起きて、再建した模様
新しい。
「新編相模国風土記」によれば、鳥岳山と号す。
天台宗武州多摩郡高月村円通寺末、開山円真 永正五年(1508年)寂
本尊阿弥陀如来と記録され、同じ個所に諏訪社、村の鎮守、清真寺持ち、焼山権現社。
宮ケ瀬へ行く途中の道にある中学校の脇を入っていく
参道の石段を登り切ったところには、大きな木が生えている
当社は、当村及び青根村、青野原村の境上にあり、よって三村の篠に載す、清真寺持ちとあり、古来清真寺は諏訪神社の鍵取寺であり、延元三年(1338年)角仁法師比叡山より山王七社の赤山大権現を遷座安置し、鳥屋郷の鎮守としたと言います。
現在、山の神として残存する。
台座に津久井観音の文字
菱山肥後守従五位下隆顕公の墓(宝篋印塔)
肥後守は菱山家の先祖であり、また鳥岳山清真寺開基・開山でもある。
戒名は、清真院殿顕徳入道仁善大居士
正応二年(1289)入寂 享年八十一歳
夫人は成寶局といい、鏡月院殿静室妙成大禅定尼の戒名で、建長一年(1249)没で墓石は肥後守と一緒になっている。
肥後守は、承久の乱後仁治二年(1241)に、この地に流されてきたと伝えられている。
清真寺は、この肥後守が菱山家菩提のために創立されたものであり、それは文永二年(1265)当時、北条時宗の時代である。
菱山肥後守の墓
墓域からの眺め。本堂の新しい屋根と中学校
今、検索してでてくるものは、土砂災害前の古い本堂のものばかり
寺宝の聖観音菩薩は木食上人が一刀三礼して謹彫された霊験ある観音様として信仰されている。
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観世音菩薩霊場巡礼 | 日記
Posted at
2021/06/12 11:00:40