三百六十五歩のマーチのように、二歩さがって、春の写真。
終業式で子供同士撮っていた、名作を発見。体の空き時間は増えているのに、気力は削がれているのか、体力の低下か、思考の時間が増えているのか、機材ごとにずらりと並ぶ多くのデータが手付かずで、溜まる一方の、中秋。
よく二人でサイクリングに行った2018年春でした。違うカメラのデータを整理すると、またサイクリング。カメラ一元化を検討したくなります。
この頃、4歳と2ヶ月、最近は4歳と8か月。もう5歳目前かと思えば、周りはその分歳を重ね、段々と距離感も感じ、切なさも増していきます。
過日はばぁばと二泊の旅。ぴったりばぁばとくっついて、お風呂も何度も入り寝て、横に座り「ばぁばんちの子になる」と言い出して、「四つ泊まりに行ってくる」と昨夜も泊まりにいきました。風呂好き度合は大人が三交代制でも泣きが入るモニター体制です。外出と寝ている以外はお風呂に入り、大浴場をあがれば今度は部屋の風呂、家でも週末は最低30分×3本入る流れがあり、飛び抜けたと形容することを許諾頂けるかのような風呂好きに育ち、社長室でパターの練習をする光景は会社に行くだけ偉いと思うところですが、会社にいき、居るだけの無駄には耐えられない私からすると、よい旅人要素が染みついたのではないかとも見ています。
今しがたばぁばに電話すれば「今日も泊っていくっていってるよ。松茸ご飯食べたいっていうから買い物きてる」と、電話の向こうでこれほしいの?という問いかけに「うん」と会話が聞こえてくれば、微笑ましく可愛く、そして寂しく感じます。
足ブレーキですぐに穴があいた靴も勲章です。Gクラスを買う気満々になってきた私に対して、「Gクラスは今のをたくさん乗ってから買おうよ」から、
格段にそうなった意味と理解していますが「トヨタが大好きになった、Gクラスどうするか考える」からさらに「パパ何買おうかなぁ」と呟けば、「ランクル?プラド?」とトヨタ党の党理に基づいたコンボで攻めてきて、しかしいずれにしても的にFJクルーザーはたくさん乗りたいようで、
会話のバリエーションが増えていく楽しみを味わっています。
登園の車中FJクルーザーの中では私が「世界で一番楽しい会社を作ろうよ」と投げかけてみると「空飛ぶFJクルーザーを作る会社を作りたい」「一階はFJクルーザー、二階はジープの街も作りたい」と、常識というリミットがない発想も楽しんで聞きながら、
こうして写真を見返せば学童に子供と来れるのも今だけと思いながら、「未来に行ける宇宙船を作りたい」という話しはよく耳にしつつ、やはり銀河鉄道の創設は目指したく、
パパは仕事しなくていいよ、Aちゃんが稼ぐから、と思いやりを見せたかと思えば、
ときに強情に、ときにシナリオを見据えたフット・イン・ザ・ドアを軸にした、ときにローボールテクニックで、自分の意見を通すことに妥協がない中に、私と意見が異なれば楽しみを奪うかのごとく「パパ、仕事させないよ?」どうやるんだ、と聞けば「会社潰して。いろんなこと知ってるんだよ」などとパワープレイも忘れません。
どうやって潰すのかその方法論はまだショベルカーなのかもしれませんが、駐車場に寄ってウィンカーとサンルーフを動かしたあとは、まずは表の通りまで、次にもう少し大きな通りまで、さらに近くの駅まで、そして電車を見るだけだと段階的に誘導し、あれよあれよと寝巻のまま電車に乗らされたこともある1歳半前後あたりにあった朝の巧妙に仕掛けられた散歩も忘れらませんが、基本テクニックは今も現役です。
フット・イン・ザ・ドアのストーリーがはじまり、こちらもそれを察知して先回り的にゴールを否定すれば「なんで?」と見透かされていたのか、という表情を見せたり、ときには「そんなこと考えてないよ」とすっとぼけるときもあり、これらやり取りにこの先負けぬよう頭を磨き続けたい加齢のこの頃です。
「何かで世界一になりたいか考えてごらん」とそして「トヨタより大きな会社を作ろう」とナビゲートも忘れずに投げかけるようにしています。いずれにしても、空飛ぶFJクルーザーのメーカーを目指してがんばりたいと思います。
他方で「暴れん坊将軍かっこいい」と一発で魅せられて、見せどころでは「暴れん坊きたきた」などと楽しみ、暴れん坊将軍ごっこが開始すれば、プラスチックの日本刀で私が自己申告制もどうかと思いながら「おれは悪党だ」と顕名と切られる側である表明後に、野郎どもきれー」と発し、悪代官役で切られています。
暴れん坊将軍を気軽にしかも無料で視聴できるのも、youtubeの恩恵です。
これから本人が興味を持つ限り、習い事を、しかしそれは遊びや好奇心を満たす場として増やしていく予定ですが、
英語教室に行けば「サンキュー」「イエロー」など当たり前に披露し、帰りにばぁばのところに寄れば「ハロー」などと言いながら入っていき、それもyoutube先生のおかげであり、しかも最も発音がよい音ばかり聞き耳ができているように感じています。
親の役割なんて「パトロンである。見返りを求めないパトロン。やりたいことさせ、ほしいものを与える役割なだけ」あとは「スマホだけ与えて、本人が好奇心のままに勝手に学びをしていくから、それでいいんですよ」と堀江貴文氏は言います。
教育とは、後天的な価値観すなわち道徳もしくはこころの部分についてなど、社会での善悪や、やり方を教えることもあろうかと思いますが、
一面で能力を最大限引き出してあげることも、重要な意義ではないかと考えてます。
換言すれば持っていない要素を付加するものではなく、持って生まれたポテンシャルをできるだけ引き出してあげる意識が重要で、さらに言えば先に先に経験を積ませてあげることが部分社会の中でリードする機会が増え、そこでの役割がリーダーシップを重ねる機会にもなり、リーダーシップの素養を持っていればそれを磨く学習にもなるような気がします。
概ね、なんでもやらせる。後日さらにクッキーにみかん、ぶどう、黒棒のお菓子、砂糖醤油塩、ナスのお新香、ショウガにお茶を入れたレシピで「モーニークーニーだよ」と品名もつけて、「食べてみ、美味しいよ」と自分は食べないくせに、皆に振る舞う晩餐会もありました。
堀江氏は続けてこうも言います。「子供の頃が一番モチベーションも、好奇心もある」。それを削いでいくのが大人。
やれするな、これするな、がまんしろ、うるさいなど、好奇心を削ぐことなく、できるだけ機会と環境を与え、邪魔はせず「なんで?」にはとことん付き合うことを心掛けています。
そしてこれらの土台となり、何より大切な要素が愛情とそれを伝播させておくことのような気がします。
「今が一番可愛いときですよ」や「3歳ぐらいまでが可愛いですよ」とよく聞く言葉ですが「そうですね」と言いつつも、内心は「一生可愛くてたまらない」と呟いてきました。という意味では益々愛情は深まっていきそうですが、
この瞬間までだけでも「愛情を伝えきった」と一面は思えるほど、とくに三歳、そして四歳までは何よりも子供を、いや子供だけをと言っても過言ではないほどに優先してきました。
好奇心と心が伸び伸びと育ち、照れることはありつつも根本的に人は怖いものであるという傷を作ることもなく、パパとママ、じぃじにばぁばにこんなにも愛されてという自信を根底に持ち、家族と過ごす時間のすばらしさを無意識の中に届けることができたのではないかと思います。
あるいは体力があるほうだとは思いますが、それでも子供の体力。疲れた幼稚園のあとに無理して習い事をするよりも、風邪もひかなくなった十二分な体力もついた今、好奇心を楽しむ風合いで習い事をはじめるプロセスもよいのではないかと、少々遅めだったかもしれない習い事スタートの正当化を図っています。
正当化を図りつつも、しかし率直にも土台を十二分に作ってから本格的に習い事をするこのプロセス、つまりは親離れが薄っすらもしてきてそれまでは濃密に一緒に過ごしたあとが、この子の人生を長期的に考えたときにもよいのではないかと、帰結します。新しい友達、その親との交流、出会いが楽しみに思える余裕を見てとれます。
このときは追っかけっこをしていました。どの写真を見ても満面の笑みです。
そしてもう一つ、知の土台となったのが、youtubeだと感じています。英語の歌、おさるのジョージやしまじろうで得る知識、たとえば雨が降り水はどう人間社会に循環しているのか、ゴミはどこへ行くのか、雷がなるメカニズム、もしくは語彙など、さらにはエンジンの仕組み、ウィンチの使い方、車ができるまで、クラッシュテストをみればエネルギーの流れ方まで、実に多くの知を与えてくれ、そして子供が自発的に集中し、つまりは自習する素養も身に着け、知的興奮は最上級に快感であることも学んだであろう、すばらしい先生なのではないかと思う次第であると同時に、
時代劇というものは、その多くが毎回同じ鉄板パターンで、今見るといわゆる無双以上に、たしかにそう快感はあり、仮面ライダーやウルトラマンと構造は同じで分かりやすいので子供もはまるのですが、何の中身もない暴れん坊将軍に興じていた大人がいた、ということも気づいた次第です。そのような中身がないコンテンツに興じていた大人が偉そうに説教し
中身がないものに興じそれを話題にするコミュニティがあり、という意味ではワイドショーにバラエティー番組を見て、リアルやネットで偉そうに他者批判を行い、またそれが世の中であるという構造を知ることにもなるやもしれませんが、パワハラをしつこくいつまでも追求するワイドショーが最もパワハラかもしれず、権力を得ることが出来ずなコンプレックスの裏返しで執拗にいじめだけするおじさんの集団にマスコミが見えることはありますが、
テレビというコンテンツの多くは小学生や地方の駅に夜屯ってシンナーを吸ったり、渋谷で合法ドラッグを飲んいる少年が見ても、楽しめて理解できる内容になっているので、それを見て楽しいと思っていることは、推して知るべしかもしれません。アフリカのサバンナやアマゾンの密林、南極の極寒を越えた世界など、なかなか行けない、見ることができない世界を教えてくれるコンテンツは貴重であり、価値があると考えますが、
そうして主観的に意義があると思えるコンテンツを取捨選択し、しかもいつでも好きなときに見ることができるオンデマンドもしくはインターネットという環境を子供に与えていき、スマホを与える、という堀江氏がいう意見に一票を投じたいと考えています。ただし距離は離れてみること、をルールとしています。
堀江氏を一人クローズアップしても、その批判意見を見つけることは、この子が生まれた港区で東京タワーを見つけるよりも簡単なほどですが、同氏の話をネットで視聴することは、たとえば並みのおじさんのストレスのはけ口かのごとくな「俺はすごいんだ論」を居酒屋で自分の寿命や家族との大切な時間を犠牲にしてまで付き合わされるより、比べ物にならないほど意味があるように思います。
堀江氏はかなり尖った性能を有していると存じますが、他にも多くの才能や奇才、知能に知識を持った、換言すれば素地がいいかもしれませんが、それだけでなく、しっかりと勉強や情報収集を欠かさない人達の話をいつでも聞くことができるyoutubeのすごさを思い、これらのコンテンツとやがて出会う日が来た時に、また意見交換ができる日も楽しみです。
大阪府知事だった橋下氏を見れば「どう逆立ちにバク転しようとも、討論で勝てる気がしない」、絵本作家になったというキングコングの西野氏を見れば「この人は頭がいい人だなぁ」としみじみ思い、女性では片山さつき氏や、 三浦瑠璃氏の言葉を拝聴すれば、日本最高峰の頭脳に好きなときに、しかしこちらはPCやスマホの前なので礼儀を気にすることもなく、緊張することもなくリラックスしてその片鱗に触れることができるわけで、なんというすごい時代であろうか、と思わずにはいられません。
ただ知るだけでなく、万人が実利を得ることができる環境もまたインターネットだと思います。黎明期には零細が大企業に太刀打ちできる武器とよく言われましたが、まんざら誇張でもないように実感します。もし私がサラリーマンだったらサイドビジネスとしてネットで物販でもして稼ぎます。事実片手間の事業で、さらに具体的に言えばアルバイトの女性がたった一人のさらに片手間で担当してくれていまいたが、フェースブックや有名なネット企業から注文を定期的かつまとまった注文を頂いていましたが、たとえば何もないところから月間100万円の収入など、三ヵ月で必ず作れるように思い、このようなことが可能な時代だと思います。
2017年12月の写真データも新しいのを発見すれば、たった数ヶ月でも違う顔付。さらにデータ整理の宿題は溜まりそうですが、少しずつ取り組んでいくたく思います。
雪で寝かした豆のコーヒーに冷やしたセラミックのカップでコーヒーを味わったあとは、雨の日1,000円になる手洗い洗車二台と、ママのドライバーでスーパーへ買い物に行ってきます。