四国は香川県の金毘羅温泉、2018年9月。
九州は熊本にて購入したFJクルーザー、東京までの陸送業務中です。
宿にチェックインして、
着替えて、有無を言わさず
お風呂です。
さっぱりとしたあとは、
食事の前に、
ちらっと外へ出て、
手元に来たばかりのFJ確認業務を行い、
業務日報としての記念撮影を行い、
交換してストックとなっているオリジナルハンドルで遊びたいとのことで、一時引き上げ業務。
ハンドル、見かけによらずなかなかずっしりくる重さです。見た目より重い、という意味では経営のハンドルに似ているかもしれません。
運転して、
ハンドルを館内食事処に路駐して夕食を頂きました。
そして四国でこの日我が家の帳を降ろします。
朝が来ればフルオートメーションにて帳が上がり、
半自動的にお風呂です。貸し切りでした。
広角レンズのパース効果がこの子の個性をさらに伸ばしてくれつつ、香川金毘羅での朝食を頂き、
昔の人が四国への集客コンテンツとして頭を捻った側面もなきにしもあらずであろう四国八十八箇所お遍路など、業務都合上その片鱗すらも回ることがなく、
阿蘇・黒川温泉で学んだ温泉卵掛けごはんを頂いて、
温泉と一泊だけして、通り過ぎる業務中の旅。エンジンをかけてこの日も始業です。
各位、持ち場に着き、出発オーライです。
誰からも言われないので、思わず自分で言ってしまいますが、これだけあっちこっち連れて行ってくれて際立って多くの体験や思い出をくれるパパ、本人にとって望外であろうともいえる幸せな子に思います。
しかしそれ以上に、私のほうがこの子から幸せと楽しみ、希望に喜びをもらっており、望外度合いでは負ける気がしません。また新たなる幸せが待っているのかとは思いますが、成長とともに少しずつ離れていく寂しさは隠しようもありませんが。
過日「プールはFJで行く」との指名通りのプール送迎。出発して1乃至2分ほど、まったく無口の私がいました。
「幼稚園もあと半年、あぁ寂しいな、段々この子と一緒にいる時間が減っていくのだろうな、あぁ寂しい」やらなんやら自分の世界で考えていたところ、はっと無口無音だったと我に返り、
考えていたことを伝え、加えて「小学校に行っても、パパともいっぱい遊びにも行こうね、友達と遊ぶより楽しいよ」と伝えれば、「丁度、同じことを考えていたよ」と我が子からの返し。友達枠を優先リザーブです。
我が子という点。私という点。点と点を結ぶ人間関係という線。
自分という点しか見えないのではなく、相手という点も見て、そして点を見て完了するのではなく、人間関係である線を意識する、そのパイプをいかに太く強く育てていくか、まるでシナプスのようかもしれません。
親子であるからこそ、点と点と結ぶ「線」を意識して大切に育てていこうとも意識し、あるいは頭ごなしに子という点だけ見て「ああだ、こうだ」ということもないようにして、そもそも本来家族という人間関係は日常の連続性の継続性という特異点もありますが、考えるべき線の数が少ないため、
つまりは家族間だけの人間関係は数量としてシンプルであり、複雑ではないわけですので、ケア、メンテしやすいはずですが、それでも親子という人間関係がうまくいっていないケースも、けして少なくないような気もします、ゆえに自然の流れに身を委ねつつも、あえて大切に意識をしていくことがベターなのではないかという気もしています。
私は私で我が子といると胸が躍り、幸せいっぱいで、これがいつまでも続いてほしいと思うほどですが、同時にこの子がより楽しく過ごすためには、とも考えています。たとえば日帰り温泉というプチイベントは、行き帰りの会話で楽しくなるように心がけ、しかしそれは面白おかしくではなく知的刺激がある面白さを思い、いろいろなところへ行く楽しさ、行った先で何かをしてみる楽しさ基本「いいよ」でだめはいわず、お湯につかれば古代からの遊びである五感で感じる心地よさがあり、暇つぶしとしても最高なだけでなく、多くの人が裸ですごす場所へ行くことは社会性を育てることにもよい効果があるそうで、
単純に我が子とお風呂へ行けるだけでも充実のひと時であり、誰と過ごすよりも心地よい時間にすら感じますが、教育上の配慮、あるいは脳へ善処的刺激を送ることも常に意識をし続けています。
「高級な風俗は月に一回検査をしているから大丈夫」。というデマ。都市伝説と言ってもいいかもしれませんが、仮に月一回検査をしていたとしても、昨日、あるいはさっきのお客さんから感染すれば十分移るわけでして、「あそこはたぶん検査していると思うから大丈夫」という男性諸氏もけして少ないような気がしています。海外からの観光者が増えるに従い、性感染症も増えているところであり、より一層の注意が必要にも思います。
というような話も、あまり異性へのあるいは性行為への恐怖心とならぬ程度に、いずれ我が子にしていこうと考えていますが、同じように我が子へ伝えるという気持ちで、社の若い方々へもときおり注意喚起的にお伝えをさせて頂いております。
外国の方だけでなく、日本人でもいわば「故意的に罹患や症状の認識があるにも関わらず行為に及ぶ」方もいるわけで「風俗嬢だからいいだろ、移しても」という主観なのか、あるいは身近にいる性病に頻繁に当たる方は「さぁてばらまきに行くかな」という内心を持っているそうで、「お前も苦しめ」または「仲間が欲しい」という心理がときにあるのかもしれません、という人もいるのが世の中かもしれません。
というようなこれも社会の話しとして伝えていこうと考えていますが、あるいは常日頃から経営を意識してみることは、民間で仕事をする上ではマイナスはないかと考えますので、トヨタやマクドナルド、アマゾンや回転寿司の話などを通じて日ごろから経営や世の中の仕組み、人の機微などを考えてみる、といういざない合わせ我が子へ話そうというマインドと同じように、つまりは一面我が子と思い、我が子であれば伝えたいであろう事項を社の若い方へ世間話や飲みでの会話のネタにしてみています。
この週は人生最高の日10本の指に入るほど、幸せな時間を頂きました。
先々金曜日は1年ぶりとなるメンバー構成で飲みにいき、明けた月曜日は大阪から来てくれた会議メンバーとの懇親で飲みに行き、翌火曜日には「二人で飲みに行って頂けませんか」と賜り「じゃあ明日はどうでしょうか」という流れで水曜日は三連続で飲みに行ったことになるお若い方とのさしでの飲みでした。
社での飲みに私から声をかけることはありませんが、声をお掛け頂けば、つまりいうなれば営業はかけませんが、ニーズとご注文さえあれば喜んで応答をさせて頂く次第です。
飲みの席、感涙するほどに思ったことは、後述すると致しまして、
二人で三時間半、7千円だったお店に場所代としては悪いことをしてしまいましたが、
そんな粗宴の出だし、
ブログにもしたためた椅子の話しを若い方もに伝えてみたことがあるのですが「椅子一つでいろんなことを考える人がいる。椅子から体形、そして多様性という話題。すごいと思いました」というお声を有難く頂きました。
話の肝としては「人はそれぞれ違う」、長年連れ添った夫婦で価値観のすり合わせを行ってきたかのように思うこと、それはまるで幻想であり、体形一つ違えば椅子の好みが当然に違うことすらも人間は忘れがちであり、つまり「人はそれぞれ違うことすらも忘れがちであるか知らない」という話しのつもりなのですが、それをアウトドア用の椅子を見に行った我が家のストーリーとして肉をつけて伝えてみたところ、
受け手としては「なるほど、多様性に寛容性かぁ」と真正面に話を受け取る方もいてくれるかもしれませんが、「椅子の話し興味ない」「この人、アウトドア始めるのかな」「あんたと奥さんの椅子の趣向が違うことなんて俺には関係ないだろ」「そんなの当たり前だろ」など、解釈や感想は人それぞれなものだと思いますが、
この方の場合は「椅子一つでいろいろ考える人がいる」と受け取られたようで、私はそのように受け取る感性のほうがすごいと思いますので、それをお伝えさせて頂きました。アンテナとしては僭越で生意気な感想かもしれませんが、高感度で性能がよいのだと感じました。
毎週月曜日に会議があり、その会議後に仕事が割り振られるユニットがあるのですが、
「ごちゃごちゃ会議してからじゃなくて、もっとどんどん仕事降ろせや、まだまだいくらでも仕事こなしちょる、もっと仕事したい」と言って下さっている若い女性陣もいると酒の席で聞けばそれも有り難く、当該部隊司令塔の方にはぜひそうして頂きたく、
今般飲んだ方からは「どのような本がお勧めか」「どのような学問がいいのか」「仕事に役立つ資格はあると思うか」「意見を通すことと、受け入れることはどのように考えるべきか」などご質問を頂戴し、あるいはこの世には実に多くの方がいていわゆる仕事ができるとされるケースではアメリカ人を筆頭の特筆級に攻撃性が高い人もけして少なくないので「その場合、意見が対峙したときの考え方、いや勝ち方」など、
お伝えさせて頂くトリガーとしては十分すぎるほどに、たくさんのご質問を頂きました。そのような機会に恵まれて、実に有難くも思うひとときでした。
この旅、そしてこのFJとしても二度目となるカーフェリーです。一度は乗せておきたかった東九フェリーの旅で、徳島から東京まで一泊揺られます。
今般飲んだお若い方は自ら考えた結果「期限は定めないながら三か月ほどを目途に名古屋へ常駐して、現地の仕事をして、サポートと育成もしながら、採用活動を行う人手不足を解消し、名古屋の業績発展の環境を作ってきたい」とお申し出を頂きました。
名古屋拠点では業務過多をカバーできる人員増がなかなか進まず、さらに業績を上げるためには、人的増員を要件にした体制構築が必要なところ、なかなか採用が進めることができないほど、また繁忙もしてしまっています。これを解決し、次の成長環境を作り、業績を倍増させるためにも、名古屋へ最低三か月行きたい、という有難くも、頭が下がるご提案です。
そのようなことを考え、高校からの親友でもあり、今は同僚でもある盟友の方へ伝えれば「何も心配せず行ってこい、ここはしっかり俺がやる、任せろ」というお言葉があったという旨聞けば、
高校時代から10年近く結んできた絆が、こうしてどういう縁なのか同じ会社で仕事をするようになり、そのような熱いと言ってもよい想いに言葉をかけ合う仲間へ絆や人間関係が一つも二つも成就し、この人たちでなければ見るできない高校からのドラマでもあり、聞いていて感涙しそうになりました。
社会人となってからも無論いい出会いもありますが、
しかし学友のときから関係が続いているからそこ、生むことが出来る人生のドラマにうらやましくも思いつつ、
それもお伝えさせて頂き、
かと言って、社会人になってから、あるいはこの会社で出会った「もっと仕事もってこいや」という、文字にすると粗暴な野郎調ですが、実は愛嬌たっぷりの女性陣のいじり調な有難い思いをくれる出会いもあり、それもまた深化することもあるやもしれず、
これやあれや、「ママ、人に恵まれていい会社に育ってきたよ」と飲んだ翌朝に締め括りながら、
「会社の若い人たち、弊社の神様も含め仕事もできて、そのような出来事もあって、本当にすごいと思うよ」と子供へも共有すれば、
「神様ってすごいんだね」と感想を聞きました。
明治、昭和初期生まれの番頭氏に、後継者殿達は秀でた方々が方々見受けられたように思いますが、近年の後継者は今一ぱっとしない原因その一つに、
「仕事を家に持ち込まない」という考え方、「あるいはプライベートを大切にする」というわざわざそう公言し意識をしてきた風潮がある気がしてならず、つまり仕事や社会、社会における複雑な人の機微というものに子供のころから触れていく、伝えていく重要性というものがあるのではないかと考えてみています。「会社でこういうことで悩んでいてさぁ」とニュートラルに相談をしてもいいのではないかと考え、私は悩みもそのまま子供へ相談をしてみています。「大人ってすごいんだぞ」と育ち社会に出てから戸惑うよりも、等身大で知って育っていけば社会に出たときに驚かなくてすむかと思い、つまりは当たり前のことですから耐性もついていくことになろうかと思っています。
狩猟が必要な時代、農耕が必要な頃、それぞれの家庭においてやり方を子に伝えてきたはずであり、あるいは広く生き物は餌の捕り方を子に伝えるのが常なところ、
これが現代の人間社会に限っては薄まってきている気がし、現代は仕事の仕方、稼ぎ方、組織の仕組みや実態を子に教えていってもよいような気がしています。
「仕事を家庭に持ち込まない」というのは子が生きていく力を養っていく上で機会損失になっているような気がしなくもありません。
東京へ向け錨を上げて出港しました。
船内を軽く散歩し、
厳かなランチタイムへ。
そして「私も一席お願いできますでしょうか」と次のお声をかけて頂くことになりました。
航路まで使った物流業務、つづく